第5話
老女は深く息をつき、遠い日を思い返すように目を伏せる。
「私は若い頃、タレントを持ち、魔法の素養もありました。ただし体が弱く、冒険に出られるほどの力はなく……」
細い声が続く。
「そこで私は趣味である洋服づくりと魔法を組み合わせて、仲間を助けようと考えたのです。試行錯誤の末、“着るだけで魔法の効果を得られる服”を生み出しました」
セバスは顎に手を添え、興味深げに問う。
「ほう……魔法を使えぬ者でも?」
「はい。糸に魔力を練り込み、肌に触れれば効果が発動する。怪我をしにくく、頭が冴え、回復が早まる……私の知る限りの補助魔法を一着ごとに込めて」
自嘲めいた笑みを浮かべ、老女は話を続ける。
「それは仲間に大変喜ばれました。私は疲れやすくても、役に立てるのだと……あの頃が一番幸せでした」
だが、その笑みはすぐに陰を落とす。
「……しかし噂が広まり、商人に目をつけられ、巧い言葉でのせられてそのまま店で売り出すと……飛ぶように売れ、私は莫大な富を得ました」
老女の声に沈痛な響きが混じる。
セバスは微動だにせず、ただ静かに続きを促した。
「続きは、階段を降りたらお話しますね。よいしょっと」
狭い階段を下り切った先は、小さな地下室だった。
壁一面に布や服が吊るされ、床には木箱が積まれている。
その布地からは淡く魔力の光がにじみ、まるで呼吸をしているかのように揺らめいていた。
「……これが私の作った服です」
老女は静かに言った。
セバスは一歩進み、服に視線を向ける。
縫い目には魔力の粒子が織り込まれ、補助魔法の効果がほのかに漂っている。
「見事な技術……。しかし――」
視線を奥へ移した時、セバスの瞳が細くなる。
積まれた木箱の隙間、布の影。
そこから、微かな気配が滲んでいた。
(……やはり。服だけではない。……この家の違和感の正体はここにある)
セバスの気配を察したのか、老女は小さく肩を震わせた。
「……旦那様のような方なら他にも何か感じるでしょうね」
振り返る老女の瞳には、諦めと後悔が入り混じっていた。
「この部屋には……まだ、私の過去の失敗の結果が残っているのです」
灯りに揺れる布地が、ひそやかにざわめくように見えた。
セバスは柔らかな声で言葉を掛けた。
「……これまでの話を聞く限り、あなたは何も失敗していないように感じます。むしろ多くの人に喜びを与えたではありませんか。……ですが、もし差し支えなければ――あなたが抱える“本当の理由”をお聞かせ願えますか」
まるで友に語りかけるような声音。
その真摯さに、老女は小さく肩を震わせた。
「……魔法の服が売れ始めると、模倣や詐欺が横行しました。不良品を掴まされた客からは罵倒や脅迫を受け……。知らぬ間に、私の名は“人を傷つける者”のように扱われました」
声が震え、瞳から涙が溢れる。
「私は……自分が作った服のせいで、誰かを苦しめたのだと……怖くなってしまって……」
セバスは黙って白いハンカチを差し出した。
「……悲しい時は、どうぞ泣いてください。涙は心を軽くします」
老女はおいおいと泣き、震える指でセバスの差し出したハンカチを受け取り、そっと目元を拭った。
しわだらけの手に白布の清潔な色が映え、かえってその涙が尊く見える。
「……すみません。年甲斐もなく……」
かすれた声で謝罪するが、セバスは静かに首を振った。
「謝ることではありません。苦しみを一人で抱え続けるほうが、人を蝕むものです。……話してくださっただけで、私は安心しました」
その声音は変わらず穏やかで、老女の心をさらにほぐしていく。
「……旦那様は、本当に……不思議なお方ですね。どうしてそこまで、人に優しくできるのですか?」
問いかけに、セバスは少し視線を落とした。
しばしの沈黙。
やがてゆっくりと、まるで己に言い聞かせるように答えた。
「……私は、強き御方に仕える者です。だからこそ、弱き者に手を差し伸べるのは当然の務めだと考えております」
老女はその言葉を胸の奥で反芻し、微笑みに似た吐息を漏らした。
「……強き者の影にいながら、弱き者を見捨てない……。そんな方が、まだこの世にいるなんて……」
セバスは彼女の表情を確かめながら、わずかに身を正した。
「……長々と前置きをしましたが、実は家全体に“人間避けの魔法”を掛けているのです」
セバスは顎に手を添えて頷く。
「なるほど。しかし、あなたも人間である以上……ご自身にも作用するのでは?」
「そこは工夫してあります。先ほど話した“魔法織り込みの服”で、人間避けを無効化できるようにしているのです」
照れくさそうに頭をかきながら、老女は続けた。
セバスは素直に称賛した。
「……本当に賢い。人間という種族の中では、稀有なお方ですね」
老女は頬を赤らめ、少し嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます……。では、そろそろ残りの秘密をお話しします」
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