第3話 母へ
日曜の光を浴びて僕は気持ちよく目覚めた。
普段ならここで気持ちよく二度寝でもしたいところだが、今日は大事なやるべきことがある。
母の墓参りだ。
まだ眠そうな雫さんと同じタイミングで部屋を出る。
「え?ちょっ。雫さん、だらしないですよ?」
ぐしゃぐしゃに着崩したパジャマからそっと白色のものが顔を覗かせている。僕は目を逸らすようにして、雫さんを通り抜ける。
「うん?あぁ、これね」
微塵も恥ずかしいと思っていないのか、服装を正しはしたものの、僕は、彼女が思う彼女と僕の距離感と僕が思う僕と彼女の距離感の違いを感じてしまっていた。
朝食を食べ、軽い会話を挟む。昨日は緊張のせいか、よく見えていなかったのだろう。まだこの家族に馴染めていないことがよくわかった。
*
「今日は本当にありがとうございます」
この一言自体が浮いているような気もするが、それ以前に僕は感謝を伝えたかった。
「いいのよ。もう同じ家族なんだし、遠慮は要らないわよ」
葉摘さんの温かい言葉に、僕の胸がジンとする。
徹さんが車を運転して一時間ほど。
少し街から逸れた場所に母の墓所はあった。
ふわふわとした修学旅行のような現実味を帯びていない生活に母の死を実感することは難しかった。当然、まだ僕は受け止めきれていなかった。
桶に水をいれて、線香に火をつける。眠る前は、よく祖父のお墓に来ていた。僕が生まれる前、相当昔に祖父は死んだと聞かされている。妙な懐かしさを抱きながら、僕はそのとき一緒にいた母の墓参りをしている。
不思議なものだな、とまだ変な高揚感がある。もしかしたら、久しぶりに母に会えるのが嬉しいのだろうか。不謹慎だな。でも心のどこかで、その一瞬に今まであったこと、母の全てを感じようとしているのかもしれない。
ここからはつまづいてはいけない階段を、徹さんたちに案内してもらい上る。
久しぶりに体を動かした病気の後遺症か、必要以上に心臓がドクドクと脈打った。ほんの少しの運動でさえ疲れるのか、きっとそうだ。そう思うことにした。
「ここだよ」
まだ日が経ってない墓石は日に当たり疲れているようだった。
驚くことに、そこには初老の男性がいた。
「知り合いですか?」
僕は徹さんに助けを求めるように視線を送った。
「いや、知らないな」
「こんにちは」
墓石に水をやる男性は涙ぐんでいて、悲しんでいた。
墓地で泣く人というのは、珍しい気がする。
時間が経てば、人というのは悲しみを乗り越える代わりに辛さを幾分か忘れる。その悲しみをここに持ってこれる人は少ないはずだ。残された人の心境は、見守っていてね、いつもありがとう、という気持ちにシフトする。今頃、とでも言うべきか、その男性の涙は突発的なもののように見えた。
「あの、私はこれで失礼します」
目を覆い隠しながら、僕たちの横を通りすぎる。
「誰だったのかな」と葉摘さん。
「わかんないな」
葉摘さんと徹さんは首を傾げる。
二人とも、本当に知らないようで僕の気持ちはそれに持っていかれる。だが、それもほんの一瞬。
墓石の正面に座ると、母の名前が彫られている。とても綺麗だな、と思った。生前、そんなことを言ったことはなかったと思う。
自然と昨日妹に見せられた、母の遺影を思い出す。僕が毎日よく見ていた母の顔に近かったから、僕が死んでからあんまり経たないうちに撮ったのだろう。
60年もたてば、母は100歳を越えている。母なりの優しさかな、と思った。
風雨に傷つけられた周りのものとは違い、まだ新しく見えたそれを僕は何分か見つめていた。
もう、お母さんはいないんだな。そう思ってしまう。
最後に何を話したんだろう。思い出したくても思い出せない辛さに胸が締め付けられる。
何故か、泣けなかった。泣けるとばかり思っていた。
「私たち、下で待ってるから」
そっと、優しく葉摘さんは話しかけてくれた。三人は下へ降りていく。
僕の心の堤防は、やっと決壊したようだった。
「ごめんね。ごめんね」
意外にも、僕は母に懺悔したかったのかもしれない。自分より息子に先立たれた辛さを想像するとやりきれなかった。
「あああああああ」
嗚咽が漏れ、ウッウッ、と喉が詰まる。
*
「僕は親不孝者だったんですよ」
帰りの車内で、しーんと静まった雰囲気の中、僕は切り出した。
「僕は、母にひどいことをしてしまったんです」
だけど、うん、と言われ聞いてくれるだけで、誰も何も言ってくれなかった。
「そうじゃないよ」って言ってほしかった。
嘘でいいから。嘘だってわかるのに。
頬はいつまでも熱かった。
妹から貰った便箋の1つはこれで消化されてしまった。
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