【書籍化記念SS】桜降る代に決闘を 桜降る代の神語り 1
五十嵐月夜/原作・監修:BakaFire/DRAGON NOVELS
幼き刃
もっちりとした丸くて白い生地に歯を立てれば、中から溢れ出してきた餡が唇を辿って零れ落ちそうになる。甘くしょっぱい味噌の風味が口の中に広がり、素朴な生地と合わされば、ただ甘味と呼ぶには憚られる深い味わいが小さな少女の心を満たしていく。
「んふぅー、おいひぃ……お味噌のお団子なんてあるんですねえ」
縁台から放り出された脚が、ぱたぱたと紺の袴の中で揺れる。手にした串の先で半分になった団子の味噌餡が、彼女の白い道着に垂れ落ちてしまいそうになり、慌てて口の中に運ぶ。
苦笑いしながら舌でぺろりと口の周りの餡を舐め取る少女に、傍に控えていた旅装姿の妙齢の女が溜息をこぼした。
「ヲウカ様の御前ではしたないですよ、揺波様」
「たっくさん餡が詰まってたんだから、しょうがないじゃないですか。食べてみれば分かりますよ、ほら!」
「結構ですから、お口元をお貸しください」
「んうー」
されるがままに手ぬぐいで拭われる少女・天音揺波。そのうち、丹念に過ぎる侍従のそれを嫌がり始め、前をぱっつりと切り揃えられた黒髪が揺れる。
ただ、そんな微笑ましい光景であっても、世話を焼く侍従も、それ以外の付き人も、揺波の態度とは違って顔に少なからず緊張の色を浮かべていた。
揺波の腰掛ける縁台の上には、鞘に収められた古びた細身の刀が一振り、ぞんざいに置かれている。
これまでずっと揺波が振るい続けてきた――そして、このあとすぐにまた振るわれる、彼女の手汗が染み込んだ愛刀である。取り立てて業物と評するほどではないそれは、少女が大の大人を決闘で打ち負かすためには些か心もとなく、揺波が背負った天音家の再興という大任を思えばあまりにも小さすぎる。
しかし、そんな宿命などどこ吹く風というように、彼女の意識は団子と、その友である景色へと向いたままだ。
「ヲウカもきっと、あの桜の中から『美味しそう』って思って見てますよ。だから許してくれますって」
「お相手の方にも失礼になりますから」
「うぅ……じゃあ、もったいないけど一口で……」
揺波たちのいる村外れの茶屋からは、周囲と隔絶された一本の桜を眺めることができた。はらはらと散るその結晶の花弁が、穏やかな日差しの中で煌めいている。背後に続く森と、人の営みとの間に広がる小さな聖域のようであった。
ぱっくりと団子を口に収めた揺波が、熱い茶を啜ってからひとりごちる。
「お父様も来られればよかったのになあ……」
天音邸近隣の地を制する際は揺波の活躍を見守っていた父親も、今頃はどこかで政務に勤しんでいるはずだった。北の地への本格的な遠征が始まり、常に同行するというわけにはいかなくなったのである。
「各地との調整に大わらわのようですからね、致し方ありません」
「うん、おうちのためですもんね」
「お寂しいのですか?」
あけすけにも思える侍従の問いに、揺波は小さく首を傾げた。
「寂しい……のかな?」
「私めに訊かれましても」
「こんな美味しいお団子を食べられなくて残念だなあ、とは思うけど」
「……帰ったら作ってみますから」
やったあ、と破顔する揺波は、残り一個となった団子をこそぎ取るようにして口にした。串に残った餡も舐め取れば、侍従に渋い顔が浮かぶ。
さらに揺波は茶屋の中に向かって、
「すいませーん! このお味噌の餡団子、もう二本くださーい!」
「揺波様っ!」
「だって、高野も食べないと作れないでしょ?」
「一口いただくだけで十分です! ……ではなくて、まだ召し上がるおつもりなんですか!? このあと決闘が控えているのですよ!?」
高野と呼ばれた侍従の叫びに、他の付き人たちの表情が不安に陰る。彼らもまた天音の民である以上、団子に目がないこの少女に多少なりとも己の命運がかかっているのだから、その反応も自然なことだった。
しかし、揺波の出征に付き合うようになって日の浅い彼ら付き人たちは、揺波のことを理解しきっていなかった。
強く嗜めた高野に、揺波はこう答えた。
「そうですけど、それが?」
開き直っているように聞こえるが、その瞳の無垢さにそうではないことをこの場の誰もが納得させられていた。
これから向かう真剣勝負の場において必勝を求められている立場であろうとも、揺波は真実その重圧を全く意に介していなかった。
まるで、勝つことが決まっているかのような。
まるで、勝つことが分かっているかのような。
そこに驕りはない。当然だと信じ切っている者に、驕りは生まれない。無知や経験の浅さがそうさせるのではなく、自然な帰結として、揺波は己の意志の中で勝利を既に掴んでいた。
「……知りませんよ、決闘中にお腹が痛くなっても」
「大丈夫、平気だから」
小言を追加したところで、気負うこともなくただ平然と返すのみ。揺波が物心つく前から彼女のことを見てきた高野は、多少気圧される程度で済んでいるものの、幼さ故の危うさというだけでは足りない雰囲気に付き人たちは息を呑む。
ただ、運ばれてきた皿の上の団子の一本をとって、高野に向かって差し出す少女の姿はやはり、年相応のあどけないものであった。
「はいっ! 約束ですよ?」
「……承知しました」
不承不承まるまる一本受け取った高野を見て、自分も、と揺波は残りに手を伸ばす。
しかし、
「あ……」
彼女の視界に入ってきたものが、その手を止めた。その様子に気づいた高野たちもまた、揺波の視線の先にあるものを認めた。
ぞろぞろと。桜の下に現れ、陣取り始めた一団。
装いの所々にあしらわれた家紋は、天音家が相手に選んだ家のもので確かに相違なかった。
「揺波様」
「行きます」
先程までの執着が嘘のように、団子の皿を縁台に置いた。代わりに、放り出していた古刀を掴んで機敏に立ち上がる。漂っていたうららかな空気はそれだけで断ち切られたように失われ、先を行く揺波に高野たちは慌てて付き従う。
ともすれば鞠でもついて遊んでいるのが似合いそうな少女はもう、そこにはいなかった。ただ相手に向かって刃を煌めかせる抜き身の刀のような存在が、淡々と運命の場――桜花決闘の舞台たる神座桜の下へと歩んでいた。
相手方の前に姿を晒した揺波が、意外なものを見る目を向けられるのももう慣れたものだった。この段階では天音の躍進の噂が少しずつ広がり始めたばかりであり、先頭に立つ揺波の情報は十分には出回っていなかったのだから。
そして、刃を交える当人だけが、瞬く間に侮る態度を潜めることもまた、いつも通りだった。例えそれが、筋骨隆々とした大人の男であってもだ。
「お待ちしてました。さあ、早く始めましょう」
その手に輝く結晶の輝き、すなわちミコトの証こそ、桜花決闘の主役である証左。相対する男が、この神座桜の所有権を示す桜鈴を、追いついてきた付き人が、別の桜の鈴をそれぞれ掲げて見せれば、確かに勝敗の天秤に賭け金は載せられる。
たった一手、たった一撃、過ちがあれば家の土地が失われるというのに、呼吸を整えていく揺波は重荷を感じさせないほどに自然体のまま、相手と向かい合う位置につく。それが揺波にとっての日常であり、求められるものの途中にあるただの過程なのである。
相手が構えるまでの間、居並んだ天音家の者たちをちら、と見やる。そこに父親の姿がないことに、揺波は確かに少なからず寂しさを覚えていた。
だが、その寂しさとは自らの活躍を見守ってくれない心細さからくるものではない。
自分の勝利を目の当たりにした父親が大げさに喜んでくれる姿が見られないこと、家に帰るまでそれが延びてしまうこと、それだけを揺波は惜しんでいる。求められるように勝つのだから、あまつさえ父親の前で負けたときのことを思う不安など、どこにもありはしなかった。
「天音揺波、我らがヲウカに決闘を」
宣誓と共に流れ込んでくるメガミの力が揺波を満たす。幼い身体を護るように、桜からこぼれ落ちた結晶の花弁が、ひらりと周囲に舞う。抜き払った刀は、桜を挟んで相対する相手の男へ正眼に構えられる。
相手の取り出したる得物は、両手に嵌めた三叉の鉄爪。しかして彼の宿した力は、その爪に纏う炎と、周囲に細かく弾ける小さな雷として発露する。風雷の如き素早い猛攻と、爆炎の荒々しい火力を以って、彼は揺波に喰らいついてくるだろう。
けれど、天音揺波には関係ない。
誰であろうと、どんな力を使ってこようとも、必ず勝利する。それこそが彼女の定め。
天音家再興を果たす、そのときまで。
「わたしは、勝ちます……!」
小さな宣言と共に、猛々しい一歩を踏み出す。
己の存在意義を、示すために。
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