キャプテン・ユニバースの出立 (#C_U_L)

南雲麗

第1話 宇宙(そら)への旅立ち

 大きな宇宙の、ほんの一粒。

 それでも僕の手には余る、大きな宇宙船の中。


 船長の席に、僕は座る。

 その横に、もうなにも喋らない、トラのぬいぐるみを乗せて。


 弱気で華奢な、いじめられっ子。

 それが僕の、ステータスだった。


 毎日毎日、飽きずに殴られて。蹴られて。

 みんなの炊事洗濯掃除を、全部押し付けられて。


 全部終わるまで寝るのも許されないから。

 夜更けも夜更けに、ようやく眠りにつく。

 それが僕の毎日だった。


 このぬいぐるみが喋り出した、あの日までは。


 ~~~~~


 古い孤児院。僕にはボロボロのベッドすら与えられない。

 隙間風の吹く、倉庫の床。そこが、僕の寝床だった。


 ぬいぐるみ――ティギーと名前を付けていた――を、抱いて眠る。

 これと一緒に、孤児院の前に捨てられていた。

 かつて院長が僕に告げた、たった一つの言葉だった。


 与えられた薄い布一枚では、当然寒さはしのげない。

 丸くなり、震えながら。朝まで体を休める。

 僕に出来るのは、それだけだった。


 だから。

 その瞬間、僕はひどく驚いた。


「おいおい。なんだこのしみったれた場所は。こんなとこに、ホントに俺の種がいんのか?」


 ほんの少しだけ味わえる眠りを、しゃがれただみ声が妨げる。

 目を開けばその声は、ティギーから聞こえていた。


「って、そうか。ガキに抱かれてりゃあそういうことか」


 だみ声はよく分からないことを言っている。

 自分で勝手に納得している。


「……ティギー、声を抑えて。聞こえたら殴られちゃう」


 なのに状況が飲み込めなくて、つい普通の対応をしてしまう。

 するとティギーは、声を荒げて。


「るせえ! ……ったく。こんなとこ出るぞ」

「え」


 出てきた言葉に、僕は口をあんぐりさせた。今、なんて。


「お前タコか!? ここを出る、つってんだよ。もうすぐザコ共が迎えに来る」

「え、あ……」

「うるさい! とっとと外へ出ろ!」


 だみ声に急き立てられ、僕はカンヌキを開けて外へ出た。

 寒い。洗濯もさせてもらえないボロ着だから、寒さが身を切るように痛い。


「走れ!」


 更にだみ声。僕はぬいぐるみを抱いて走る。明かりの動きが、こちらに向いた。

 見張りのおじさんが、気付いたようだ。


 殴られる。

 恐怖が僕を急き立てる。

 足がもつれて。


「っあ!」


 草むらにすっ転ぶ。青臭い臭いが鼻に飛び込んで、少しむせる。

 元々体力のない僕にとっては、これが限界だった。

 膝を擦りむいたのか、足が痛む。息が荒くて、動けない。


「このタコ! おい、起きろ!」


 だみ声がうるさい。怖い。嫌だ。

 そもそも、なんでティギーが喋っているんだ。


「タコ! 耳をふさぐんじゃねえ! 選べ!」


 まただみ声。嫌だ。動けない。でも、殴られるのも怖い。


「あー……畜生。お前はこのままだととっ捕まる。するといつも通りに殴られることになる。いや、逃げたから更に増えるかもな?」

「う……」


 想像して、目をつぶる。今でさえ辛いのに、これ以上。多分、死んでしまう。


「まあその反応だよな。で、だ。嫌なら今から、俺の言う通りにしろ。それが嫌なら。俺をここで捨てて、勝手に捕まっちまえ」

「あ……」


 声が出ない。捜索隊は、確実に迫っている。

 また殴られて、死ぬ思いをするぐらいなら。

 このぬいぐるみに、運を託しても良いかもしれない。


「……分かった。ティギーを信じてみる。もう殴られるのは、嫌だ」

「よっしゃ、なら俺を抱えて立て」

「え、見つかる」

「いいから」


 足を踏ん張って、立ち上がる。心なしか、さっきよりは痛みが引いていた。


「いたぞ!」

「手こずらせやがって!」


 孤児院の年上組に、大人達。僕をよく殴る連中が、徐々に集まってくる。

 足が震える。殴られる恐怖で、失禁しそうだった。

 だが、ぬいぐるみは何も言わない。


 包囲が狭まる。僕がなにかしないのか、警戒しているのだろうか。

 

「もうちょい待て。後三歩詰まったら、俺を掲げろ」


 ぬいぐるみが、小さくも確かな声を放った。

 僕は何も言わない。怪しまれる。


「二……一……やれ!」

「あああああ!」


 がむしゃらに叫び、ぬいぐるみを掲げる。

 すると、ぬいぐるみそのものがまばゆい光を放って。

 上からの、別の光を招き寄せた。


「ヒャハハハ! ほんっとに旦那がぬいぐるみになっちまってら!」

「うるさいよクロ! 早く引き上げて差し上げな!」

「ボス、遅くなってすまなイ。もう大丈夫ダ」

「無事、祝着。医者、可なり」


 上空の光。その向こうから響く、複数の声。

 どの声も、大声で。口うるさい。


 だけど、僕達に近付く者は居なかった。

 皆、まばゆい光に腰を抜かしていた。

 神に祈るように、空を仰ぎ見る人も居た。


「うるせええええ!」


 僕の頭上で、恐ろしいだみ声。

 ティギーから聞こえる声は、ものすごく堂々としていた。


「相変わらずうるせえなザコ共! 先に引き上げろ!」

「ヘイ!」

「はっ!」


 短くも適切と思える指示が、ハッキリ聞こえて。


「それが済んだら、急上昇で大気圏脱出! ずらかるぞ!」

「分かっタ」

「委細、承知」


 それぞれの答えが、しっかりと返ってきた。

 途中、聞いたことのない言葉が聞こえたけれど。

 孤児院での指示とは、全く違い、非常に分かりやすかった。


宇宙そらの旅は、曖昧だと死ぬからな」


 僕の疑問を察知したのか。だみ声が小さく返す。

 しかしすぐに、声は元に戻って。


「まあええ。まず、この場から脱出してからだ」


 光が、一段と強くなる。

 僕を追っていた連中は、もはやパニックをきたしていた。

 そりゃそうだ。僕だって混乱してる。


「気張れ……ねえよな。リラ、頼む!」

「はいっ!」


 それが最後に聞こえた声。

 僕の意識は、光の中で遠くなり。

 やがて、視界は真っ黒になった。


 ~~~~~


 次に目が開いた時。

 僕が目にしたのは、いつもとは全く違う天井だった。


「……えっと、あれ?」


 記憶をたどる。そうだ。

 孤児院でいつも通りに寝ていたら、ティギーが急に喋り出して。

 言われるままに、抱きかかえて逃げ出して。


 そして。


「……孤児院に、なにも言い残してない」


 口をついて出たのは、どこか外れた感想で。


「あんなトコ、気にしてるんじゃねえ」


 聞こえてきたのは、あのだみ声だった。


 僕は身を起こす。

 そこには、短く切った金色の髪が映える、きれいなお姉さんが居て。

 胸と膝の上の空間に、ティギー『だったもの』が抱えられていた。


「お目覚めかい、俺の種」


 ティギーは動かない。動かないけど、しゃべる。


「ったく。この俺様の種を、あんな所で眠らせやがって。こんな形でなけりゃ、根こそぎ壊してやるところだ」

「はい、キャプテン。それはそうですが、説明もなにも済んでおりません」

「それもそうだな。リラ、コイツの容態は?」


 ティギーの言葉に、リラと呼ばれたお姉さんが動いた。

 よく見ると背が高い。その上、ナイスバディだった。

 まだまだ子どもの僕から見ても、思わず見とれてしまう程の美しさだった。


「じっとしていてください」


 リラさんのお願いで、僕は身を縮こまらせた。なにをされるのか、分からない。


「あー、大丈夫だ。ちょっと目の前が暗くなるけどな」


 ティギーの声。次の瞬間、頭からなにかを被せられた。

 なにか音がする。会話から考えるなら、僕の調子を見ているのだろうか。


「バイタル、全て正常ですね。記憶の乱れもないようです」


 リラさんの声。だみ声と違って、きれいな声だった。


「おし。んじゃ、ザコ共と会わせても問題ねえな?」

「よろしいかと。個人的にクロに会わせたくはありませんが」

「それはお前の問題だ。全体を考えろや、リラァ」


 申し訳ありません。

 わかりゃええ。


 そんなやり取りの後、僕たちは動く。

 一歩部屋から出ると、広い廊下があった。


 見たこともないような色と形。そして模様。

 もしかして、これが。


「どうやら、キカイには馴染みがないようですね」


 聞き慣れない単語に、僕はリラさんを見上げる。

 男の僕よりも短い金髪が、輝いて見えた。


「いずれ分からあ。行くぞ」

「あ、申し訳ありません」


 僕の腕に抱えられ、動けないのに音頭を取りたがるティギー。

 だけど、リラさんが待ったをかけた。


「どうした。時間は有限だぞ」

「いえ、少々身だしなみだけでも。整えさせてあげませんか?」


 ボロ着にボサボサの髪、肌は傷だらけ。

 状況が変わっても、格好だけはそのままだった。

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