鉄影02
[chapter:5]
田辺総理が一人で公邸にいると、突然電話から、ゴボゴボと水のようなものが噴き出してきた。
田辺は飛び上がった。水道管が破裂したって、電話から水が出てくることはないだろう。水のようなものはしばらくゴボゴボと出続け、電話機を覆い尽くしていく。
田辺は意を決して、その受話器を取った。寒天のようなぬちゃっとした感触がした。気持ちが悪い。
「なぜビデオを公開しなかった!? こっちはテレビもネットも見てるんだぞ!?」
英語の、怒号だった。
「テレビでは公開していないが、本人には見せた。本当だ」
田辺も、英語で返す。
「政治家のくせに、ウソがつけない男だな。おまえの掌の汗を感じるぞ。やはり見せていないな? 本当に鉄影を使う気があるのか!?」
田辺総理は二秒ほど沈黙したが、すぐに受話器に向かって大声を出した。
「私にもプライドはある! 頼むから私を巻き込むのはやめてくれ!」
受話器の奥で、クックックッと笑いを押し殺した声が聞こえてくる。
「巻き込まないでくれ、と来たか。それでもきさまは一国の首相か?」
「『鉄影』と戦いたければ、おまえが勝手に彼をおびき出せばいいことじゃないか。とりあえず記者会見に『鉄影』の名前は出しただろう? そのことを、彼本人が把握していないはずはない!」
「どうだかね。とにかく、おれは本気で日本を乗っ取る気でいるからな。いいか、これは私闘じゃないんだ。やつがおれに倒されるときは、日本が負けるときだ」
「まだ、日本には自衛隊がいるぞ」
くやしまぎれに、田辺総理が返す。電話の相手は、まったく気にしていないようだ。
「そう思っているならそう思っているがいい。おまえが国土を戦場にする気があるなら、自衛隊でも軍隊でも使えばいい。いいな、もう一度言う。やつにあのビデオを見せろ。そして、いつでもやつを呼び出せるようにしておけ。戦いのゴングはその後、おれが鳴らす」
電話は一方的に切れた。どろどろとした透明の液体も、一緒に消えていた。
[chapter:6]
JKGの犯罪は、その後も続いていた。議員の邸宅が次々と狙われ、現金が強奪されていた。手際はあざやかで、警察も、非公認ヒーローたちも日夜、JKGを探し回ったが捕まえることができていなかった。
現在、地球上には百名近いスーパーヒーローとスーパーヴィラン(怪人)がいる。その理念や能力はさまざまだが、ヴィランはもちろん、スーパーヒーローも統一した動きをすることがなかなかできないでいた。能力が高い彼らは、個性も強すぎるのだ。
なぜか、スーパーヒーローの本場はアメリカである。中でも世界の尊敬を集めているのは、「ウルティメイトUSA」というアメリカ公認のスーパーヒーローだった。星条旗に使用されている色、青と赤を基調とした明るいデザインの防護服に身を包み、赤いマントをひるがえす。「超人血清」を注入された一九四〇年の誕生から現在まで、衰えることなく、七十年以上もアメリカのため、世界のために戦ってきた男である。
一方、日本では現在、公認ヒーロー「鉄影」の他には、国家に認められていない「非公認ヒーロー」が数名いるのみだ。
高性能バイクで東京都内を中心に活躍しているサイボーグ戦士「サンダーロード」や、日本政府とは協力関係にはあるものの、直接は関係のない国際組織が派遣している五人組「フルフェイス・ソルジャーズ」、数年に一度、宇宙からやってくる「カイジュウ」に立ち向かう巨大ヒーロー「ライトニング・ジャック」など。
しかし、フルフェイス・ソルジャーズは異次元から侵略してくる謎の存在との戦いで手いっぱいであり、ライトニング・ジャックはカイジュウとしか戦わない。というより彼がどうして日本をカイジュウから守ってくれているのかも、わかっていない。
現在、実質的にJKGの捜索に協力してくれているのはサンダーロードだけだが、神出鬼没のJKGを追いきれていないのが現状だった。彼も、自身を改造した組織「スリラー」との戦いがメインで、なかなか他の怪人まで手が回らないのが本音だった。
そんなこんなで、日本警察はJKGの犯罪に頭を悩ませていたが、アメリカの「ウルティメイトUSA」から知恵を借りられることになった。多忙なウルティメイトUSAは、日本警察のテレビ電話会議に出席し、さまざまなアドバイスをした後、日本の一般市民の不安を取り除くために、テレビとネットで記者会見をした。
平日の昼間、テレビのワイドショーとネットの生中継に「ウルティメイトUSA」は登場した。
画面には、銀色のヘルメットをかぶり、目の周囲を覆った青い仮面の、あごのがっしりした男がアップになった。彼は日本語があまり得意ではないので(彼に語学能力はなかったが、一方で動物の声まで聞き分けられるヒーローもいる。それがスーパーヒーローの理解しがたいところでもある)、彼のサイドキックである青年、「スピーディ・ザ・スキマー」が通訳をしていた。
ワイドショーの司会者と、彼の一問一答は以下のようなものだった。
司会者「お忙しい中、時間をさいていただいてありがとうございます。さっそくですが、JKGは「クラーケンゴッド」の下部組織だと思いますか?
ウルティメイトUSA「クラーケンゴッドの下部組織が日本に手を伸ばしている、という話は聞いていない。彼らの名を騙った者の仕業ではないかというのが私の見解だ」
司会者「それにしては犯罪の規模が大きすぎる気がしますが?」
ウルティメイトUSA「スーパーパワーを持った犯人であることは間違いない。ただし、首相公邸の防犯カメラに映っていた四名を超える人数ではないはずだ。防犯カメラの映像を見たが、映像が不鮮明で、ヴィランの特定まではできなかった。青白く発光するやつは、パッと思いつくだけでも七、八人はいるからね。ロボットに関しては何百体いるかわからないよ」
司会者「四人以上ではないという、その根拠は?」
ウルティメイトUSA「彼らが現金強奪を繰り返しているのは、アメリカにも、日本にも地盤がない証拠だろう。彼らが日本に根を張ろうとしているのは間違いないだろう」
司会者「日本の警察やヒーローに、彼らが捕まえられると思いますか?」
最後にウルティメイトUSAは、力強く言った。
「テツカゲに頼むべきだ。日本人は、無意識のうちに彼を除外している気さえする。あるいは過小評価しているのか? いいか、テツカゲに頼め。彼ならきっとなんとかしてくれる」
ウルティメイトUSAから鉄影の名前が出たことは、人々の心を大きく揺るがした。「そうだ、彼がいたんだ!」というような雰囲気、期待感が、徐々に世論をつくりあげていった。
[newpage]
[chapter:7]
「クラーケンゴッド」に入ってから、ヴィランにはずいぶんけったいなやつがいるな、とザ・ジェリーフィッシュは思った。カブトガニを崇める古代宗教からパワーをもらったやつや、古い狂ったコンピュータから打ち出されてくる紙テープにぐるぐる巻きにされて変身してしまったやつもいる。やけくそで隕石を食ったら変身してしまったのもいる。
精神面でもそうだ。女にふられたことがきっかけで半世紀もスーパーヴィランを続けているやつもいるし、世界征服を妄想していたはずが、今は女が腕を通した毛皮のコートを集めることにしか興味がない、というやつもいる。
ザ・ジェリーフィッシュも、自分のヴィランとしての出自はベタすぎてあまり他人に言いたくないと思っていた。彼は、子どもの頃から「正義」とか「ヒーロー」が大嫌いだったのだ。買ってもらうおもちゃはすべてが怪人かモンスターだった。ヒーローのおもちゃはもらっても捨ててしまった。ヒーローのすべてが欺瞞だと思っていたし、ヒーローの言葉を借りてきれいごとを言う大人たちも信用ならなかった。
「スーパー・キッドが夜は歯を磨きなさい、と言っていたから歯を磨きなさい」とか、まったくバカじゃないのか? あいつらは、スーパー・キッドが死ねと言ったら死ぬのか?
勉強好きだった彼は、大学に進み、クラゲの研究者となった。彼は一見、水中を静かにたゆたうクラゲの研究だけしていれば満足の研究バカに思われがちだったが、実は裏で大学内派閥では「悪」とされている方に積極的に加担していた。大学改革や、公平性をうったえるやつらはそれだけで嫌いだった。しかし、結果は自分が加担した連中にトカゲの尻尾のように切られ、大学をクビになってしまった。
クビが決定したその日、皮肉にも彼は自分の研究室で飼育していた何百体というクラゲとともに、隣の研究室の化学実験の大爆発に巻き込まれ、大学のそばの海にクラゲたちとともに投げ出された。そして、海の中で全身の細胞がクラゲと合体した。
「ザ・ジェリーフィッシュ」の誕生である。
全身は青白く光るようになり、身体の向こう側が透けて見え、電気クラゲの数万倍の電気を発することが可能になった。そして体の硬さを、通常の人間レベルからまったくの液体、気体にまで変えられるようになったのだ。本物のクラゲにさえ、そのような能力はない。
それだけではない。彼は自分の形状を変化させたまま、ある程度固定させることができる。たとえばロープのように細くなったり、布のようにひらべったくなったりできる。どんなところにも潜入できるし、どんなところからも出てくることができる。
自分をクビにした教授連に、あっという間に復讐を済ませたザ・ジェリーフィッシュは、その後、すぐに空虚感にさいなまれるようになった。
彼の姿では、もう人間の世界に戻ることは不可能に思えた。今思えば、実はそうでもなかったのかもしれない。不思議な姿で人類に溶け込んでいるヒーローはたくさんいる。彼らはガラス張りのコーヒー店にいても、通行人に手を振られるような愛された存在だ。だが、とにかくスーパーヒーローになるのはイヤだった。ヒーローは彼にとって、嫌悪の対象でしかなかった。
海辺の隠れ家に一人で住んでいたザ・ジェリーフィッシュは、ほどなくして「三人の黒衣の男」の訪問を受けることになった。
彼ら三人は、犯罪組織「クラーケンゴッド」のスカウトマンだった。なかなか正体を見せたがらないスーパーヴィランの隠れ家を見つけ出す、という能力だけを持っている男が、三人のうち一人いた。
そして、三人のうち、超人たちの警戒心を解く特殊な能力を持つ男が、ザ・ジェリーフィッシュの心を開いた。
ナチスの、オカルト的要素を信奉する集団から分派し、進化発展してきた悪の秘密結社「クラーケンゴッド」は、超人たちの超人たちによる世界恒久平和を目的としたなんとかかんとか……と、「警戒心を解く能力」の男は組織の理念をしゃべったが、ザ・ジェリーフィッシュにはそんなことはどうでもよかった。
自分のような能力を持った仲間がいて、生きがいを与えてくれるなら何でもよかったのだ。
そうして彼は、二つ返事で「クラーケンゴッド」への参加を了承し、了承した瞬間にアメリカの地下のどこかにある本部に、瞬間移動していた。
「三人の黒衣の男」の三人目は、瞬間移動の能力を持っていたのだ。
しかし、実際入ってみると「クラーケンゴッド」はたいして面白い組織ではなかった。構成員は大雑把に言ってヴィランとヒラの工作員に分かれるが、ヴィランはたいていの場合、傲慢で、自分がいちばん強いと思っており、ザ・ジェリーフィッシュとは話が合わなかった。
かといって、ヒラの工作員は超人の自分に恐縮して台頭につきあおうとはしてくれなかった。思想的に洗脳されているのは、ヒラの工作員の方だからである。
「なんだ、ここは大学よりも退屈だな」
彼がそろそろクラゲの研究を再開しようかと思っていた頃、テレビにある光景が映っていた。
それはあるものに立ち向かう、鉄影の姿だった。
[newpage]
[chapter:8]
「それでは、まずごく基本的なところから教えてください。私があなたを見た日、どうしてあんなにボロボロだったんですか?」
駿平は翌日の午後二時、再びバー「ジャック・M」を訪れた。じっくりとインタビューするため、昼間の閉店している時間を選んだのだ。手元のICレコーダーは、すでに動き出している。
「その日の夕刊を見なかったのか?」
剣吾はあきれて言った。
「見ましたし、その前のテレビ報道も見ました。ですが、いちおう本人の口から聞きたいなと思いまして……」
順平が卑屈な笑いを浮かべる。インタビューの序盤で機嫌をそこねてしまっては、まずい。
「夜中の二時頃だったか、無人建機が五台、一度に暴走した。東京湾の再・再開発のために、その辺一体の数棟の超高層ビルを解体する計画があるのは知っているな。そこで使用されていた建機だった」
「ああ、MS電機が開発した、二足歩行で二本の腕を持った、ロボットみたいな……」
「そうだ。ひらべったい箱に手足を付けたような外観で、重さは十トン近くあった。両手部分はアタッチメントを付け替えることで、さまざまな用途に使える新型の建機だ。足も、ただのお飾りじゃない。数メートル離れた作業場から作業場に飛び移ることのできる跳躍力を持ち、走ったら時速四十キロは出る。MS電機自慢の次世代建機で、実験的に使用中とのことだったがコンピュータでの制御が不能になり、暴れだして、その場にいた十数人の作業員を蹴散らす大騒ぎになった」
「それで出動した……と?」
「そうだ。田辺総理から直接連絡があり、ひさしぶりに出動することになった。警察ではまるで歯が立たないし、できれば自衛隊は出動させたくないということだった。出動時に条件も出された。背中のテツカゲ・ロケットを使うなという命令だった」
「テツカゲ・ロケットを!? なぜですか?」
テツカゲ・ロケットとは、鉄影が背中に背負った、二本の銀色のロケットのことだ。このロケットは鉄影の奥歯のスイッチと連動し、彼の脳波で操作することができる。このロケットで、鉄影は自由に空を飛ぶ。弾丸のように長距離をぶっ飛ばすことも可能だし、空中戦での小回りも自由自在。あるいはロケットの勢いで、地表を疾走することもできる。ただし、まともな人間が装着したら、そのスピードだけで死んでしまうだろう。
「派手な戦闘を一般市民に見せたくなかったんだろう。仕方ないので、おれは総理の要求に従った。東京湾までは、警察の人間がパトカーで連れて行ってくれたよ」
駿平は、それですべてに納得がいった。ボロボロの状態の鉄影を見た日の午後、テレビのニュースで、ひさしぶりに鉄影が現れ、無人建機五台と戦ったシーンを見たのだ。確かに鉄影は背中のロケットに点火することはいっさいなく、自身の跳躍力とパンチ力、キック力だけで無人建機を五台、破壊していった。
鉄影の超人的能力がいったいどの程度なのかは、国家機密なので国民には知らされていない。ただし、大幅に人間の能力を超えているわけではない、とされていた。つまり、銃で撃たれればケガもするし、高いところから落下すればダメージも負う。力も、百万トンのものを扱える超人もいる中で、人間の常識を超えるほどのものではないと言われている。
もともとは旧日本軍の「超人兵士計画」から生まれたヒーローだから、集団戦闘において力を発揮することが想定されている。すなわち鉄影は、ほとんど巨大ロボットといっていい無人建機と、重火器なしで戦うようなヒーローでは、本来ないのである。
「銃やロケットランチャーなどの兵器は携帯しなかったんですか?」
駿平は、屈託なく聞いてきた。
鉄影こと曽我剣吾は、戦前生まれとは思えないしぐさで肩をすくめ、言った。
「あるわけないだろ。考えてもみろ、自衛隊を出したくないから私が出ることになったんだからな」
以前から「集団的自衛権」に議論のある自衛隊を日本政府が出したくないとき、鉄影が召還されるのはよくあることだった。「スーパーヒーローは基本的に重火器を嫌う」という共通した性質があるのだが、それを利用されてしまっていると言ってもいいだろう。
後の話は、駿平がテレビで見たとおりだった。鉄影は背中のロケットがなくても十数メートルは跳躍ができ、そこそこの鉄板なら貫通させてしまうほどのパンチ力を持つから、五台の建機を相手にしても互角に戦った。だが、数度、地面に叩きつけられ、数発、建機のアームからいいパンチをもらってしまった。それらはすべてテレビ局や野次馬たちによって目撃され、撮影された。
飛んだり跳ねたりして、五台の建機をすべて戦闘不能にした後、初めて彼は背中のロケットを点火させ、夜空に飛び立って行った。
「よかったんですか? ロケットを使っても」
「帰りだけは使ってもいいと言われていた。一般人に正体を知られないためにね」
本来ならロケットを使おうが使うまいが、だれかに言われる筋合いのことではないのだが、とにかく日本政府は鉄影の存在を隠したがったし、自分の都合のいいようにしか使わない。それはずっと前から言われていたことだった。
「やっぱり、ぼくはおかしいと思いますね、日本政府の、鉄影さんに対する扱いは」
「インタビューのこんな序盤で、私情をさしはさむものじゃないよ」
鉄影は駿平をたしなめた。
「それで、ケガはどうだったんです? ぼくが見たところ、かなり辛そうでしたが」
「そこは私も超人だからな。あの後、ベッドで二時間ほど横になっていたら完全回復したよ。歴代の総理も、私をコキ使うのはこうしたところにあるんだろうな。どんなにボコボコにされても数時間後にはケロッとしていたんじゃ、自分の都合のいいように使う罪悪感も薄くなるだろう」
そう言うと、鉄影は自分のために注いだミルクを飲んだ。超人は酒も麻薬も効かないから、嗜好品を必要としないというのは本当なのだな、と駿平は思った。
[newpage]
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます