飛び下りた先で、私はいきたい。

篠宮ハルシ

~プロローグ~

~プロローグ~


「ねぇ、お父さん、お母さん。私、死んだらどうなるのかな?」


 幼い頃、両親にそう何気なく質問したことがある。確か、私が幼稚園の頃だった気がする。

 すると、二人は一瞬困った顔をして、顔を合わせた。

 突然ぶん投げられた、愛娘による哲学的疑問に対して何が正解なのか、彼らが知るはずがない。

 だって、それは人間が死ななければ決して分からないことなのだから。

 そして、それを知った時、私達人間は誰にもその体験談を告げることも無く一生を終える。

 そう、死後の世界とは人間が永遠に知ることのできない領域であり、人間が答えることができないものなのだ。


「お父さん? お母さん?」


 両親は自分達の困った表情で娘を不安にさせてしまった、と思ったのだろう。私の頭を撫でながら無理矢理口角を上げ、微笑んでこう言った。


「大丈夫。心配するな。お父さんとお母さんはずっと英怜奈えれなのそばにいるからな」

「そうよ。お父さんとお母さんは英怜奈とずぅっと一緒よ」

 答えになっていない両親の言葉に当時の私は、

「うん。わかった」

と、こくりと頷いた。

 

 そう頷くしかなかった。


 ※


「英怜奈! ねぇ! 英怜奈!」


 名前を呼ぶ声が聞こえる。

 声のする方へ顔を向けようとするが、動かない。

 頭も。口や首も。手も足も。

 体を動かすことが出来たのは、目と鼻の呼吸をする時だけだった。

 あと、声も聞けたので耳もなんとか機能しているらしい。


「嫌だよ·····。お姉ちゃんがいなくなったら私はどうすればいいの? 誰と生きていけばいいの?」


 ああ、由梨奈ゆりなか。

 なんで、私はたった一人の家族である妹にこんなことを言われいてるのだろう。


「どうしてなの·····。英怜奈、何も悪いことしてなかったのに! 手も足もろくに使えないのに車の運転なんかしやがって! あのクソババア!! 絶対にゆるさない!!!」

 

 ああ、そうだ。

 私、轢かれたんだ、車に。

 横断歩道で待っているところに、お婆さんの運転していた車が突っ込んできた気がする。

 曖昧にしか憶えていない。

 目の前に黒くて四角い、大きな物体が私の体に突っ込んできた事だけは憶えている。

 それ以降の記憶は無い。


「ごめんなさい·····。私のせいで·····。私が今日に映画を見に行こうなんて言わなければこんなことには·····、ならなかった!」

 

 違う違う!

 お前は悪くないし、そうだったそうだった。

 由梨奈と映画に行く約束してたなあ。

 たしか、『私が天使に一目惚れされてしまった件!』だっけ?

 『がにけん!』って呼ばれるいかにも量産型ラノベタイトルだけど、めちゃくちゃ泣ける恋愛純情作品だって由梨奈が言ってたなあ。

 まさか、私が天使を見る前に死神に一目惚れされちゃったとは。

 ああ、いろいろな変な奴にモテてしまうのも考えようだな。

 あっ! でも、もう考えることもないか。

 多分、私、死ぬんだろうから。

 なんか、分かるんだ。

インフルとかになった時の寝起きに全身が怠くて、「あっ、これもうダメなやつだ」ってなるやつ。死ぬ時もそれと同じみたいに分かるんだ。今、初めて知った。


「英怜奈! 英怜奈! 英怜奈お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 なんだよ、今日はよく私の名前を読んでくれるじゃん。昨日まで、「うっさい」「黙れ」「私のアイス返せ」くらいしか返事しなかったのに。挙句の果てには「お姉ちゃん」って。いつも名前呼び、呼び捨てなのに。気持ち悪いよ〜、妹ちゃんよ〜。


「先生! 脈が·····」

「うん、そうか」


 妹の周りにいたと思われる何人かのナースや男性医師の声が慌ただしくなってきた。

 そうか、ここは病院なのか。そして、私は真っ白なベッドの上と。

 参ったな。夢じゃなさそうだ。


「お姉ちゃん·····嫌だよぉ·····。一人にぃ·····しないでよぉ·····」


 眼球を泣き声のする方へ、力いっぱい動かす。

 鼻をすすり、涙を喉の奥に押し込み、目を真っ赤にしている由梨奈の顔が視界に入った。セーラー服の袖が涙やら鼻水やらでびちょびちょだ。そんな所で拭かないでっていつも言ってるのに。誰が洗うと思ってるの?


「うぅ·····。嫌だよぉ、お姉ちゃん·····」


 何泣いてんだよ。

 もう、私もお前をよしよしできないんだぞ?

 お父さんとお母さんもとっくの昔に病気で死んじゃったん だから、しっかりしな!


 ·····。


 泣くなよ·····。


 さっきみたいに私の名前を呼んでくれよ。

 もっとくれよ。寂しいじゃないか。

 もっと聞かせてくれよ·····。

 由梨奈の元気で可愛い声を·····、聞かせてくれよ·····。


「お姉ちゃん! お姉ちゃん! お姉ちゃん!」


 由梨奈がひたすら私の体を揺らし、呼びかける。

 その声に重なるように心電図の甲高い機械音や看護師たちの指示が病室に響き渡る。

 それに対し、私は返事ができなかった。車にはねられたショックでもう声なんかでないのかもしれない。

 もしくは、声を出す力すらもうないのかもしれない。

 でも、最後に言わなきゃ!

 私は体中のあらゆる神経を喉に集中させ、最後の力を振り絞った。

 すると、喉が動き始めた。


「ゆ·····り·····」


 その時だった。


 ピッピッピッピッ·····ピッ·····ピーーー!!!


 心電図が私の人生の終わりを告げた。



 その瞬間、私の世界は真っ白な空間に飛ばされた。


 私は大きく目を開いた。

 見える景色は全て真っ白。どこを見ても、自分の体を見ようとしてもあらゆるものが真っ白。

 何も無い。

 まるで、何もそこに存在しないかのように。


 私は体を大きく揺らしてみた。

 しかし、体も顔も何処も動かないし、その存在や感覚も無かった。

 まるで、意識だけがこの空間に閉じ込められているかのように。


 私は耳を澄ました。

 何も聞こえない。

 というか、音がない。

 無音状態を超えたの何か。

 まるで、この空間に何も存在しないかのように。


 私は叫んだ。

 一人が怖くて叫んだ。


 お父さん! 

 

 お母さん! 

 

 由梨奈! 


 でも、返事はなかった。

 さっきまで、由梨奈は隣にいたはずなのに。

 お父さんもお母さんもずっとそばにいてくれるって言ったのに。誰も返事をしない!


 ねぇ、誰か!

 返事してよ! 呼んでよ! 私の事、気づいてよ!

 ねえ! お願い! 一人にしないで! 

 嫌だ! 怖い! 怖い怖い怖い! 

 ずっとこんなところにいたくない!

 死にたくない!

 まだ、やりたいこともたくさんあったんだ!

 素敵な恋人ができて、デートをしたりしたかった。

 キスもしたかった。セックスもしたかった。

 親友の綾子は卒業したって言ってたなあ。

 まさか、処女のままで死ぬとは思わなかった。

 好きな人と体を重ねて温度や快感を分かちあいたかった。

 結婚して、子供産んで、家族でいろいろなことを経験したかった。

 成長した子供に反抗されたり、子供の結婚相手と緊張しながら顔を合わせたり、最愛の旦那さんと一生を終えたかった。

 でもこれは、一人の人間としての最低限のやりたいこと。

 まだまだやりたいことはたくさんあった。


 嫌だ! もう嫌だよ!

 なんで私が死なないといけないの?

 ねぇ、何で?

 神様、私、なにかしましたか?

 何もしてないなら返してよ!

 私の人生、私の大切な今と未来の家族を返してよ!

 死にたくないよおおおおおお!!!!



 自分の奥深くに眠っていた本心が全て吐き出された。

 孤独や後悔、絶望に嫉妬が入り交じる。

 最後の叫びを終えると、突然、目の前が真っ暗になった。

 すると、老若男女の様々な声が入り交じった声が聞こえた。それも、私に話しかけているかのようなものだった。


≪ようこそ。天界へ。あなたは、これから天使として生きてもらいます。さあ、目を開けなさい。新たな日々があなたを待っています≫


 なんだ、これは。

 怖い。でも、何故か安心した。

 声が聞こえると言うだけで、不気味な声でも安心してしまった。

 声の高さや話す間、イントネーションなど何もかも異なる不協和音だとしても、それは私の心、魂を歓喜で震わせた。


現界うつつよべる神の聖地、天界を担う天使として、平和、安寧な現界を我々が守り、発展を見守るのです!≫


 現界?

 神様? 

 天界を担う天使?

 何だ? 

 何だ何だ何だ?


≪今、ここに天生てんせいし者、新たな生命いのちとして翔けあがれ! 希望に満ちた翼を授かった子供たちよ!≫

 

 神様(?)のお告げに従い、目をゆっくりと開ける。

 するとそこには、見覚えのある二人が私の顔を覗いた。


「初めまして、エレナ」

「来てくれてありがとう、エレナ」


そこにいたのは、私の死んだはずの両親の姿だった。



 ※



 〜二十年後〜


 はぁ〜。

 今日の昼休みも仕事でほとんど休めてないよ。

 おかしいだろ、この量。私のデスク、私物ひとつ置けないもん。全部全部仕事の書類や参考図書じゃないか。


「おーい、新人! もうそろそろ昼休みも終わるぞ! あと、今日は連休前だから早めに戻れよ。天使が渋滞してるから! はよ!」

やる気のない無能声が聞こえる。お前、暇だろ、ダメカス!

「(ちっ!)はぁ〜い! ただいまー!」

「え? 今舌打ちした? 舌打ちした?」

「え〜、してないですよ〜。ただ、仕事しない奴に仕事しろと言われたので、少しイラッとしただけですよ〜」

「そうか·····え? それ、俺? 俺?」

「さあ? 暇なんだから考える時間はたくさんあるでしょ? ダメカス先輩」

「ダメ·····カス·····!? ホメロスだ! ホメロス! くっそ·····。しょうがないじゃんしょうがないじゃん! 今、ソシャゲのイベントで今日中に周回しないとアイテム貰えなくなっちゃうの! 限定アイテム!」

堕翔だしょうさせるぞ、給料泥棒·····」

「ヒィッ! ご、ごめんなさいエレナちゃん·····」

 

 ゲー廃職務怠慢クソ上司の翼の横で持っていたハサミをチョキチョキと音を立てて脅す。これくらいしないと分かってもらえない。はあ、部下は上司も選べないって、お父さんはよく家で言っていたけど、その意味が最近になってようやくわかった。


 急いで自分の持ち場に足を運ぶ。足元でむくんだ足を守るハイヒールが愉快な音を鳴らしている。右手に持ったペットボトルのお茶を勢いよく流し込み、ふぅっと息を吐く。

 お客様の姿もだんだんとハッキリ見えてきた。

 時計を見ると、十三時半にまもなくなるところだった。

 さあ、あと、四時間!


 頑張りますか!


「いらっしゃいませ。天界使役所てんかいしやくしょ特殊天生てんせいサポート課、エレナ・ココリンと申します。本日はいかがなされましたか?」

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