託す願いは名も無き虚構

 肉塊の島の中心部で闘いの青炎が灯った頃、その外縁では、小型船が岸から着かず離れずの位置で停泊していた。


「・・・・・・船が揺れてる?」


 弥勒は操舵室から顔を出すと海面を覗いた。凪いでいた海は、かすかに波が立っている。


「そろそろですね」

「なら、アンタも起きろや」


 甲板の縁に身を隠していたメメメが、エクシーに毒づく。

 彼女は休日を惰性で過ごすように甲板に仰向けで寝転んでいた。だが何も暇を潰していた訳じゃない。船の縁より頭を下げていなければ、近くの岸で行われているメイドと兵隊の乱痴気騒ぎの流れ弾で、別の船で三途の川を渡る必要がでてくる。


「奈良原弥勒。船の運転はできますか?」

「免許はないけど経験なら多少。・・・・・・おい、もしかして僕にさせるつもりか!?」

「少なくとも、当て勘で操縦した私より良いでしょう。よっこらしょういち」


 エクシーは上半身をもたげる。すると狙い澄ましたように、彼女の真横を銃弾が掠めた。流れ弾だったが、それに気に留めることもなく岸で闘うメイドを呼ぶ。


「クロエ・ヴァーエルッ。乗りなさいッ」


 怒号と銃声のまみれる肉の岸で、クロエはエクシーの声を確かに聞き、咄嗟に島の火口部に振り返った。


 肉の島は腸壁のように襞があり、それが森のごとく視界を塞いでいる。

 彼女が鋭い眼光で見据えたのは、その稜線のような肉襞の妖しい蠢きだった。


「──ッ」


 クロエは発車寸前の汽車に駆け込むように、直ぐさま手荷物かんおけを拾うと猛然と船へ駆ける。


「撃て。撃てッ」

 兵士達の怒号と乱れ撃たれる銃弾の間隙を、クロエは巧みに縫っていく。

 だが、狼のように走る彼女と船との間には一個小隊の壁があった。Fiction Holderを鎮圧するべく鍛えられた精鋭達は、颯爽と駆ける彼女に槍衾のような銃身を並べる。


「王女よ」

『ahhhhhhhaaaa』

 

 従者の呼び掛けに応じて、枯れ木の王女は手を上に伸ばす。

 帯紐のように伸びた二条の両腕を、王女は眼前の兵士達が引き金をひくより早く、地面に叩きつけた。


「あ」


 と、声を上げたのは兵士たちだ。

 叩きつけられた両腕は、兵士を叩かず、その手前の地面を叩いた。そしてそのまま身体を伸ばした。あとは棒高飛びの要領だ。悪食の王女の棺桶を抱いたクロエは、しなる王女の身体をつかって、紅甲の小隊の頭上を飛び越えていく。


 そして見るも鮮やかに、クロエは迎えの船の甲板に着地してみせた。

「うおおおお。全速旋回ッ」

 弥勒は操舵輪を回して、船を右に旋回させていく。

 その船尾を銃弾が雨粒のように叩く。


「やばいやばい。この小型船じゃ持たない!」

「いえ。大丈夫です」


 身をかがめていたクロエが立ち上がった。

 彼女がいうように、徐々に被弾の雨音が絶えていくのが分かった。


「な、何が起きたんだい?」

「単純なことです、ミスター。あの島は隷属の右腕の因子を色濃く受け継ぐ肉の島。その聖骸が微睡みから覚醒すれば、触れた瞬間、すべての生き物は隷属される」


 途端、運転する弥勒の耳に悲鳴が届いた。

 島にいた兵士達が一同に悲鳴をあげた。だが、蠢きが岸の端まで到ると悲鳴はやみ、虚脱して微かな痙攣を始める。そして虚ろになった脳髄に仮初めの多幸感に注入されると、全身をくねらせて、歓喜と狂乱の踊りを始めた。


「うげげげ。寒いイボが立った。えんがちょ、えんがちょ」

「え、どうなっているんだい。見えないんだけど」

「ミスター弥勒は見ない方が良いでしょうね。それよりも加速を。追いつかれます」

「何に!?」


「島の触腕です」


 そう。彼等が乗る小型船はいまだ脅威から脱していない。

 そして彼等を狙う脅威は波間を隆起させて、岸から貝のように食指を伸ばしていく。


 それは手の群れだった。

 しかも指の付き方からして全てが右手。その真っ白い白魚のような右手首の折り重なった群体が、一個の触腕として船を追い掛けてくる。


「やべえ。あれ船より速いぞ!」

「そのようです。王女でさえ不用意に触れれば、島の兵士のように隷属されるでしょう」


 クロエは冷静に船尾から隷属の触腕を眺める。


「おいおい。暢気に解説している場合かよ。くるぞくるぞおおおお」


 メメメの絶叫が轟き、異形の触腕は飛沫をあげ、船尾に立つクロエを狙う。

 だが、彼女の瞳に感情の揺らぎはない。


「触れなければ良いのでしょう。王女よ」

『urrrrrrrrrrrrrrr』


 棺桶に収まっていた王女は、両手を口に突っ込むと胃袋から粘ついた塊を取り出すや否や、鈍い閃光が瞬き、歪な触腕は水面に散る。


「おいおい。なんだそりゃ」

「王女が食べた残留物ですよ。それを胃で固めた、いわばジャンクです」


 王女の両腕に握られていた得物えものは、様々なスクラップを溶鉱炉で溶かし固めたような二振りの棒鉄だった。それを王女は血ぶりのよう振り払うと、突端を新たな触腕に向ける。


「お嬢様の血肉から産まれたものは無碍に扱いたくないのですが、もはや虚亡という神であるのならば、躊躇うこともないでしょう。それに──」


 クロエは再びやって来た触腕を斬り払うと、傲然という。


「お嬢様・イズ・GODッ!! 他の神を仰ぐつもりはありませんッ!!!!」


「よし。これなら逃げ切れる」

 クロエの功績により、弥勒が背後を覗える程度には触腕から距離が離れていた。

 弥勒は嬉嬉として波間を切っていく。


「いえ、逃げ切ってはいけません」


 不意に操舵室に入ってきたエクシーが徐に操舵輪を切る。


「ちょ、ちょっと。何してるんだ!?」

「奈良原弥勒。このまま島を周回なさい。決して今は走る円より外に出ないように」

「また何か隠しているのか!?」

「そうじゃありません。【容貌なき怪物】の効果範囲を超えずに走れ、と言っているのです」


「どういうことだい?」

「少し考えたら分かることです。あの島には彼がいる。そして隷属の汚染は当初から予測できた事態です。彼も兵士のように狂乱の隷属に墜ちる。だから保険を掛けた。彼の『他者に操られてくない』という恐怖を【容貌無き怪物】で再現することによって」

「もしや同毒療法ホメオパシーか!?」

 

 同毒療法とは、とある病に罹った患者に、その疾病と同じ症状を引き起こす物質を少量投与することで治療するという、まさに毒を以て毒を制しようとする治療法だ。エクシーはそれと同じように、自らの虚構を以て、聖骸の隷属を阻害しようとしている。


「そんな付け焼き刃で勝てるのかい」

「無理でしょう。これは単に時間稼ぎですから」


「時間稼ぎ?」

「ええ。彼が所持する本当の虚構に気づくまでの」


 エクシーは周回軌道を走る船のなかで、遠く島の中央にいるであろう少年を眺める。


「アリスの被写体やイタケーが何も無根拠に、彼を焚き付けた訳じゃありません」


 飛沫が舞う船上で、彼女はいう。


「それは理論上、存在が推測される名も無き虚構。そしてFiction Holderの全員が持ちうるとされながら、いまだ発現が確認されていない物語群。それが彼の手で紐解かれたのなら」


 エクシーの右目が、千種の真贋を探るように細められる。



「彼は人類で唯一、虚亡の天敵になり得る」

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