裏切りの羽音

「なッ!?」

 

 頽れたエトランゼに銃声は再び轟いた。

 弾丸は執拗なほど彼女の足に撃ち込まれていく。


「クロエッ」


 堪らず飛び出した。

 だが彼女はひらりと後ろに身を躱すと悠然と通路の前にたつ。

 

 ぞぞぞぞぞぞぞぞぞ、と。

 

 合図を待っていたように、六つ足が地面を這い、奥から大量の【牛鬼】が姿を現した。蟲達はあっという間に広場の大半を占める。


「・・・・・・クロエよ。何故、裏切った」


 うつ伏せに倒れたエトランゼが上半身をもたげる。


「貴女を助けるためです。お嬢様」

「たすけ、る?」

「貴女は死ぬ気でいる。そうでしょう」


 そういって銃口を突きつけるクロエは、まるで自分が裏切られたとばかりに悲壮な色を帯びていた。胸にこみ上げるものを必死で抑えるように深く息をする。


「貴女は殺されるつもりでいた。自分に罰を求めていた。その為に地獄を下りたのでしょう」


 いつもの怜悧な眼差しから、徐々に怒りを帯びていく。


「なぜ貴女が罪を覚える必要があるのです。貴女が地獄に堕ちる前に、永遠の呵責に苛まれる必要のある屑共は大勢いる。紛争を起こした者。それを誘導した者。泥沼の状態に陥れたもの。だけど貴女は違う。貴女は多くを救ったでしょう。多くの罪を糾したでしょう」

「それは、違う。我は我の意思で虐殺した」



「嘘ですッ!」


 クロエはヒステリックに叫びあげる。


「貴女は知っていたはずだ。抵抗すれば、先代と同じように隷属の右腕を故意に破壊され、肉塊の産物になることを。彼女のように、生きながら尊厳を踏みにじられることを」

 そういって彼女は足下を指さす。


 途端、千種は理解した。

 この【封絶の路あまのいわど】自体が、以前、肉塊に堕ちた先代の担い手のなれの果てなのだ。


「貴女は可能な限り被害を少なくするために立ち振る舞った。刃向かえば肉塊にも拘わらず、試体として回収されようとしていた子供達を助けてくれた。


   ──私を、助けてくれた」

 

 ようやくそこで理解に到る。

 

 彼女がここまでエトランゼに心酔する理由。

 彼女を英雄と語った彼女の想い。

 

 それは全て、命の恩人に対する献身。

 そして彼女は愛する英雄を護るために、その英雄を裏切ることを決意した。


「ベンソンに何か吹き込まれたな? 奴が隷属の右腕を占有すれば、世に響き渡る阿鼻叫喚は更に声高くなるぞ」

「世界など知りません。正義などなくていい。貴女だけが生きていれば」

 

 クロエは殺気立つ蟲達を手で制止ながら、自嘲げに笑う。

「奴は聖骸の右腕を古巣のEU統括管理学園機構に持ち込むつもりです。統括機構の枢密院の座に登るための手柄にするつもりでしょう」

「それで我も欧州の地に後戻りか。結局場所を移しただけではないか」


「いいえ。貴女は天乃鳥船に残る」


「なに?」

「イタケーは諸国連合。どの国の者が隷属の右腕を占有しようとすれば諸国間の戦争となる。それだけではない。各国との均衡が崩れ、人攫いハーメルン紛争などボヤ騒ぎだったと笑うような巨大な戦禍が広がる。彼等は隷属の右腕の権能に興味は無いのです。必要なのは、隷属の右腕が使用されないという保証。制御スイッチは自らの手に、サイロは極東の絶海に。そうして彼等はようやく枕を高くして寝られる」


「汝はそれを信じたのか?」

「信じましたよ。そうしなければ、お嬢様は死んでしまうでしょう?」


 おそらく彼女に選択肢などなかった。

 ベンソンの取引を拒否すれば、エトランゼは千種によって悲願を達成する。


「・・・・・・それでは隷属の右腕はこちらで戴きます」

 そういった途端、蟲の一群から朽ちた人間の腕が飛び出した。枯れ木のような肌艶の両腕は破壊されたと騙った【悪食の王女の悪癖】の腕だ。それが七本指の黒く艶めく右腕を奪う。


「されるかッ!」

「チグサ、止まれ!」

 右腕を奪い返そうとした千種を、エトランゼは声をあげて止める。


「・・・・・・クロエ。隷属の右腕はやる。我も籠の鳥を気取ってやろう。しかし、こやつは我に踊らされただけに過ぎぬ。我のエゴの犠牲者に過ぎぬ。命ばかりはとるな」


「出来ません」

 エトランゼの懇願をクロエは一蹴する。


「月並みな台詞ですが、クソ虫は、・・・・・・嘉吉千種は知りすぎました」

「なら、己をどうする」


 千種は発動済みの籠手を構える。


「言わなければ伝わりませんか」

 女王クイーンの殺気を感じ取った兵士ポーン達が、一斉に六枚の羽根を振るわせ、肉を引き千切る顎を打ち鳴らす。

 制するようにあげていた手がゆっくりと掲げられる。


「お嬢様を一時的に留める為に集めた蟲です。留める方法も言う必要はありませんね」


「侍女の格好をしてるんだ。淑女を引き留める作法ぐらい覚えさせとけ」

 千種はいつものような軽口を叩く。

 しかしクロエは真摯に詫びる。


「それについては謝罪を。私は蟲が嫌いなので」

「知ってるさ。己が一番」

「最後に恨み言なら聞きますよ、嘉吉千種」

 クロエの目は憂いを帯びていた。

 その瞳を見据えて、千種は吐き捨てる。



「次に会ったときは殴られる覚悟をしとけ、棺桶メイド」

「・・・・・・そうであったら。なにより良いか」


 彼女は掲げた指揮の手を、ギロチンのように振り下ろした。

 蟲が一斉に千種とエトランゼに群がっていく。

 

 クロエは餌にたかる蟲の群がりに背をむけると【封絶の路】から出て行った。


 裏切りの圏獄は蟲の羽音だけが響いていた。

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