抑止の少女は殺戮の空で何を想う


「僕等のボスは躊躇いがないね。役員会の爺共に見習わせたいよ」


 弥勒は内ポケットから煙草を取り出した。

 だが寮の屋上に吹く海風でうまく点火できず、彼はそうそうと諦めてボックスに戻した。

 

 千種は作戦会議後、弥勒に誘われて屋上までやって来ていた。それから特に話が弾むわけでもなく、弥勒は欄干に凭れてぼんやりと海に浮かぶ漁り火を眺め、千種は海に背を向け、遠くセントラルタワーの威容を眺めていた。


「成功すると思うかい」

「成功させるしかない」

「そりゃそうだ」


 弥勒はカラカラと笑い声をあげる。彼はひとしきり笑い終えたあと、再び煙草のボックスを取り出して、千種に差し向ける。


「未成年だ」

「分かってるよ。渡すのは別の物さ」


 彼らしい迂遠な物言いに誘われるまま視線を向けると、ボックスの中に細長いフィルム状の薄いプラスチック片が巻き煙草のように差し込まれていた。


「個人的には煙草のほうが、まだ健康に良い」


 抜き取って掌の上で平らにのばしてみる。丸めた銀紙を開くような感触のあと、プラスチック体は電気発色を始め、一片の液晶になって画像を表示した。

 千種は画像に目を見張り、掌でスライドする。


「・・・・・・これ間違えないのか?」

「残念ながら」


 弥勒はいつしか煙草を点けていた。吸っていなければ、堪らないと言うように。

 千種はひとつ、弥勒に頼み事をしていた。

 

 エトランゼ──隷属の右腕の担い手の過去を洗えるだけ洗って欲しいと。

 

 弥勒も作戦に参加するに辺り不安はあったのだろう。二つ返事で了承した。

 作戦の立案者たる少女が、隷属の右腕を欲する目的は現状、全く見えない。千種はそれを知る目的もあって彼女と食事を共にしたが、そこで得たのは〝渇望〟という漠然としたもの。

 

 無論、千種も彼女が本心を全て語ると思っていない。だから彼女の渇望を知るために、弥勒という、唯一、千種側の味方に頼んでいた。勿論、彼は興信所でなければ国家公安の人間でもないだろう。だから大した期待もしていなかったのだが。


「そもそも聖骸器官が世界の抑止力として成立している時点で気づくべきだったんだ」


 本土のツテから彼女の証拠写真アルバムを引っ張ってきた功労者はいう。


「核兵器が抑止力になり得たのは広島と長崎があったから。どれだけ天文学的な数字と有識者の警句があったとしても、灼け爛れた人間には敵わない。聖骸器官も未曾有の被害を出して居なければ、国家間の抑止力として成立しない」


 画像はエトランゼがいかにして抑止力になったか窺いしれるものだった。


 燃えている。

 折り重なるように人々が雲霞のように堆積した黒山が──スライド。


 顔を砕いた老若男女が横一列に寝ている。

 一様に手に煉瓦を握っている──スライド。


 背後の者が殺し、その後ろの者が刺す死骸のドミノ──スライド。


 酸鼻極まる情景が、スライドする度にプラスチック片に映し出されていく。


「千種少年は関東が塵都と化したあと、すぐに御山に棲んだから知らないかもしれないが、あれから世界は一度、破滅しかけているんだ」


 そういって彼は再び煙草の先端に火を向ける。

 足下に置かれた携帯灰皿には、すでに吸い殻が三つ、綺麗に差し込まれていた。


「考えてもみたまえ。朝起きたら隣人が化け物になっている悪夢を。虚構という前代未聞の暴力を得た者達が跋扈ばっこする社会を。すぐに暴徒が出た。最初は社会面に載る程度の軽犯罪だったが、世界がヒステリックに騒ぎだした頃には、何処もしかしこも、自主制作版マッドマックスの撮影で大忙しだ」

 

 当時の記憶を思い返した弥勒は、ふかぶかと紫煙を吐き出す。


「それも先進国を中心に沈静化していった。だが、狂気は静かに育っていた。Fiction Holderという人材資源の獲得競争。新たな錬金術に魅了された者達の画策は、あまりにも前時代的な方法だった。──紛争地に火種を投げ込んだんだ。両勢力に資金や武器を横流しし、大規模な紛争になった途端、保護を名目に軍事介入を始める。そうして難民保護という名目で紛争地のFiction Holderを自国に囲い込む。アメリカのクオリティペーパーはその惨状を『人攫いハーメルン紛争』と揶揄したよ」

 

 世界は悪意に満ちていた、と弥勒は言う。


「そして彼女も従軍した。だが画像から察するに、攫うのは二の次だ。おそらくその惨状は、ありふれた紛争の一つで起きた、最も悲惨な末路だ。・・・・・・一人の少女の手で執行された大虐殺ジェノサイド。隷属の右腕という神の血肉が、もっとも効果的に威力を示した実例。──彼女はその日、抑止力となったんだ」

 

 世界を震撼させた抑止力。

 一人で未曾有の大虐殺を為し得る荒人神。

 そんな化け物を、少年は殺さんとしている。


「奴は自分の目的は〝渇望〟を叶えることだと言っていた。もしも奴の渇望が、大虐殺のような悪逆をなすことなら、たとえエトランゼが悪鬼あっき羅刹らせつ神仏しんぶつ諸尊しょそんであろうとも斃すことに一毫の恐怖も覚えない」

 

 千種は断言する。

 絶対に殺してみせる。一切の呵責なく。


「それなんだが」

 躊躇いを捨てた千種の隣で、弥勒は煮え切らない声をあげた。


「ひとつだけ気になることがあるんだ」

「気になる?」

「彼女は隷属の右腕を手に入れたい。だから僕等を集めた。従者クロエ・ヴァーエルは内部の情報収集とデータの改竄、塩埜目愛萌は監視を避けるため、僕は深層区域の減圧。そして君は隷属の右腕を護る【封絶の路】を破壊するために。でも一人だけ、それでは説明がつかない人間がいるんだよ」

 

 弥勒は吸いさしの煙草を携帯灰皿に押しこんだ。



「君さ。君だけが矛盾してる」



「待ってくれ。己が? だけど、おっさん自身がさっき言ったじゃないか。己の役割は【封絶の路】を破壊するためだって」

「まさにそこだよ。もし破壊が目的なら、順序がおかしいんだ。僕は後々伝え聞いた話だから間違えがあってはいけない。だから思い出してくれ。彼女が君を助けた時のことを」


 弥勒はいう。

 千種は当時、坂田時臣の攻撃によって満身創痍だった。一時は意識を失いかけ、死に体になりながらも抵抗した時、エトランゼが手を貸した。

 

 その時の情景を思い出し、はたと気づいた。

 弥勒は首肯する。


「そうなんだ。。武装占拠時も抵抗せず、無垢な少女が自殺に追い込まれても諦観を決め込み、君が襤褸雑巾のように殴られても尚、顔色を変えなかった彼女が、あのとき、君に手を伸ばした。善意の所業というには遅すぎて、自己利益のためには早すぎる。──君が一切の勝機もなく、ただ死にゆくだけだったとき、彼女は決断したんだ。僕にはそれが真の目的、彼女がいう〝渇望〟に思えてならない」

 

 弥勒はいう。

 彼女は一つだけ、大きな嘘を付いている、と。


「彼女は本当に聖骸器官を手にすることが目的なのかい?」


 根幹たる疑問を残して、弥勒は推理を締めくくった。

 その時、手元のプラスチック片に映し出された画像に、一枚だけ彼女の姿があった。


 いまだ火が燻る街路で、カメラに背を向け、ぼんやりと空を望んでいる。

 表情は窺い知ることはできない。

 なのにどこか、あるはずもない既視感を覚えた。

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