第3話 ノート page2
私が注射器を持っていると、お兄ちゃんが「ちょっと貸してごらん。よく見てるんだよ」、と言って注射器に水をいっぱい入れはじめました。
何をするのか不思議に思って見ていると、突然コンクリート塀の下で行列を作っている蟻に向かって水を飛ばしはじめたのです。
ふいの出来事に蟻たちは驚いて散り散りに逃げ惑います。
見かねた私が、「アリさんが可愛そうよ」と言うと、お兄ちゃんは聞こえてないのか、今度は注射器の針でうろたえる蟻を1匹ずつ突き刺しはじめました。
私は蟻がもがき苦しんでる姿を見て泪が出そうになりました。
それに飽きたお兄ちゃんは、不意にその注射器を私に向けると、水をかける真似をしたのです。
私はじっとしたまま注射器を見ていました。
怖いというよりも、注射器で水をかけられたらどんなになるのかなという気持が先に立ったのです。
そんな私の姿を見て「かけるぞォ!」とおどしたのですが、私は笑っているだけでその場から逃げ出そうとはしませんでした。
目の前に何かが動いたと思った瞬間、額から鼻にかけて勢いよく水が飛んできました。
ところが、水だけならよかったんですが、水の糸が乱れると同時に注射器の針まで飛んできたのです。
軽い痛みを感じた瞬間には額の中央に真っ直ぐに刺さっていました。
お兄ちゃんは慌てて近寄るとそっと針を抜き、
「ごめんね」と言って道の脇に生えているシロツメ草の葉を1枚もぎ取ると、それをよく揉んでから唾をつけ、そっと額のその部分に貼りつけてくれました。
私はその葉を左手の指で押さえてしばらくその場にしゃがみ込んでいましたが、
5分もするとまたお兄ちゃんについてよそへ遊びに出かけました。
もしその針が左右どちらかの眼球を襲っていたら……、と思うと背筋が寒くなります。
その日の夕方でした――。
遊び疲れて家に帰ったとき、ママが目ざとく傷跡を見つけ、怖い顔をしてわけを訊ねました。
しかし私は黙ったまま何も言いませんでした。
もしそれを話したら、明日からお兄ちゃんと遊ぶことができなくなると思ったからです。
やがてパパが会社から戻って来ると、ママはすぐにその傷を見せました。
パパは額の傷を覗き込んで、「たいしたことはない。薬でも塗っておけばすぐに治るだろう」と言い、私の額を優しく撫でてくれました。
それからしばらくの間、私は額にバンドエイドを貼っていなければなりませんでした。
次の日からママは私の行動を逐一監視するようになりました。
遊び盛りの私にとって監視の目が緩むまでの数日間というものは大変辛い毎日でした。
いつも遊んでくれるお兄ちゃんと会うことができないし、外に出て自分の行きたいところにも行けなくなってしまったのです。
私はつらくて泪が出そうでした。
いま想うと、それ以来私はママに対して少しずつ反抗的な態度を見せるようになった気がします。
そのときママはおそらく子供の成長過程にありがちな反抗期としか思っていなかったでしょう。
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