卓上の想いは庭園に

きくらげ二等兵

第1話 早朝の一幕

「ピーピーピーピー」


嫌気がさす程無機質な機械音が私の神聖なる眠りを邪魔する。


「お姉ちゃん、うるさいんだけど・・・」


誰が見ても機嫌を損ねていると分かる顔で弟の昴が部屋に攻め込んできた。無慈悲な弟は私の身を守る布団を奪い去った。もはや冬とは呼べぬ季節になった三月末の朝の陽射しは私の瞼を通り越して網膜を焼いた。目の内側には私の血潮の色が広がる。


「朝練、行くんでしょ?」

「今日はサボる・・・」

「良いの?また舞ちゃんと喧嘩しても知らないよ?」

「うぅ・・・」


舞ちゃんとは所謂私の幼馴染だ。それと同時に私の所属する女子卓球部の主将を務めている。清楚な見た目とは裏腹に熱血なスポーツマンだ。故に朝練を部員に強く斡旋してくるのである。ましてや副部長である私は朝練に出ないと後輩に示しがつかなくなるという理由で強制参加状態である。元来、朝に弱い私からすると地獄のような日々であった。しかし、舞と喧嘩する日々よりは遥かにマシなので何だかんだで日々努力するようにはしていた。


「でも、遅刻くらいは良くない?」

「先週もそういって二度寝して学校すら遅刻したのは誰?」

「はい、私です・・・」


「ピーンポーン」


不穏な機械音が家中に響く。急いで窓から玄関の外を覗くと張り付いたような笑顔を浮かべた舞が仁王立ちしていた。少し汗ばんだ顔からは朝のランニングを終えたことを伺わせた。明らかに私と目が合っているにも関わらず舞はわざとらしくインターホンに無駄に明るく話しかけた。目的の相手は母だ。


「すいませーん!亜美ちゃん起きてますかー?」

「あら、わざわざ悪いわね。うちの亜美ったらまだ起きてないのよ・・・」

「そうなんですか・・・亜美ちゃんとの練習楽しみなのになぁ・・・」

「うっ・・・待ってて?今文字通りたたき起こしてくるから。」


一連の様子を見ていた私は苦笑いを浮かべるしかなかった。あのかわいい笑顔の憎めぬ悪魔の所業を指くわえてみているしかない自分が情けなかった。しかし、自業自得であるのは否定しがたい。弟はとばっちりを受けないように自分の部屋へと既に逃げていた様だ。我が弟ながら非常に賢い判断だと思う。何故ならば私の体は間もなく文字通り母の鉄槌を受けてベッドに飛び込むという帰結が確定しているからである。


「今の時代、女子中学生を殴る母親なんてお母さんだけだよ・・・」

「殴る理由を作るあんたが悪い。」

「確かに」


母と弟が敵とはこれ如何に。お父さんはいつ単身赴任から帰ってくるのでしょうか。私の味方はきっとお父さんしかいない。お願いです。早く帰ってきてください。あなたの可愛い娘は酷い仕打ちを受けています。


「いいから早くいってきなさい。」


母の鶴の一声で私は朝ご飯を食べる間もなく着替えだけ済ませると家から放り出された。目の前には天使のような悪魔。無言で私の腕を強くつかんでいる。


「亜美?今日の言い訳は?」

「ありません・・・」


昔から私は舞に頭が上がらない。頭脳明晰、容姿端麗、運動神経抜群。私もすべてにおいて並よりは上等な成績を残しているはずだ。だが、舞には全てあと一歩及ばない。それでも舞に着いていけるのは私くらいだと自負している。だからこそこの扱いはないだろうと毎回思う。でも彼女が歯に衣着せぬ物言いをするのは私に対してだけであり、その特別感に浸って満更でもない私がいた。舞はグイグイと私の手を引いて学校へと向かっている。私の家から学校まではそう遠くないので小走りで私たちは朝練に向かっていた。しかし、朝食抜きの私は朝練の後の授業が心配であった。授業中にお腹がぐぅーと鳴るのはうら若き乙女には耐え難いのだ。


「朝ご飯・・・」

「サンドイッチ作ってきたから大丈夫。練習の後に食べて?」


舞が微笑みながらサンドイッチを入れた箱を見せてきた。その笑顔は朝方、玄関で見た張り付いたような笑顔とはまるで別であった。この世の人間で一番天使に近い、そんな微笑みであったと思う。少なくとも私にとっては。


「だから、ほら急ごう?」


舞は私の手を引いて急かした。私と舞がつないだ手の間には二人の手汗がまじりあっていた。その手汗の要因は小走りのせいなのかそれ以外なのか私には分からなかった。ただ、いつもより動悸が激しかった気がする。きっと最近運動不足だったからに違いない。私はそう思い込むようにした。

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