【完結】茅ヶ崎・氷ノ山神社~神様と許嫁な私と幽霊と~
東雲飛鶴
【序】キミは僕のお嫁さんなんだよ!
――私は神と恋をした。
無邪気で一途な、白兎の神と――。
女子高生・
なんで神様が彼氏なのかってのには、込み入った事情があるのだけど……。
☆
話は半月ほどさかのぼる。
一学期の中間試験もようやく終わり、開放感に満ちあふれた試験休みに突入。早速薫は、友人の家へ遊びに行って、その帰りのことだった。
彼女は懐かしさから、昔住んでいた家の近くに建つ、とある神社を参拝した。
そこは、ちっさくて、古くて、階段だけやたら長い、相模湾を見通せる小高い丘の上にあった。
その名は『
のちの薫の恋人、雪宮李斗の自宅兼仕事場だった。
でも参拝者なんて誰もいないから、仕事しているとは言い難い。お祭りがあるとも聞いたことがないので、きっと氏子もいない。
なんで氏子いないの? と薫は李斗に聞いたこともあったけど、
「昔ちょっと……」
と口ごもって、薫に詳しいことは教えてくれなかった。
子供っぽい李斗のことだから、きっと何かやらかしたに違いない、と薫は睨んでいるけども。
☆
薫には、かつてこの神社に来た記憶がある。それ以上も以下もない。
……はず、だった。
その日の用向きは、八年前に母親と離婚して現在絶賛別居中の父親と「昔のように一緒に暮らしたい」、と神さまにお願いをすること。
親が離婚して以来、薫は、神社を見かけては願掛けをするようにしている。
神頼みなんて基本ダメ元なわけだけど、今の今まで別居続行中だから、神サマなんていないんじゃない? と彼女が思っても仕方無かったわけで。
薫は、小ぶりな本殿の前で機械的に一連の動作を行い祈願をする。
パンパン、というアレ。
「パパと一緒に暮らしたいです。お願いしまーす」
と、毎度の定型文を口にする。
そして、くるりと鳥居に向かって
「まって! ……薫、ちゃん?」
急にどこからか声をかけられた。
変声期を超えたばかりといった、少年の声。
「はぁ、そうですけど」
彼女は振り向きながら、気の抜けた声で答えた。
見ると、年の頃十四、五歳ほどの小柄な男の子が、ひどく驚いた顔で薫を見つめながら、本殿の脇に立っている。
輝くような白銀の髪に、紅玉のような真っ赤な瞳。血管が透けて見えそうなほどの白い肌……。
――これって、いわゆるアルビノってやつ?
色素のない突然変異種、と学校で教わったけど……。
着物に袴という身なりからすると、多分神社の関係者……、いわゆる神職だろう。でも頭の記憶領域をどうほじくり返しても、こんな美少年には見覚えがない。
薫はおそるおそる少年に問いかけた。
「あの……、どちらさま、ですか? お会いした覚えないんですけど」
「薫ちゃん、僕だよ。李斗。ここの氏神だよ。まさか……忘れちゃったの?」
氏神の李斗と名乗る少年は悲しげにそう言うと、砂利を踏んで小走りに薫の目の前までやってきた。彼を近くで見ると、驚くほど肌が綺麗だ。焼き物のような肌、という表現があるけれど、これがソレなのか、と彼女は実感した。
「えっと……。ごめんなさい、わかんない……です」
「ええ〜〜〜〜っ、そ、そんなぁ」
信じられない、といった様子で彼は小さく頭を左右に振った。
そして両の瞳を、ぷるぷる揺れるいちごゼリーのように潤ませ、
「……ひどいよぉ、自分の婚約者を忘れちゃったの?」
――いま、なんて?
「こ・ん・や・く・し・ゃ……? 誰が?」
「ええええええええええええぇぇ……」
彼はひどくうろたえた。
かなりのショックだったのか、唇をぎゅっと噛むと、白い頬に大粒の涙がこぼれはじめた。
彼は両の拳を握りしめ、震える声で必死に訴え始めた。
「か、薫ちゃんに決まってるでしょ! 僕のお嫁さんになってくれるって、薫ちゃんが自分で言ったんだよ? なのに、八年も、八年もだよ? 僕をほったらかしにして! ずーっと来てくれるのを待ってたのに、ひ、ひどいよぉ!」
薫の思考がフリーズした。
三秒後、
「え? え? えええええええええええええええええええ??」
――そんなの、初耳です!!
「ね~、薫ちゃんてば~、聞いてる?」
彼はその後も、しつこく食い下がってくる。
薫ちゃんの鬼畜! とか、どうして僕を捨てたの? とか、僕のお嫁さんになるのは決定事項なんだからね! とか、結婚資金なら一杯あるんだから! とか、しまいには、結婚してくれないと祟ってやる! とかなんとか……。
自称氷ノ山神社の祭神は、薫の目の前で泣きながら物騒なことを口走っている。
薫は必死に記憶の底を漁ってみたが、そんな証拠は欠片も出て来ない。
(こ、こんなのにプロポーズしたのか、八年前の私。
しかも神サマ? マジあり得ない……)
「んーな大昔のことを言われても困るし! 仮にそれがホントだとして、子供の口約束じゃない。なんで私がボクちゃんみたいな子と結婚せにゃならんのですか?」
薫はようよう言い返した。
「……見て、薫ちゃん」
そう言って、彼はパスケースを差し出した。
薫は、恐る恐る彼の手から茶色い革製のパスケースを受け取った。
開くと、中には写真が二枚。彼と子供が写っている。
子供の方は、……確かに薫だ。彼女はこの服に見覚えがあった。
「うそ……私、じゃん。でも――」
――日付は、八年前? どう考えても計算が合わない。
だって彼の容貌が……。
「これって、もしかして貴方のお兄さん?」
不思議そうに写真を眺める薫の手から、彼はひょいとパスケースをつまみ上げると、鼻をすすりながら大事そうにそれを再び懐にしまい込んだ。
「いいや。どっちも正真正銘、薫ちゃんと僕」
「まさか……、計算合わないよ」
「ホント。撮ったのは君のお父さんだよ」
「そうなの?」
「君のお父さん、ここですごい数の写真を撮ってたから、処分されていなければ、僕との写真は必ずあるはずだよ?」
――パパの撮った写真なら、今でもたくさん残っている。
でも、彼との写真は一枚も……。
「こんな写真、家にないよ。今まで見たこともない……」
薫がそう言うと彼の顔が僅かに曇り、思案顔でぶつぶつ独り言を呟いた。
「そっか……。薫ちゃんと僕の写真、いっぱいあるよ。見たい?」
(正直、家に一枚もない不思議な写真も、この子のことも気になる。でも……)
「ねぇ、キミって本当に神サマなの?」
「それも忘れちゃったの?」ふぅ、と小さくため息をつくと、
「じゃ、良く見ててね」と、彼は目を閉じて胸の前で印のようなものを結んだ。
――――次の瞬間、
「う、うそ……本物、だったんだ……」
薫は自分の目を疑った。
信じられないことに、彼の体が一瞬で別のモノに変わってしまった――。
それは一匹の真っ白な兎だった。
器用に後ろ足で立ち上がり、小首を傾げ真っ赤な瞳で彼女を見ている。
服でも着せたら、さながらピーターラビットのようだった。
「ちょ、超、かわ……いい……」
「どう? 薫ちゃん。この姿、見覚えある?」
ただでさえ愛くるしいのに、人間っぽい仕草で身振り手振り語りかけてくるので、なおさら可愛くて困る。
……しかし、いくら可愛くても、記憶にないものは仕方がない。
薫は頭を左右に振った。
「そっか……」
白兎はしゅん、とうつむくと、バク宙をして元の少年の姿に戻った。
「でも、薫ちゃん昔と変わってないね。人外の僕を見てもあんま驚かないし……」
「そうかな? よく分からないけど……」
(でも、そこそこ驚いたよ?)
「ところで薫ちゃん、八年前の約束どおり、僕と結婚してくれるよね? ね?」
「え? ええええええええ? ちょ、まって、なにそれっ、あり得ないっ!」
「薫ちゃん、神社に願掛けに来ておいて、神との約束を破棄するって何ソレ? そっちの方こそマジあり得ないんだけどっ?」
兎の神様は腰に手を当てて、プリプリ怒っている。
――そりゃ確かにごもっともなんですけども、この時の自分には、「ウサギ」もしくは「神サマ」との生活なんて、どう考えてもやっぱ想像出来ない。
八年前の自分は、きっと絶対頭が沸いていたに違いない。いや、プロポーズ自体本当なのかも分からないんだし。
薫は五秒間の脳内会議の結果、ここは早々に逃げることに決定。
「申し訳ないけど、そういうことだから婚約はチャラってことで」
言い終わると同時にしゅたっと手を上げ、踵を返して一目散に階段を目指した。
「あ、待って、薫ちゃん! そういうことって何っ! ちょっと!」
背後から彼の呼び止める声がする。
チャラって何だ、とか説明しろとか、何かいろいろ叫んでる。
でもここで捕まったら、有無を言わせずこの神サマと結婚させられてしまう。
参道の長い階段から何度も転げ落ちそうになりながら、薫は必死に駆け降りた。
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