【完結】茅ヶ崎・氷ノ山神社~神様と許嫁な私と幽霊と~

東雲飛鶴

【序】キミは僕のお嫁さんなんだよ!

  ――私は神と恋をした。

 無邪気で一途な、白兎の神と――。


 女子高生・時田薫ときたかおるはただいま、恋人兼、氷ノ山神社の祭神こと、雪宮李斗ゆきみやりと(外見年齢十四歳・真名不明)のお部屋で、兎神様お手製スイーツをいただきつつ、イチャコラしている最中……なわけで。


 なんで神様が彼氏なのかってのには、込み入った事情があるのだけど……。



                  ☆



 話は半月ほどさかのぼる。


 一学期の中間試験もようやく終わり、開放感に満ちあふれた試験休みに突入。早速薫は、友人の家へ遊びに行って、その帰りのことだった。

 彼女は懐かしさから、昔住んでいた家の近くに建つ、とある神社を参拝した。

 そこは、ちっさくて、古くて、階段だけやたら長い、相模湾を見通せる小高い丘の上にあった。


 その名は『氷ノ山ひのやま神社』。


 のちの薫の恋人、雪宮李斗の自宅兼仕事場だった。

 でも参拝者なんて誰もいないから、仕事しているとは言い難い。お祭りがあるとも聞いたことがないので、きっと氏子もいない。


 なんで氏子いないの? と薫は李斗に聞いたこともあったけど、

「昔ちょっと……」

 と口ごもって、薫に詳しいことは教えてくれなかった。

 子供っぽい李斗のことだから、きっと何かやらかしたに違いない、と薫は睨んでいるけども。



                  ☆



 薫には、かつてこの神社に来た記憶がある。それ以上も以下もない。

 ……はず、だった。


 その日の用向きは、八年前に母親と離婚して現在絶賛別居中の父親と「昔のように一緒に暮らしたい」、と神さまにお願いをすること。

 親が離婚して以来、薫は、神社を見かけては願掛けをするようにしている。

 神頼みなんて基本ダメ元なわけだけど、今の今まで別居続行中だから、神サマなんていないんじゃない? と彼女が思っても仕方無かったわけで。


 薫は、小ぶりな本殿の前で機械的に一連の動作を行い祈願をする。

 パンパン、というアレ。

「パパと一緒に暮らしたいです。お願いしまーす」

 と、毎度の定型文を口にする。

 そして、くるりと鳥居に向かってきびすを返したその時――。


「まって! ……薫、ちゃん?」


 急にどこからか声をかけられた。

 変声期を超えたばかりといった、少年の声。


「はぁ、そうですけど」


 彼女は振り向きながら、気の抜けた声で答えた。

 見ると、年の頃十四、五歳ほどの小柄な男の子が、ひどく驚いた顔で薫を見つめながら、本殿の脇に立っている。

 輝くような白銀の髪に、紅玉のような真っ赤な瞳。血管が透けて見えそうなほどの白い肌……。


 ――これって、いわゆるアルビノってやつ?

 色素のない突然変異種、と学校で教わったけど……。


 着物に袴という身なりからすると、多分神社の関係者……、いわゆる神職だろう。でも頭の記憶領域をどうほじくり返しても、こんな美少年には見覚えがない。

 薫はおそるおそる少年に問いかけた。


「あの……、どちらさま、ですか? お会いした覚えないんですけど」

「薫ちゃん、僕だよ。李斗。ここの氏神だよ。まさか……忘れちゃったの?」


 氏神の李斗と名乗る少年は悲しげにそう言うと、砂利を踏んで小走りに薫の目の前までやってきた。彼を近くで見ると、驚くほど肌が綺麗だ。焼き物のような肌、という表現があるけれど、これがソレなのか、と彼女は実感した。


「えっと……。ごめんなさい、わかんない……です」

「ええ〜〜〜〜っ、そ、そんなぁ」


 信じられない、といった様子で彼は小さく頭を左右に振った。

 そして両の瞳を、ぷるぷる揺れるいちごゼリーのように潤ませ、すがるような眼差しで薫を見つめて言葉を続けた。


「……ひどいよぉ、自分の婚約者を忘れちゃったの?」


――いま、なんて?


「こ・ん・や・く・し・ゃ……? 誰が?」

「ええええええええええええぇぇ……」


 彼はひどくうろたえた。

 かなりのショックだったのか、唇をぎゅっと噛むと、白い頬に大粒の涙がこぼれはじめた。

 彼は両の拳を握りしめ、震える声で必死に訴え始めた。

「か、薫ちゃんに決まってるでしょ! 僕のお嫁さんになってくれるって、薫ちゃんが自分で言ったんだよ? なのに、八年も、八年もだよ? 僕をほったらかしにして! ずーっと来てくれるのを待ってたのに、ひ、ひどいよぉ!」


 薫の思考がフリーズした。

 三秒後、


「え? え? えええええええええええええええええええ??」

 ――そんなの、初耳です!!


「ね~、薫ちゃんてば~、聞いてる?」

 彼はその後も、しつこく食い下がってくる。


 薫ちゃんの鬼畜! とか、どうして僕を捨てたの? とか、僕のお嫁さんになるのは決定事項なんだからね! とか、結婚資金なら一杯あるんだから! とか、しまいには、結婚してくれないと祟ってやる! とかなんとか……。

 自称氷ノ山神社の祭神は、薫の目の前で泣きながら物騒なことを口走っている。

 薫は必死に記憶の底を漁ってみたが、そんな証拠は欠片も出て来ない。


(こ、こんなのにプロポーズしたのか、八年前の私。

 しかも神サマ? マジあり得ない……)


「んーな大昔のことを言われても困るし! 仮にそれがホントだとして、子供の口約束じゃない。なんで私がボクちゃんみたいな子と結婚せにゃならんのですか?」

 薫はようよう言い返した。

「……見て、薫ちゃん」

 そう言って、彼はパスケースを差し出した。

 薫は、恐る恐る彼の手から茶色い革製のパスケースを受け取った。

 開くと、中には写真が二枚。彼と子供が写っている。

 子供の方は、……確かに薫だ。彼女はこの服に見覚えがあった。

「うそ……私、じゃん。でも――」


 ――日付は、八年前? どう考えても計算が合わない。

 だって彼の容貌が……。


「これって、もしかして貴方のお兄さん?」

 不思議そうに写真を眺める薫の手から、彼はひょいとパスケースをつまみ上げると、鼻をすすりながら大事そうにそれを再び懐にしまい込んだ。

「いいや。どっちも正真正銘、薫ちゃんと僕」

「まさか……、計算合わないよ」

「ホント。撮ったのは君のお父さんだよ」

「そうなの?」

「君のお父さん、ここですごい数の写真を撮ってたから、処分されていなければ、僕との写真は必ずあるはずだよ?」


 ――パパの撮った写真なら、今でもたくさん残っている。

 でも、彼との写真は一枚も……。


「こんな写真、家にないよ。今まで見たこともない……」

 薫がそう言うと彼の顔が僅かに曇り、思案顔でぶつぶつ独り言を呟いた。

「そっか……。薫ちゃんと僕の写真、いっぱいあるよ。見たい?」


(正直、家に一枚もない不思議な写真も、この子のことも気になる。でも……)


「ねぇ、キミって本当に神サマなの?」

「それも忘れちゃったの?」ふぅ、と小さくため息をつくと、

「じゃ、良く見ててね」と、彼は目を閉じて胸の前で印のようなものを結んだ。


 ――――次の瞬間、


「う、うそ……本物、だったんだ……」

 薫は自分の目を疑った。

 信じられないことに、彼の体が一瞬で別のモノに変わってしまった――。


 それは一匹の真っ白な兎だった。

 器用に後ろ足で立ち上がり、小首を傾げ真っ赤な瞳で彼女を見ている。

 服でも着せたら、さながらピーターラビットのようだった。

「ちょ、超、かわ……いい……」

「どう? 薫ちゃん。この姿、見覚えある?」

 ただでさえ愛くるしいのに、人間っぽい仕草で身振り手振り語りかけてくるので、なおさら可愛くて困る。

 ……しかし、いくら可愛くても、記憶にないものは仕方がない。

 薫は頭を左右に振った。

「そっか……」

 白兎はしゅん、とうつむくと、バク宙をして元の少年の姿に戻った。

「でも、薫ちゃん昔と変わってないね。人外の僕を見てもあんま驚かないし……」

「そうかな? よく分からないけど……」

(でも、そこそこ驚いたよ?)

「ところで薫ちゃん、八年前の約束どおり、僕と結婚してくれるよね? ね?」

「え? ええええええええ? ちょ、まって、なにそれっ、あり得ないっ!」

「薫ちゃん、神社に願掛けに来ておいて、神との約束を破棄するって何ソレ? そっちの方こそマジあり得ないんだけどっ?」

 兎の神様は腰に手を当てて、プリプリ怒っている。


 ――そりゃ確かにごもっともなんですけども、この時の自分には、「ウサギ」もしくは「神サマ」との生活なんて、どう考えてもやっぱ想像出来ない。

 八年前の自分は、きっと絶対頭が沸いていたに違いない。いや、プロポーズ自体本当なのかも分からないんだし。


 薫は五秒間の脳内会議の結果、ここは早々に逃げることに決定。


「申し訳ないけど、そういうことだから婚約はチャラってことで」

 言い終わると同時にしゅたっと手を上げ、踵を返して一目散に階段を目指した。

「あ、待って、薫ちゃん! そういうことって何っ! ちょっと!」

 背後から彼の呼び止める声がする。

 チャラって何だ、とか説明しろとか、何かいろいろ叫んでる。

 でもここで捕まったら、有無を言わせずこの神サマと結婚させられてしまう。


 参道の長い階段から何度も転げ落ちそうになりながら、薫は必死に駆け降りた。

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