蒸機兄妹 ~~序~~
もりくぼの小隊
夜の仕事
「おい、店主っ。あの女はどこに行ったっ」
肩を怒らせ安宿の二階から男がひとり一階カウンターの店主へと怒鳴り込んできた。
「あの女と言いますと?」
「私と一緒に来た金髪の女だっ」
こめかみに血管を浮かばせながらカウンターを何度も叩く男性客にビクリと脅えながら店主は震える声で口を開いた。
「お、お連れ様なら先程チェックアウトされましたが?」
「なんだとっ、娼婦の分際でこの私を謀ったのかっ!!」
それを聞いた男性客は拳をカウンターに無茶苦茶に叩き付け怒鳴り散らした。男は半裸でだらしなく突き出た腹を晒す見苦しい姿だ。どうやら連れ込んだ娼婦に代金だけを取られてまんまと逃げられたらしい。
「く、クリフォード様、お気を鎮めくださいませ。他のお客様も見ておられます」
頻繁に密会に宿を使ってくれる上客を宥めようと店主は口を滑らせるが、今はなにを言っても油を注ぐだけだ。ジロジロと奇異の眼で見る宿客達にクリフォードと呼ばれた男は当たり散らす。
「なにを見ている
「チェックアウトでございますか……」
「当たり前だっ。いいか、あの女を逃がしたお前のせいでもあるのだからなっ、もう二度とこの店は使わんし、金も払わんからなっ!!」
「そ、そんなっ」
「うるさいっ、いますぐ車を捕まえておけっ、それぐらいのサービスは当たり前にできるはずだっ」
まゆじりを下げて泣きべそな店主など知ったことではないとクリフォードは二階へと上がっていく。宿客達も関わりたくは無いのか早々に自分の部屋へと逃げていく。店主は泣きべそな顔のまま
「やれやれ、仕事はもっと丁寧にすべきだったなぁ。いい「素材」を見るとついやっちまう」
店主の後ろの奥扉からゴトリと何かが転がる音がした。
~~~~~~~
店主の手配した自動車はクリフォードを乗せ廃蒸気を吹き上げて安宿を出発した。
自動車は夜の「大都市ロンディム」をひた走る。クリフォードの屋敷へと真っ直ぐと突き進む。大都市の夜は蒸気街灯の明かりで照らされ比較的に明るくなった。一昔前に頻発していた通り魔事件の類いは少なくなり、住民に安心の夜を与えてくれる。
だが、大都市の明かりとは裏腹に夜の星空は見えない。発達した蒸気文化は廃蒸気の膜に覆われ、大都市ロンディムから星空を奪った。クリフォードの少年時代にはまだ星の光りは届いていたというのに……。
だが、クリフォードを始めロンディムの住民の多くは星空よりも蒸気文化が生み出す目の前の裕福な生活が重要だ。現にクリフォードは外なぞ見ずに高いびきを掻いている。
自動車は進む。新たな廃蒸気を吐き出しながら終着点まで突き進む。
~~~~~~~
「クリフォード様。到着いたしましたっ」
運転手が、運転席から声を張り上げてクリフォードを起こす。
「んっ、あぁ……ぁ?」
寝ぼけ眼でクリフォードは夢の世界から目覚める。涎を拭いながら自宅にしては随分と暗いと思い眼を擦る。
「な、なんだここはっ」
クリフォードは眼を剥いて外の景色を見る。ここは自宅などではない。明かりひとつ無い人通りない寂しい路地裏だ。
「貴様っ、ふざけているのかっ、私は自宅に行けと言った筈だぞっ」
怒りに血管を浮かばせ、運転席を何度も蹴つり上げる。運転手はガクガクと身体を揺さぶられながら淡々と妙な事をいい始めた。
「お疲れさまでした。予定より早く、あなたの矮小な人生と石ころにも満たない財産を「組織」に献上していただきます」
「なんだっ、なにを言ってーーいっ」
急に訳のわからない事を言い自分を侮蔑する運転手に頭の血が登り胸ぐらを掴もうと手を伸ばし、ギョッと眼を剥いた。
振り向いた運転手の顔にはいつの間にか不気味な【カラスの仮面】が着けられていた。
「つまりはあなたの生命を終わらせるということで」
運転手が仮面の奥で無感情に呟くとクリフォードの隣でバタリと車の扉が閉まる音がした。恐る恐ると横を見やると青い
「なっ、ぁっ」
そこには見目麗しき少女が座っていた。肩まで伸びた艶やかな黒髪に陶器のような白い肌、長い睫毛に縁取られた水晶のような大きく青い瞳。白と黒のフリル目立つゴティックドレスを可憐に着こなす幼くもゾッとするほど美しい少女は精気無くクリフォードを見つめると
「ごきげんよう、さようなら」
甘い声音で短く呟きクリフォードの首に細指を突き入れた。まるで針を刺すように指は根元まで沈み、素早く引き抜かれる。
「っーーぁっーーっ」
首筋を押さえ、空気を求めるように何度も口を動かし、クリフォードは声無く苦悶に喘ぎバカにあっけなくその命を終わらせた。彼女は特に気にも止めない様子で赤濡れる指を男の衣服に擦り着け車を降りた。
「ご苦労様でした。私はこのまま「これ」を運びます」
カラス面の運転手は会釈をしながら彼女に言う。
「この醜いものは、本当に「
眼を細めて後部座席の遺骸を見つめ彼女は疑問を口にする。
「こう見えても利用価値が少しはあるようで「これ」の人生と財産は「組織」のために活用されるのです」
「……そうですの」
特に興味も無しと言った様子で彼女は冷たい瞳で運転手を見つめ、運転手もそれ以上はなにも言わずに車を走らせた。
「……」
取り残された少女は廃蒸気で見えないはずの夜空を見上げやがて音も無く歩を進める。自身の髪とドレスの色によく似た夜の闇へと溶け込んで行った。
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