親愛なる人々への童話

繕光橋 加(ぜんこうばし くわう)

2018~

シャラの角のなきがら 前篇

 あついあついお天道様が、にっこり笑う季節になると、私たちはあの蒼い風を、ここちよく感じるようになります。そうして涼しい日陰から、遠くの山を眺めると、照らし出された木々たちが青緑色に山を染め、私達の目をじっくりとひきつけ、楽しませてくれることでしょう。


 そんな夏のある日のことです。高く登った白い日が、ちょうど一番てっぺんを通り過ぎるころのこと、お日様の下に一頭の鹿が出てきました。その鹿は、若いオスでした。立派に大きくうねった角を重そうにかぶり、トコトコと歩いてきました。


 その角たるや、なんと立派なことでしょう。まだ抜け落ちるまでは時間がある、夏の大きな角。白樺の木のように美しく、なめらかでありましたし、小鳥ならばその枝に腰かけて休んでも、けっしてびくともしない、岩のような丈夫さがありました。


 しかし、鹿は、自分の上から光を注ぐお天道様に、恨めしそうに言いました。

「ああ、お日様。どうかそんなに、僕の角を照らさないでくれ。こんなに大きな角なんか、森の仲間たちに見られたくないんだよ。」


 鹿は常々、自分の角を嫌っていました。自分の大きな頭より、ずっと大きい角なのです。首を上げても下げても、水を飲むときも、草をはむ時も、ねむるときも、ずっと頭に乗っています。活力にあふれ、体を動かしたい若い体には、枝のように広がった大きな角は、なんとも不便だったのでした。


 何かにつけて、木にひっかかり、茂みにひっかかります。また、いくら若いからだであっても、一日の終わりには、首がすっかりこってしまうのでした。そうこうして、角の動かし方をとりはからっていると、どうやら“しんけいしつ”になるような気がしてきて、とうとう自分の角でありながらも、めんどうくさいものだと思ってきたのでした。


「ああ、どうしてこの角は、僕の頭の上にのっているんだろう。いくら考えても、分かりやしない。どこかへいってしまえばいいのに。」

そうして考えながら歩いていると、背の高い杉の木々よりも、やや低い背ではあるけれど、すっかり良い匂いをまとった花のひとつが、鹿に話しかけてきました。


「やあ、鹿さん。どうしたんだい、そんなに難しい顔をして。」

夏を彩るシャラの花は、白く光る身を乗り出し、上品そうな物言いで鹿を呼びとめました。

「やあ、こんにちは。実はこんなに大きくなってしまった角を、どうにかなくしてしまいたいと思っていたんだ。」

鹿の意外な答えに、シャラの花はおどろいて尋ねました。

「なんだって!?鹿といえば角のある動物じゃないか。私たちは角を持っているわけでないが、だからこそ、君の立派な角が遠くに見えると、『あれは鹿くんだな。暑い中、ようこそやってきてくれた』と思うもんだよ。それを邪魔に思うだなんて、いったいどういうわけなんだい?」


 鹿はわけを話しました。鹿の悩みの種となっている、角の話を詳しく聞いているうちに、シャラの花もなるほどと思うようになりました。

「鹿くん、君の言い分ももっともだ。私はこうしてここに動かずに、ちょこんと座っているけれど、君たち動物は動くものだから、その角はいらないものだと思ったんだね。外せるなら、外したいかい?」

「そうだね、でも…」


 そうは言っても、鹿は知っているのでした。今頭にある問題の種も、昔からあるものではありません。昨年の同じ季節ころには、また別の大きな角があったのです。それがポロっと取れて、後から新しく生え変わってきたものが、頭の上の角なのです。


「だから、たとえ外れたとしても、次から次へとはえてくるんだ。もしかしたら、今のが外れたとしても、今度はもっと早く、より大きいものが、頭の上に陣取ってしまうかもしれない。どうにかして、次も、その次も、なくしてしまうことはできないのだろうか。」

鹿がそう相談すると、シャラの花は困りながら答えました。

「うーん、どうやら、私ではどうにもできそうにないよ。いい案がでてくればよかったんだけれどね。これでは、ただ話し相手になっただけだね。」

「そうかぁ、それでは仕方がない。親切に話を聞いてくれてありがとう。」

鹿はシャラの花に、角をぶつけてしまわないよう気を付けながら、頭を下げました。


「僕の角は、君のように話し相手になってくれるわけではないからね。せめてどうにか、使いようがわかって、なにか『とくなこと』をよびこんでくれれば、僕もまだ納得できるんだが。これでは本当に、ただの飾りだよ。」

「そうだ、鹿君。それだよ!」

突然シャラの花が思い立ち、叫んだので、鹿は驚いてピョンと飛び上がりました。


「どうしたんだい?何を思いついたんだい?」

「角に意味をつけてみれば、不要なものだなんて思う事はないんじゃないかな。」

得意げに、シャラの花は話します。

「鹿君、私の花弁を君の角に取り付けて、飾ってくれないだろうか?そうすれば、私は君の話し相手になれるし、何よりその角も、生やしている甲斐があるというものじゃないか。」

きらきらと嬉しそうに話すシャラの花は、優しい笑顔で鹿に微笑みました。しかし鹿の方は、困惑した顔で小さな花を見返しました。


「それじゃあだめだよ、シャラの花。茎から離れると、君はじきに萎れていってしまうじゃないか。少しの間だけならば、いっしょにいられるかも知らんが、いずれ元気がなくなってしまう。やはり君は、ここで少しでも長く留まって、咲いているべきなんじゃないか。」

 鹿はこの小さな白い友人に、さびしそうに語りかけました。しかし、シャラの花はゆっくりと、言い聞かせるように、鹿に言いました。

「私はいつも、鹿君のような動物、飛んでいく小鳥や、ハチたちのように、動きながら世界を見てみたいと思っていたんだ。とはいえ、もちろんここにじっといることも、悪い暮らしだとは言わないよ。君たちがやってきて、君たちの世界の話をしてくれるからね。」

じっと耳を傾けていると、思慮深いシャラの花は、少しいたずらっぽい、鹿にとっては初めて聞く声色で、つけそえました。

「だが、やはり退屈に思う事があるんだ。……少しはね。」


 シャラの花が落ち着き払って、鹿に話して聞かせるので、鹿も黙って聞いていました。風も雲もゆっくりと空を渡っているように感じらる、午後の事でございました。雲から薄く伸びたしっぽの切れ端が、薄くお日様を隠しましたが、徐々に流れて行ってしまいました。


「だんだんとあのお日様も、お帰りが早くなっているみたいだ。このまま時が過ぎると、いずれ私も枯れてしまうことには変わりはない。でも、ただじっと死なないだけでいるよりかは、いろいろなものを眼に止めて、わずかでも生きていく方が、いくらかマシなんだろうと、私は思う。だから、君さえよければぜひ、私を君の角に飾っておくれよ。」


「わかった、わかったよ。君がいれば、僕も退屈しないだろう。何より、君が話を聞いてくれたことに、僕は何か感謝をしたい。君がいいなら、シャラの花よ、お乗りなさい。」

 とうとう折れた鹿は、不安の色の残る目を、長いまつ毛のある瞼でそっと閉じ、ちょいちょいと角の分かれ目でシャラの花をつつきました。すると、うまい具合に花弁が枝から外れたシャラの花が、角の上に身を移しました。すっと首を伸ばした鹿の角の上で、シャラの花は子供のように喜びました。


「わあ、いつもと違う角度から見えるよ。これは面白い。」

「乗り心地はどうだい?歩いている途中で落ちなければいいけれど。」

「うん、思ったよりも、とても具合がいいや。」

まだ枝から摘み取った感触が、心臓を打ち付けている鹿でしたが、シャラの花が、あまりに嬉しそうにそう言うので、鹿も不安に思うのをやっとやめました。


 しかし、これはどういうことでしょう。角があんなに嫌だったことなんか、鹿はすっかり忘れてしまっていたのです。

 きらきらと日を浴びて光る、白いシャラの花を角に飾った鹿の、きょとんとした顔。事情を知らない者からすれば、なんともおもしろおかしい印象を受ける事でしょう。

「さあ、鹿君。どこへでも連れてってくれ。跳ねつけられたら、厳しいかもしれないが、かといってちょっとやそっとのことじゃ、きっと落ちることはないさ。私の事は気にせずに、歩いてみてくれないか。」

 重くて硬い角ごしではありますが、確かにどうやら、シャラの花が乗っていることが分かるようです。落としてしまってもすぐに気付けば、きっとまた乗せなおすことはできるでしょう。


 ゆっくりと歩き始める鹿を、太陽はじっと見ていました。

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