社会の窓から始まる恋③
「あなた──ところで『寅ちゃん』って呼んでいいかしら?」
「別に構わんが──」
「駄目です」
私の返事に被せるようにして千鳥さんが言う。その強引な口調に視線を向けるも、変わらぬ語気で「駄目です」と復唱された。
「そう、それじゃあ寅ちゃん」
しかし当の羊はというとどこ吹く風であり、千鳥さんが不服そうに息を吐く。どうやらこの二人は馬が合わぬようである。ちと不安に思ったが、あの礼儀正しい千鳥さんがここまではっきりと不満を表すのも珍しい。これはこれで特別な間柄と言えるのかもしれない。そのように考えると軽く嫉妬心を覚えるくらいだ。まあ許容できる程度の問題だろうと、二人の仲については放置することにした。
「では、これからどうするかについて話しましょう」
話を先に進める。
我々が抱える問題は定まっている。
私は「千鳥さんの安全」を目的とし、千鳥さんは「私の安全」を目的としている。解決方法としては単純である。二人とも危険に近寄らなければいい。危険とは即ち、あの亀の団という阿呆集団のことをいう。彼らとの繋がりを一切断つのだ。
そう提案したのであるが待ったがかけられた。羊である。
「その場合、他の誰かが犠牲になる」
詳細を聞くと、あの高架橋より誰かが落ちる未来は確定しているとのこと。私でなければ千鳥さんが、千鳥さんでなければ他の適当な者が。そうやって貧乏くじをタライ回しにしているという。
「なぜそのようなことに?」
「いつか話したでしょう。その運命はすでに賽が振られている。今更に出た目を変えることなんてできないわ」
「それではその賽とやらを、もう一度振り直すことはできないか?」
「寅ちゃんがそうしたいのなら協力にヤブサカではないけれど──」
羊がニヤニヤとした嫌らしい笑みを隠さずに説明してくる。
賽とは何のことを指すか。
それは事の発端。全ての元凶とも言える始まりの出来事である。
そして今回の一件に関する賽とは何か。
「それはなんと、寅ちゃんが『社会の窓を開いて』電車に乗車することにあったのよん」
「はい?」
思わず聞き返してしまう。それはつい先程に遭遇した出来事であり、繰り返す時間の中で都合四回は経験したことである。それがどうして物事の元凶になるのか、てんで理解できない。
「なぜそのようなことに?」
「寅ちゃんって本当に面白い男よねぇ」
どうやら「風が吹けば桶屋が儲かる」の理屈らしい。
私が社会の窓を開いたことで因果がまわりめぐり、最終的にはあの馬鹿騒動につながってしまうのだという。「社会の窓開けば救急隊員が出動する」──馬鹿げている。運命の神とやらが実在するのならば色々と物申したい。
「稀にあるの。不自然に思えるほどに多くの物事を決定づけてしまうような『運命の収束点』が。まるでイヤホンコードのように因果が絡まっているから、ちょっとやそっとじゃあ上手く事は運ばない。その中で物事は大規模に、大仰になっていく。ときには劇的な冒険活劇をお目にかかることだってあるのだけれど、まさかそれが『社会の窓』だなんてカブキモノは初めて」
羊が呑気な言葉を紡ぐのを辟易とした気持ちで聞く。
とはいえ好都合でもある。
ひょんなことから問題の原因が判明したが、私としてはあのような恥、なかったことにしても何ら問題がない。むしろ望むところだとも言える。
「それでは、もう一度やり直しをさせてもううわけには──」
「ああ、ちなみに一つ。そこをやり直すと千鳥ちゃんとは金輪際、関わることができなくなるから、そのつもりで」
「なぜそのようなことに⁉︎」
理不尽に憤慨する。
「だって、そうなると貴方達二人は出会うことすらなかった『運命』だったのだもの。都合を合わせるために、運命の方があの手この手で二人の仲を切り裂きにかかるわ。出会わなかった場合と同じ道を辿るように、ああ因果因果」
私と千鳥さんは確かに、私の些細な不注意により関係をもった。それをなかったことにするというのだから、何かしらの強制力が発生するというのは理解できない話ではない。フィクションの物語にもよくある。しかし当然に納得はしかねる。「運命に翻弄される男女」といえば聞こえは良いが原因は「社会の窓」である。何とも締まりが悪い。
のほほんとした様子の羊を尻目に、私は頭を抱えた。
随分と厄介な事態に陥っている。
手間なく簡単に解決、とはいかず。何かしら代償を求められている状況なのだ。
そして今、天秤にかけられているのは「私と千鳥さんの仲」と「誰かしらの命」である。両者のあまりの重量に、即決即断するわけにはいかない。自己を重視した利益を求めるのならば前者を、はたまた道義を重視して社会の最大幸福というものを求めるのなら後者を選ばなければならない。どちらをとっても正解ではないし間違いでもないのだ。
そして全ての起因が私の「社会の窓」にあったことが、更なる重圧をのしてくる。
本当に決まりが悪い。
ふと千鳥さんを見やる。
彼女もまた難しい顔をして沈黙している。
その瞳の奥には困惑と、そして不安があるように感じた。
その瞳にある揺らぎを払拭したい。そんな義憤に駆られ、調子のいい言葉が口を突いて出そうになるが、何とか抑えこんだ。彼女のためを思えば、励ましの言葉を送るのがきっと正しい。私に対する覚えも良くなるだろう。しかし私は未だ、諸問題を解決できる糸口を見出してはいない。
心底に惚れた女性の前であるからこそ、適当なことを口にするのが許し難い。
男児とは常にそんな見栄をもつ。
実のないただの慰めの言葉など、もってのほかだ。つまりは「全てを安心して任せろ」と、そう言いたいのである。そしてそれを見事に実現せしめたいのである。
馬鹿らしいとは理解している。しかし「馬鹿で結構」と開き直る。
それこそが浪漫というものだ。
しからば頭脳を最大限に稼働させる。
しかし一向に妙案は浮かばない。
そのように云々と頭を悩ませていたところに助け舟を得る。これまた羊である。
「私としても事を面白くしたいから助言するわね。何もまた時間を繰り返さずとも、やりようはあるわ」
「それは本当か?」
「ええ」
では、どのように振るまえば片がつくのかと問えば「それは内緒」だと返される。
「もったいぶらずに教えてくれてもいいじゃないですか」
「やーよ」
「やっぱり──おちょくっているでしょう?」
「だって千鳥ちゃんったらムキになって構ってくれるから、可愛くて」
「ムキにはなっていません」
千鳥さんが答えを催促するも効果はなさそうである。
私としては、この羊という女性に過度の期待はしないように気をつけているため、あまり残念という気持ちは湧いてこない。むしろここまで、彼女の協力によって実現できたことの方が多く、また大きいのである。感謝こそすれ、ネガティブな感想を抱く理由などはない。
とはいえ、使えるものは例え絶世の美女であろうとこき使いたい心境であるので「では伝えられる範囲で、他に助言はないだろうか?」と尋ねる。
すると羊はこれみよがしに悩むそぶりを見せてから言う。
「大事なのは『いつ、どこで、誰の』運命が変わるのかということよ」
それは以前にも彼女から聞いたことであった。
その言葉について考える。
つまりは私一人の運命が変わったところでは、どうにもならない事態だということではないだろうか。肝心なのは他者の運命。適切な時期に、適切な場所で、適切な人物からの助力が必要であるということ。そうすれば状況を打破する力となる。
私は羊からの言葉をそのように受け止めた。
さりとて具体的な指針は定まらない。
彼女の助言は決定的な行動案にはなり得ない。
それでも何もしない、というわけにはいかない。
行動あるのみという落ち着きない精神が必要な現状である。ときには裏目に出てしまうこともあろうが、ゆっくりと吟味する余裕などない。すべき事が不明瞭であるのなら、何でも片っ端からこなしてみせよう。そのように決心する。
「思いついたことがあるので提言してもいいでしょうか?」
二人に問う。
それぞれが首肯するのを待ってから、私は口を開いた。
「関係者全員の運命を変えてみてはどうだろう?」
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