社会の窓から始まる恋②
これから話すのは羊という女性の、その半生である。
どうして彼女の生い立ちを私が語る必要があるかというと、彼女の語り口といえば不明瞭この上なかったのである。主語欠落などは当然のこととして、ズバッとかピカッなどの擬音語を多用して彼女の感性を表現してくれる。それでも彼女が話し上手で、誰にでも理解できる単純な話であれば良かったのであろうが、そも彼女の感性は人の理解を超えているし話の内容は
一つ例をあげるとすれば「バンって音がして振り向いたら、これくらいの石ころが落ちてきていてね、驚いちゃったわ」と唐突に語り出し、それは何の話だと詳細を突き詰めると、どうやら恐竜滅亡の日のことらしい。終始このような調子である。加えて彼女しか知らない「なかったことにされた時間」とやらを織り交ぜて語るものだから、話の内容は混沌としており信憑性も薄い、というか確認しようがない。
よって彼女の話を統括して私が代弁することになる。
どうかご了承いただきたい。
そしてさらに言うなれば、彼女の話が私達の直面する問題に直接関係するかというと、そうでもない。興味のない方は聞き逃してもらっても一向に構わないことを、予めご報告しておく。
本題に入る。
今は昔。具体的に言うなれば40億年前よりもさらに昔。
彼女は気づいたらこの世界に立っていた。
どうしてか何のためにか、それすらも分からずにただ一人、そこに在った。
世界は空と大地と海のみがある、延々とそれだけが。そんな退屈と死の世界にどうしてか生まれ出でてしまった。
当初はそれなりに悩んだそうだ。何のために生まれて何をして生きるのか、そんな子供向けアニメーションの歌詞のような命題に真剣に取り組んでいた。ただ一人ずっと一人。ときには気が狂った、やがて正気に戻ってはまた狂乱した。ずっとその繰り返しだ。永遠の孤独というものが彼女に死を要求してくるが、それすらもできない。どうやら己の身体はその概念を持たない。
そうして途方に暮れること幾年月。
彼女にとって、人生を一変させる出来事が起きる。
生命の誕生である。
気がついたら、いつの間にかにいたそうである。
自分と同じである。
ゆえに全ての生命は自らの弟であり妹である。
姉として面倒を見なければならない。
その結論は即座に出てきた。
少なくとも何をして生きるかは定まった。
しかし彼らは気を抜けば問題を起こす。なにせ生命というものは愚鈍であるから、すぐに滅亡する。幸い彼女は何でもできた。致命的な過ちを犯さぬように予防線を張り、たとえ犯したとしても時を遡り修正してやった。まるでかかりきりの世話が必要な赤ん坊だ。少しは楽させて欲しい、そんな風に考えていたら、弟妹たちの中から風変わりな種が誕生したことに気づく。
人類である。
ちと高慢ちきで勘違い甚だしいお調子者の猿だ。
自らこそがこの世界の代表的な存在だと思い込んでいる。こちとら、あんたらがバクテリアやってる頃から面倒見ているというのに何をナマ言っているのか、とは彼女の談だ。
ただまあ面白い。
問題児ほど可愛いというのはどうやら正しい。
ときには痛い目を見せて道を正してやったこともある。ときには叡智という玩具を与えて成長を促したこともある。そのように甲斐甲斐しく世話していると、人目に全くつかないというわけもない。彼女の存在が神格化されて語られることも稀にある。だが大抵が彼らの云う「神様」ではなく、その敵対者であることには不満があった。つまりは手放しで賞賛できないタイプだというのだ。
本当に生意気だ。
だが、あながち間違いでもないかもしれない。当然に彼女は全知全能ではないし、天地創造もしていない。天地はすでに最初から在った。だからそれは他の誰かの所業である。そこに思い至ると胸の内が少しざわつく。
もしそうだというのなら、自分にも生みだしてくれた親というべきモノがいるかもしれない。そしていつか彼女という存在を見つけてくれるかもしれない。そんな希望を捨てきれないでいる。
ゆえに彼女は「迷える羊」である。
大人しく親を待つ、ただの迷子である。
それが彼女という異質の存在の全てであった。
しかしまあ、大人しくといっても永い時間続くはずもない。
暇で暇で仕方ない時は弟妹たちに悪戯を仕掛けるときだってある。これが存外に楽しい。さりとて最近では、天変地異を引き起こそうものならば洒落にならない程の被害が出る。せっかく彼らが長い時間を費やして緻密に積み上げてきたものを灰にするのは、それは流石に躊躇いがある。そうなると面白そうな個人を見繕って声をかけるのが常だ。
さて今度はどこの誰にちょっかいをかけたものかと思案していると、ふと極東の島国に滞在していた頃を思い出した。
あれはケッサクだった。
一人の
そこまで思い出してから決めた。
あの侍に似た者を探そう。
そして目一杯に遊んでもらうのだ。
それは無邪気ではた迷惑な決心である。
思い立ったが吉日と極東へと降り立つ。幾分か様変わりした街の様子に感嘆しながら歩くが、チョンマゲが誰一人とていない。残念である。そんなことを思いつつ電車へと飛び乗ったところ、気づいた。
車内の雰囲気がどうにもオカシイ。
乗客の誰もがソワソワとある一点を気にしている。
それに倣って注目の的へと目を向けると、すぐに理解した。
一人の男がいた。
その男は車両中央の座席に腰掛けている。彼もまた車内の雰囲気に違和感があるようで、キョロキョロと周囲を怪訝そうに窺っていた。だが問題の肝心要には気づいていない様子である。その股間から垣間見える社会の窓に一切気づいていないのだ。
こいつだと直感した。
こんなに滑稽な男が未だかつていただろうか、まあそれなりにはいたとは思う。
だが何となしではあるが懐かしい空気を彼の周りから感じていた。
かつての極東の侍と似たような匂いを感じてしまった。
ああ、この男に突然話しかけたとして、どんな反応をするだろうか。その人生の行く末をめっちゃかに掻き乱したとして、どんな言葉をかけてくれるだろうか。
ワクワクする。よって決めた。
彼こそは遊び相手に相応しい。
この今一瞬こそはまさしく「運命の出会い」である。
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