恋せぬ賢者⑨

 宴会は繁華街の喧騒より外れた立派な門構えの店で行われた。大衆料理店としてひろく門戸を開いてはいるが、かつては格式高い料亭であったらしい。いわゆる老舗料理店というものである。純和風な屋内には大座敷があり、小さいが舞台すら存在する。

 そのように立派な店で開かれる会合なのであるからして、催されるは厳かで品格高いもの――だと思ったらこれが大間違いだった。

 烏合の衆。

 右へと目をむけたなら、昨今の大学生でも泣いて逃げ出すような乱痴気騒ぎに没頭する者たち。さりとて左へと向けたなら、こちらは故人を偲ぶ会ですらもっと微笑ましい会話をしているほどだ。沈鬱にブツブツと言ってはニヘラと笑顔をふりまく様はいっそ愉快である。

 大座敷の中は多様性に富み統一性がない。まるで畜生どもの集まりで溢れていた。亀の団といえば、それはそれは真っ当な団体ではないと承知していたものの、これほどまでに混沌とした集会となると認識をさらに下方修正する必要がある。これで全体のごく一部というのだから空恐ろしい。

 そのような中、並べられた一つの円座卓をかこみ私は口を開く。


「いつもこんな感じで?」

「そうですね、こんな感じです」


 斜め向かいに陣取る辰村嬢から返される。彼女は鍋の具材を取り箸でかき混ぜていると、同席者から注意を受けていた。


「こら真緒ちゃん、下手に混ぜっかえさないの」

「でも春子さん――」

「心配しなくても火は通るから」


 有無を言わさぬ口調で彼女を嗜めるのは牛尾春子という、私と同じ職場で働く養護教員だ。どういう偶然か、彼女はオブサーバーである牛尾氏の奥方であるという。あまりにも世間が狭いゆえに、まるで誰かしらの思惑の上なのかと益体ない夢想すら思い浮かぶほどだ。

 女子二人が鍋奉行と下手人のやりとりを披露している横で、私と牛尾氏は酢モツの小鉢で麦酒をチビチビとやっていた。二人とも無言である。とはいえ互いに忙しい。我々は美味い鍋ができあがるのを待つ間、ジッと隣接する座卓へと耳を澄ましていた。

 そこには此度の宴会の原因ともいえる三人の悩める男たちがいる。

 そし想い人たるマドンナの姿もある。

 彼らは宴会が始まって以来、ジッと沈黙している。なんという体たらくであろう。

 何とか盛り上げようと散発的に誰かが発言するものの、未だこれという会話の糸口を見つけ出せてはいない。現在では最近の天候について話している有様である。いくらなんでも他に話題はなかったのだろうか。当り障りのない会話だとしても、せめて好きな食物の一つでも聞き出してもらいたい。

 三人がガチガチに緊張しているのは誰の目にも明らかで、宴会前に「着飾らずにいつも通りの自分を見せてはどうか」と助言してみたのだが「そんな恥を晒せるわけないでしょう」と反論された。普段の自己を恥と捉えるのは奥ゆかし過ぎるのではと思ったが、周囲の馬鹿騒ぎを鑑みるに、ワザワザ見せつける必要もない己もあろうと思い直した。


「あまりいい流れとは言えませんな」

「ええ、しかしもうちょっと待ってみましょう」


 あまりに立ち行きが悪ければ助勢する心づもりではあるが、できうる限りには自分たちで頑張ってもらいたい。

 マドンナ嬢はというと、彼らの常でない様子を察したのか、はたまた場内の異様に怯えてしまったのか、こちらも随分と委縮しているようである。それも仕方ないことかもしれない。彼女は亀の団の一員ではなく、ごく一般人である。私の第一印象としては「いいところのお嬢様」だ。あまりに無節操な集会に困惑する様子や、折々に垣間見える所作は、彼女の育ちの良さを感じさせる。

 男というものはえてして「お嬢さま」にも弱い。

 なるほど、三人の異性の好みとはそのようなものであったかと納得していると「では自らはどうだ?」という疑問が浮き上がる。

 私とて人間である。

 異性の好みについては一家言ある。

 そう思って、容姿はこのように、そして雰囲気はそのようにと、あれこれ妄想していると、ふと気づいた。私には理想の女性像というものがない。あれこれと妄想はするのだが、そのどれもがふわりと私の中で霞んでいき、これといった形に定まらない。そもそもに考えてみると、私がこれまで懸想した相手には共通項すらない。気の強い人もいたし、穏やかな気風の方もいた。では私は彼女らの何に惹かれたのかと考えて、一つの解を得る。

 つまるところ私は善良な人間が好きなのだ。

 なにも聖人君子を望んでいるわけではなく、人間誰にだって良いところはある。致命的な悪性さえ備えてなければ問題はない。ほんの些細な善性をもって、私はその人こそを好ましく思うのだ。このように述べると私が無節操な人間に思われるかもしれない、だが本心だから仕方がない。

 いつか私の仕様もないオイタを、慎ましくもはっきりと指摘してくれる人が現れるだろうか。そのような運命の出会いが私にもありえるのだろうか。

 そんなことを考えて首をふる。

 これではまるで白馬にのったお姫様を信じる少年ではないか。「運命の出会い」などと我ながら夢見がちにもほどがある。そしてそんな風にロマンスを否定できてしまう己が、どうしようもなく、カナシイ。

 私がアレコレと空想に励んでいる間に、隣の座卓ではついに完全な沈黙がおりていた。全員が力なく頭を下げてジッとぐつぐつ煮える鍋を見つめている様は、もう少しだけ観覧してみたい気もしたが、あまりにも憐れに思われて腰をあげる。


「やあ、こちらの鍋は美味しそうにできていますね」


 私が気さくな体を装って声をかけると、三人は「おお安田さん」と大歓迎の様子をみせる。気持ちは分からなくもないが、もう少し抑えろと言いたい。


「私共の鍋はほれ、あの通り。団長殿が野菜のごった煮のようにしてしまった」


 冗談をほのめかすと「なにをっ」と辰村嬢の声が聞こえてくる。恨みがましい視線を感じるが、これも目的のためと了承してもらいたい。そのやりとりが可笑しかったのかマドンナ嬢もくすりとした笑みを見せた。そのスキを逃さずに「鍋といえば、このような話をご存知か?」と雑談にうつる。教師にとって雑談とは必須技能であるからして、私はスラスラとどうでもよい話をまくしたてる。その甲斐あってか場の雰囲気が大分やわらいだ。

 ひとしきり語りおえると即座に退散するつもりであったのだが、腰を浮かせかけたそのときに「あの、あなたは?」とマドンナ嬢から尋ねられる。どうやら名前を聞かれているようであったが、私が印象づかれても詮無いことであるので「ラブラビットです」と咄嗟に口をついてしまった。


「ラブ……? あの浅学で恐縮なのですが、なにか名の通ったすごい方なのですか」

「いやいや。すごいのは先代であって、私自身は大した者ではないです。ちょっと芸のできるナイスガイだとでも捉えていただければ幸いですな」

「芸をするのですか?」

「ええ後ほど」

「それは楽しみです」


 マドンナ嬢は期待に満ちた視線を送ってくれる。そのようにされると重責を感じてしまうが、反面嬉しくもある。折角にアレコレと練習を重ねたのであるから、応えたくなるのが人情だ。よって去り際の言葉を残してしまう。


「師匠からの受け売りですが、芸を楽しむコツは傍らの人と興奮を分ちあうのが最良だという。私なぞ師匠に比べればお粗末なモノなので、そうやって誤魔化しながらご覧ください」

「承知しました」


 私が「それでは、失礼」と踵を返すと、そこには不服そうな顔をする辰村嬢が待ち構えていた。そのまま「はい、できましたよ」と一つの鉢を手渡される。中身は湯気たつ鍋の具材であったのだが、どういうことかグチャグチャと掻き混ぜられて見栄えが悪い。


「ご所望の『ごった煮』です」


 どうやら私の軽口は、彼女の自尊心を著しく害してしまったようだ。

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