男女の友情⑮

 拠点駅として機能する大きな駅前には得てして広場があり、そこにはラジオブースが併設されていることもある。私達が集まった駅舎にも存在しており、その日の集合場所はそこであった。


「全員そろったな」


 私と千鳥さんの姿を確認して鈴木が頷く。大仰なとも思うが、まあ気分なのだろう。

 今日こそは「あの日」当日である。「亀の団」が現れる日だとも言い換えられる。

 駅前には大勢が存在し、誰もが華やかな笑顔を見せ闊歩していた。そんな中で私達は、毛色の違う三人組として群衆に紛れ込んでいる。


「ふむ、面白そうだな、時間もあるし。二人とも――」


 鈴木がラジオブース前にて何かを発見したようで、私と千鳥さんを手招きする。近寄ってみると、そこには投書箱があった。赤い箱に紙片を封入できるようになっている。


「これにリクエストを投函できるらしい、せっかくだ。入れていこう」

「それは構わんが――」


 今日は街をあげてのお祭り騒ぎの最中である。その一環として、ラジオの公開放送というイベントがあり、この投書箱は番組と往来の人々を繋ぐ一種のアミューズメント企画のようである。広場にはディスクジョッキーの声と、延々と繰り返される讃美歌、そしてその合間に差し込まれる比較的ポップな音楽が流れていた。投書箱は往来の人々のいま聞きたい曲を募るものらしい。


「聞きたい……と言われてもな」

「葬送曲でも流したらどうだ」

「生誕祭にそれは悪趣味が過ぎよう」

「私もちょっと、と思う」


 からかうように提案してくる鈴木に違和感を覚える。元より、悪ノリが過ぎる性格の奴ではあるが、今日は出会い頭からしてテンションが高い。よほど嬉しいことでもあったのか、はたまた――。


「では向かうとしよう」


 各人が投書を終えると、鈴木の言葉により私達は移動を始めた。向かう先は駅舎に隣接する商業ビル、その三階にあるバルコニーである。そこからは駅前の広場を一望することができる。遠くから「亀の団」を見物するという目的にはうってつけの場所であった。

 向かう途中に階段を上がり高架連絡橋を通る。

 その橋は駅前広場を横断するように造られたもので、ひたすらに長い一本道である。地上にはロータリー道路なども存在するために、移動経路として利用する者も多い。

 橋の中程までくると、傍らに大きなモミの木があることに気がつく。これこそが「あの日」におけるシンボルである。わざわざ説明する必要もない。よって私は意識して反対側へと顔を向けた。駅舎の壁面だ。そこには大きな一枚看板がはりつけられていた。昨日公開されたばかりの映画の広告である。


「見物がすんだら映画でも見るか? 楽しみにしていただろう、千鳥」

「えっああ――」


 私の視線を追って看板に気づいた鈴木が千鳥さんへと話しかける。だが、問われた千鳥さんは思慮にふけっていたようで慌てて反応していた。


「実はもう見てしまったのよ」

「なんだ、そうなのか。好きだ好きだとは言っていたが、そこまでとはな」


 鈴木が目を丸くして驚いている。既視聴となると、千鳥さんは公開初日に劇場へと駆けつけたことになる。私はそれほどまでに彼女が心奪われている作品をまじまじと眺める。変哲もない娯楽映画にしか思えなかった。


「千鳥さんは、この作品が好きなのですね?」

「はい。そうなのです」


 人間、自らの好物について問われれば多少なりとも熱の入った返答をするものだが、この日の千鳥さんは他に考え込むべき事柄が存在するようで、気もそぞろである。

 片や気が高揚している鈴木と、片や真剣に何事かを思慮している千鳥さん。二人の異様に挟まれて、私は如何したものかと頭を悩ませながら行く。今日は街全体が浮ついている日ではあるが、二人の様子は少々やりづらい。ついにはお手上げとばかりに空を仰ぎ見た。

 今宵の空は快晴であった。

 おかげで街の灯りの中とはいえ、星が見える。

 地上の星たちに負けじと暖光を送ってくる月の姿もあった。その佇まいは、健気でもあり、また、心強くもあると私には感じとれてしまった。

 目的地へと到着する。

 元より展望目的で設えられたのであろうバルコニーは視界良好であり、広場の隅々までを見渡せる。休憩所のような機能も果たしているらしく、座席やバーテーブルのような立ち机があった。居心地も良い。

 私達は広場を眺望するように欄干へと寄りかかった。予想ではあるが、もうすぐに「亀の団」がやってくる時間であると理解していたからだ。

 しばらく談笑をして時間を過ごす。

 そうしていると広場向こうの大通りの方から、唸り声のような響きがあることに気づいた。それは段々とこちらに近づいてくるようで、徐々に徐々に大きくなる重低音は、まるで地獄の亡者どもの怨嗟の声を連想させる。


 そうして、彼らは来た。


 寄る大波のように迫りくる群衆に、私達は三者三様の反応を見せる。


「なんなのだ、あれは?」

「ついに来ましたか」

「アハハ! あいつら阿呆だ」


 私はただ戸惑うばかりであり、千鳥さんは落ち着いて群衆を見据える。そして鈴木はといえば、大笑いだ。

 私は改めて異様な景色を眺める。彼らは大群をなして広場を占拠していく、それだけでも問題な光景なのだが、彼らの異様さを際立たせている二つの事項があった。一つには彼らが口にするのも憚られる怨嗟の歌を合唱しているということ。もう一つには、彼らが社会の窓を全開にして、かつ、どうやってか光り輝かせて行進してくるということ。

 けったいであるとしか言いようがない。

 鈴木が大笑いするのも無理はない話であった。


「あー……笑った笑った」


 うじゃうじゃと広場を占拠していく汚い輝きたちを眺めながら、鈴木が「満足だ」と口にする。


「あいつらは、あれだな。底抜けの阿呆どもなのだな」

「理解に苦しみます」

「そうか? 私には分からんことはないがなぁ」


 千鳥さんの苦言に、鈴木が「亀の団」を擁護するような発言をする。


「意外だな。貴様はあのような阿呆どもを眺めるのは好きでも、賛同することはない奴だと思っていたが」

「そうさなぁ。確かに、あそこまで馬鹿者に徹しきれるかと問われると、無理かもしらんな。できるかできないかは置いといての、気持ちの話だ、これは」


 そこで一度、鈴木は口を閉ざすと、私と千鳥さんの間を分け入るように移動してきた。中央に鈴木を挟むように横並びとなる。窮屈であり、だいの大人三人組がとるべき適切な立ち位置とは言い難い。


「狭いぞ」

「まあ聞け。すぐに済む」


 鈴木は一度呼吸するように間をあけると、語り始めた。


「私には親兄弟を除くと、二人。特別な相手だと断言できる友人がいる。こいつらが本当に良い奴でな。私は常に二人には感謝しているのだ。私が私らしくいられるのは二人がいてくれたからに他ならないと思っている」


 奴は私にも千鳥さんにも視線を向けずに淡々と語る。ジッと「亀の団」の奇行を眺めながらに、ときおり笑いながら、穏やかな口調だった。


「そんな中、ある変化があってな。二人がなんの因果か知り合いになり、しかも仲が深まっていくではないか。私としては、これは喜ばしいことだ。友人の幸せを嬉しく思うのは当然だからな。だから楽しく暮らせていると思っていたのだが――どうしてか無性に寂しい気持ちを抱いてしまった」


 鈴木は苦笑する。


「我ながら驚いた。そこで色々と考えてみたのだが、一つ結論を出した。私は二人を大事に思っていると同時に、よりかかり過ぎていたらしい。これは恥ずかしいことだ。私は介添えがないと立てないような若木なんてまっぴら御免だ。よりかかられる位の大樹でありたい。だから今日の集まりは、私のけじめの一つだったりする。こうやって三人一緒に馬鹿をするのも最後だろうさ」


 私は奴の独白に、返す言葉を見つけることができなかった。


「さて、これで私の言いたかったことは終いだ。私は一度、あの阿呆どもの集団を間近で眺めてくることにする。二人はここで待っているとよい。その間に二人で何をしていようと、私は関知しない。ただ必ず戻ってくるからな。今日のところは、二人で帰るのだけは勘弁してくれ」

「ああ分かった、行ってこい」


 かろうじて、そのように答える。鈴木はそうして去っていった。

 その背中を眺めつつ、千鳥さんがポツリと呟く。


「あんなことを考えていたなんて、思いもよりませんでした。私は自分のことばかり……少し反省しています」

「無理もないでしょう。奴は強情張りすぎて、自らの弱みを悟られるのを恥だと考えているフシがあります。困ったやつです」


 昔からそうであった。奴は本当に大変なことは決して身内には頼ろうしないのである。大学時代、奴がその身の振り方を改めるような一大事が起きたときだって、頼った相手というのは見知らぬ寺の坊主だった。


「陽子のこと、よく分かっているのですね」

「千鳥さんほどではありませんが、これでも奴とは仲良くしていました」


 そうして私達は、黙り込んでしまう。

 鈴木が妙な吐露をするものだから、居心が定まらない。どうにもふわふわする。しかしである。奴の言葉を信ずるならば、千鳥さんと私は親密な間柄へと近づいているとのことだ。千鳥さんには想い人が存在しているはずなので疑問は尽きないのであるが、私もそこまでの朴念仁ではない。これはひょっとすると、と考えたところで千鳥さんから声をかけられた。


「私は寅次郎さんに伝えなければいけないことがあります」

「何でしょうか?」

「私は――」


 そこで唐突に電子音が鳴り響いた。私の携帯電話からである。

 着信などは放っておいて言葉の続きを得たい気持ちではあったのだが、当の千鳥さんはというと出鼻を挫かれてしまったようで「どうぞ」と応答をすすめてくる。私は仕方なしに機器を耳に当てた。


「もしもし?」

「寅ちゃんっ、助けて!」


 そこから聞こえてきたのは、我が生徒からのSOSであった。

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