男女の友情⑫

 夜も更けて、私達は二つの組に分かれた。つまりは、語り尽くせない積もる話があるという年配組、そして私と千鳥さんと鈴木の若輩組、その二つだ。

 若輩組の我々は場を失礼させていただき、寒空の下、帰路につくべく駅へと向かっている最中である。相も変わらずに華やかな街を歩く。それもそうだろう、なにせ「あの日」が近いのだ。私が「名前を言ってはいけないあの日」として定義する一日である。今年こそ偶然にも日曜日であり休日であるが、なんのことはない平日である。だというのに、何故に人々はその心を乱すのか。おかげで浮ついた空気に流されてはならぬと、丹田に気を練りあげて街を歩く日々に、疲れ始めてきたこの頃である。

 私がぼんやりと街の姿を見て夢想していると、鈴木がポツリと呟く。


「亀の団か。俄然に興味が湧いてきたな――」

「急に何を言い出すのだ?」

「いやなに。これまで千鳥に付き合ってきただけだったが、あの爺さんたちの話を聞いて認識を改めた。私も一度、その『亀の団』とかいう阿呆どもを見てみたい」

「見に行けばよかろう」

「そこでだ、寅次郎。どうすればそのトンチキどもを拝める」

「ふむ」


 聞いたことがあった。神出鬼没で名が通っている彼らであるが、その出没を予想できる日がある。言わずもがな「あの日」である。彼らの活動理念を鑑みると、それは仕方のないことであろう。

 そのことを伝えると鈴木が調子づいてしまい、改めて集合しようと話がまとまりかける。しかし、そこに待ったの声がかかった。


「私はあまり気がのりません」


 千鳥さんからの言葉であった。


「そうなのか。私は一人でも見物しにいく気概だが、寅次郎、貴様はどうする?」

「そうだな――」


 問われて思考する。

 意見が分かれた際の三人目というものは、苦心するものだ。

 鈴木は言葉通り、私が断ったとしても一人で行くつもりであろう。これしきのことで己をまげる奴ではない。そうなると奴は「あの日」において、たった一人で奇怪な連中を眺めることになる。いくら本人が無頓着だとて、それは想像するだけでも物悲しい。しかし、気が進まないと宣言した千鳥さんを袖にして、二人だけで見物に行くというのは大変に憚られる行為である。

 これは如何したものかと逡巡するも、思い直す。

 担任という役職を務めていると、どうにも全体の調和を意識するクセがついてしまった。しかし、この場で問われているのは私がどうしたいのか、それだけであり、アレコレと思いめぐらす必要はない。なれば私は、私の望む結果を追求するのみである。決断すると、私は自らの希望を表明した。


「私も興味があるので同行したいと思います。そこで千鳥さん――一緒に行きませんか。私はあなたもいてくれれば大変に喜ばしい」


 私の言を受けて、千鳥さんは目を丸くする。どうやら想定外の言葉だったらしい。アレコレと考え込む素振りを見せて、何事かを伝えようと口を開く。だが結局は言葉に出来ぬようですぐに閉ざしてしまった。


「……寅次郎さんは本当にはっきりとモノを言います」


 そのままポソリと呟かれる。


「よくがっつき過ぎだと言われます」

「少しズルいと思います」

「それは申し訳ない」


 強引な勧誘で彼女の不興を買ってしまうのは残念であるが、嘘偽りなき本心であるから仕方ない。私は心して彼女の返答を待つ。待つことしばし。彼女はおもむろに首を縦に振ってくれた。


「なんだ千鳥、気が進まないんじゃなかったか?」

「分かっていて言ってるでしょう、陽子」

「何のことかなぁ」

「もうっ」


 鈴木と気のおけないやりとりを交わす彼女は不本意そうであるが、不機嫌ではないように思えた。彼女が何を懸念しているのか、それは分からないが、彼女が望まぬ結果にはならなかったようで一安心である。


「ただし。『亀の団』とは、本当に大勢で駅前広場を占拠すると聞いたことがあります。遠くから見物するだけにしましょう」

「まあ別に、一緒になって騒ぎたいわけじゃないしな」


 主張する千鳥さんの言葉を鈴木が承諾する。私としても異論はないために、話はそのようにまとまった。

 その後、私達は他愛ない話をくりかえし駅構内へと入る。先の電車で女性二人が、そして続く電車に私が乗り込んで、それぞれが帰宅の途についた。私は電車の座席へと腰を下ろすと、今日の出来事について思いおこしていた。三人で水炊きをつついたところから始まり、Bar「ラブラビット」にて飲み語りしたこと。依然にして私と千鳥さんの関係はただの飲み友達であり、その関係性に変化はないが、それでも彼女について多く知れたことを嬉しく思う。惜しむらくは彼女に想い人が存在することであるが、そのことで私の気持ちが揺らいでいるのかというと、全くそのようなことはない。それどころか、より一層に気持ちは強くなったように感じる。いつかは、この想いを彼女へと伝えて玉砕する日がくるかもしれない。しかし、それまでは友人という心地よい関係を続けていく、それは許容されて然るべきであろう。

 私はぼんやりと思考しつつ、徐々に目蓋が降りていくことに気づく。電車の揺れが心地良いうえに、思えば今日は飲み過ぎた。千鳥さんと出会ったのも、このように飲み過ぎた帰り道であったなと、考えたところで私の意識はまどろみの中へと沈んでいった。


 ――不思議な夢を見た。


 宙を舞う夢だ。子供時分より見なくなって久しい。しかしまた、毛色が違う夢である。私は宙空に浮遊し、静止している。それにも関わらず、臓物が体内を自由気ままに移動するかのような感覚。高所より落下した際特有の、スウとしたあの感覚を延々と味合わされているのだ。まるで私が空中に投身したそのときに、誰彼の手によって時間を止められたかのようである。これでは宙を舞うというよりも、ひたすらに落下し続ける夢だ。気分はよくない。視界の先にはどうしたかことか大きなモミの木が見える。澄んだ星空を背に、キラキラと輝く大木は、決して私には届かぬ大望の象徴のように思えた。悔しくなった私は、ワタワタと尺取虫のように身を捩らせて、モミの木へと手を伸ばす。しかしスカリと空振るばかりであった。

 そこでハッと目が覚めた。

 ガタゴトンと揺れる車内。どうしたことか、視界には誰の姿もいなかった。私はもしやと思い、慌てて現在地を確認する。しかし予感とは裏腹に、目的地を乗り過ごしたわけではないようであった。

 ほうと安堵の息をつくと同時に疑問に思う。

 私が常用しているこの電車は、人の利用が多いとまでは言わないものの、決して少ないわけではない。時間帯を考慮しても、このように人の子一人いない状況は考えにくく、初めての経験であった。

 首筋にヒヤリとした冷物を当てられたような気がした。先程の夢見のこともあり、どうにも不吉な印象を拭えない。


「まるで世界に一人、取り残されたかのようではないか」


 私はいつか見た映画の一幕を思い出して、呟く。その映画の最後はどうなっただろうか、主人公の最期は何だっただろうか。不吉な予感に流されるままに想像したところで、気持ちを切りかえるように首を振る。

 そして誰でもいいので姿を見せてくれと、祈念してジッと電車の扉を見た。

 不吉な予感は夢見の悪さが原因であり、誰の姿もないのは単なる偶然だと理解している。しかし、それを証明して欲しかったのだ。そしてそれは、誰かが姿を現すことにより果たされると考えたのだ。

 私はジッと不安に耐えて、扉を凝視する。

 やがて電車は次の駅へと到着して、乗客が乗り込んでくる。どういうわけか、乗客は一人のみであった。それでも私にとっては自らの妄想を否定してくれる貴重な存在であり、私は心内で安堵の息をつく。

 その貴重な一人は、私の姿を見つけると楽しそうに笑んだ。コロコロと蠱惑的な表情を見せつけて、おもむろに歩いてくると、告げる。


「こんばんは、良い夜ね」


 その人は太陽の女性であった。

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