男女の友情⑬

「確かに良い夜ですね。街が明るいと、そう思います」


 三度目の邂逅となれば、どうして彼女がここに、という疑問はある。しかしようやく人に会えたという安堵から、私は太陽の女性に和やかに応えた。酔って気分が大きくなっているというのも、多分に影響している。車窓の外を眺める。流れていく景色は、冬の時期特有の煌びやかさを伴っていた。


「そうそう、いいわよね。光る街並みというのは楽しくて好きよ」

「そうですか」


 カンラカンラと笑う彼女の様子には、邪気が感じられず、純粋に景色を楽しんでいるようであった。そうなると、私もつい、その感情につられてしまい、朗らかに彼女に話しかけた。


「そういえば、あなたに会ったら尋ねたいことがあったのです」

「なにかしら?」

「あなたの言葉なのですが『愉快なモノを期待する』とは何のことでしょう?」

「内緒」


 なしのつぶてである。ワザとらしく、身ぶりを加えて返答する彼女の様子からは、芳しい返答を得ることは叶わなさそうであった。それならばと、私は少々趣向を凝らした質問をする。簡単な、イエスかノーかで答えられる問いだ。


「では、あなたは運命の出会いというものを信じますか?」


 それは彼女が私に問うた言葉だった。それをそのまま、彼女に尋ねたのである。

 私の質問を受けて、彼女はキョトンと呆気にとられた顔をする。それは束の間の出来事であったが、とても愛嬌のある仕草に感じられた。私は彼女からそのような感情を引きだせたことに満足する。しかし、それも彼女が続いてだした表情を見るまでの間であった。

 彼女はニヤリと楽しげに口元をほころばせたのだ。それは初めて見る、彼女の一番の笑顔だった。

 思わず、ゾッとした。

 その享楽的な笑みの美しさは常軌を逸しており、身の毛がよだつ程に綺麗だった。行き過ぎていて、まるで共感を得ない。ともすれば彼女は人間ではないのかと疑うまであった。


「最終的に納まったカタチ。それが運命ってやつなんだと思うわ」

「ではあなたは運命が存在すると、そう考えているのですか?」


 私は自らが覚えた忌避感を悟られまいと聞き返す。幸いなことに、彼女は特に気にした素ぶりを見せずに答えた。


「どうかしら。だって本当にコロコロと変わってしまうのですもの、これでは『無い』と断言されたら頷いてしまいそう」

「コロコロと変わってしまうような定めならば、それはもう運命ではないのでは?」

「一概にそうとも言えないのよね」

「どういうことです?」


 ただの他愛無い問答のつもりで始めた会話であった。しかし、彼女の意味深長な言動に、私はつい興味をひかれて質問を重ねてしまう。私の言を受けて、彼女は電車の進行方向へと顔を向ける。 


「私達はどこに向かっているのかしら?」


 彼女のその問いに、次の停車駅の名をもって答える。この電車は各駅停車しないために二駅先となる。よって停車までまだ時間があった。


「それじゃあ、たった今。あなたの運命が変わったとしましょう。それをもって、あなたが次の駅を降りたとする。駅を降りたらそこは終点だった。そんなことはありえるかしら?」

「ないでしょう」


 終点駅までは、まだまだ先である。悠に一時間は電車に揺られ続けなければならない。


「そう。あなたが、あのままずっと眠り続けていたなら、そんな結果もありえたのかもしれない。けれどあなたは起きてしまった。だから、そんな運命はやってこない。けれどまだ取り返しのつく事柄ではある。あなたが今からまた眠りこければ、運命は変わる」


 彼女は何の話をしているのか。先は見えてこないが、途中で腰を折ることはせずに聞き続ける。


「では望む結果が違うものであったなら。あなたが終着駅ではなく始発駅に降りるためにはどうすればよいか。そのためには、あなたは乗車する際に上り下りを間違えていなければならない。もしくは電車の運転手が操作を誤って逆走しなければならない。どちらも『現在のあなた』の運命を変えたところで、どうにもならない」


 彼女は楽しそうな笑顔を崩すことなく、流暢に話し続ける。


「賽は投げられたら、目を変えることはできないわ。ほんと、誰が言ったのか知らないけれど、便利な言葉ね。逆に言えば、投げられる前ならばどのようにも運命は変えられる。あなたを内閣総理大臣にすることだってできるし。将来、世界中の教科書に残る偉人の一人にだってなれる。大事なのは『いつ、どこで、誰の』運命が変わったのかということ、それさえ弁えていれば、この世は本当に愉快痛快。私はそう思うのだけれど――」


 彼女はそこで話を一区切りつけると「どうかしら?」と尋ねてくる。私の意見を求めているのだ。

 私はといえば、彼女の突飛な論調に戸惑いはしているものの、一方で「面白い」と真剣に考察している自分に気づいた。元々学生時代に、気の合う仲間たちと夜通しで、「時間旅行」や「宇宙の果て」更には「神仏の有無」など、考えても仕様もない事柄を、安酒片手に――もう片方でケツを掻きながら――議論に熱中していたのは他でもない私のことである。その議論の中には「因果論」という議題も当然ながらに含まれていた。まったくもって、時間を持て余した暇人達の遊びだと今では思っているが、それでも楽しかったことには違いなく、私は当時の心境を思い出しながらに述べた。


「いわゆる『人生の転換点』というもの――ですかね。それさえ逃さなければ、如何様にも未来は変えられると。しかし、私ごときが教科書にのるなぞ、夢のまた夢だと思いますがね」

「そうね、それを為すためには、あなたが生まれる前からやり直さないと」


 失礼なことを言って無邪気に笑う彼女からは、先程に感じた忌避の感情をまるで覚えなかった。電車のアナウンスが流れる。もうすぐに次の停車駅に着くようである。いつの間にかに、そこそこの時間が流れていたらしい。


「正直なところ、私としてはもっと面白くなると思っていたのよね」


 彼女はふと、こぼれでたというように独白を始める。


「できうる限りに差異無く、元の関係を壊さないように、運命を変えるつもりだったみたい。これはこれで面白いの。間違い探しをしているみたいで。けれどどうにも気持ちが盛り上がらないのよね」

「何の話です?」


 唐突な台詞に私は意味を問うも、彼女は「いいからいいから」とでも言うように、手をひらひらと蝶のように翻して、私をいなす。


「もっとドキドキしたいの。初めて観たときみたいに、これからどうなるのかしらと、期待に胸を躍らせたいの。私が望むのはそれだけね。あなたならきっとそれに応えてくれると、私は確信しているわ」


 彼女がそのように述べると同時、電車が駅へと到着した。車窓の外には大勢の乗客が待ち構えている。今の車内の閑散さとは比較にならないほどだ。彼女は最後に「次はきっとガラリと変わっているでしょうから、頑張ってちょうだい」と私を鼓舞した。そして乗り込んできた大量の乗客たちに逆らうように歩きゆく。


「愉快なモノを見せてくれることを期待しているわ」


 そうして太陽のような明るい笑顔をふりまきながら彼女は去っていった。行き違う乗客たちが、見るからに赤面している。中には足を止めて後続に追突される者がいる程だった。

 そして残された私はというと、疑問符を心内に大量に抱え込みながら呆然としていた。


「彼女もまた酔っていたのだろうか?」


 そうして納得するしかない。

 清廉潔白な私とは違って、世の中には奇天烈な人間が多くいるというのは知ってはいる。だが、こうして妙な後味を感じるのは稀であった。特段に嫌悪感を覚えることもなく、かといって私が得たものは何もない。奇々怪々な夜の一幕であった。

 まあこんな夜があっても良かろう。

 私はそう思い直すと、急激に混みあってきた車内にて居住まいを正す。

 酔いはすっかり醒めてしまっていたが、話し相手を失ってしまった退屈さからか、少々の微睡みを感じる。しかし再び居眠りをしてしまうと、今度こそ目的地を乗り過ごしてしまうのは明白だ。降りる目蓋と格闘しながらに鼻がムズムズした。アクビとクシャミ、どちらを優先して出すべきかと悩んだ末にアクビを選んだが、上手くいかずに盛大なクシャミが出た。言うまでもなく、周囲の乗客たちの反感をかう。

 中々に上手くいかないものである。

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