男女の友情⑨
私達はおおいに鍋を堪能して、店舗を出る。ふくれた腹を満足気にさすりつつ時計を見れば、時間も程よい頃合いであった。繁華街へと戻る。待ち合わせ場所にいたのは、牛尾氏とその奥方であった。二人とも小粋な軽装に身を包んでおり、とても味がある。二人そろって歩いていれば、それはもう見事な老紳士と淑女であった。
「学校外で安田先生と顔を合わせるというのは、不思議なものです」
「ええ、私もそう思います」
私の顔をみるなり奥方、同僚の養護教諭である春子先生が笑いかけてくる。彼女の雰囲気は校内で出会わすときよりも柔らかく、まるで往年の深窓の麗人のような気配がある。事実そうであったとしても、なにも驚きはない。
「ということは、一緒にお話を聞かせていただくのは先生ということでしょうか?」
「いえ、私ではありませんよ」
牛尾氏が話していた、もう一人の当事者というのは彼女のことかと思い、確認したならば「私は久方ぶりにご挨拶しようと付いてきただけです」と否定された。どうやら、その人というのは彼女とも知己であるらしい。
その後、初対面である面々の紹介を終えると「それでは向かおうか」と牛尾氏の声により、目的地へと向かうことになる。先導する牛尾氏にしたがうように私が歩き、女性三人組は楽しそうにお喋りを交えながらに続いてきた。
不思議な道中であった。
どこをどう通ってきたのか分からぬほどに道を曲がる。これはぐるりと一周したのではないのかと振り返ると、一本道に見えた道中も、複数の小道がよりあわさるように出来ていた。どうやら同じ道は一度たりとも通っていないらしい。そしてそのように複雑怪奇に動きまわろうとも人の往来から離れるようなことはない。私達は、相も変わらず繁華街の真只中に存在し、その中をアチコチと移動しているようであった。
「変な道中で申し訳ないね」
怪訝に思っているのを察せられたのか、牛尾氏が声をかけてくる。
「いえ、しかし道は覚えられそうにないですね」
「分かりやすい大通りでも向かえないことはないんだが、だいぶ遠回りになる」
牛尾氏は「まったく本当に変な場所に店を構えたもんだ」とぼやくように呟いている。どうやらこれから向かう場所は何らかの店舗であるらしい。
「あと少しだ」
牛尾氏が皆に呼びかけるように声を出すと、一本の細道へと入りこむ。
雰囲気のある路地であった。建築物の合間が結果として道路になったような、飾り気のない無骨な一本道。その道沿いをぼんやりと灯りが照らしている。足元灯というのだろうか、暖色の光が等間隔に並んでいる。ぽつんぽつんと、酔客たちを導くように、それとも誘き寄せるようにして、道の奥へと連なっている。怪しく好奇心を掻き立てられる演出だが、同時に危険な香りが奥から漂ってきている気もする。
「なんだか冒険しているようでワクワクしますね」
道の先へと入りこんでしまった牛尾氏を何とはなく見送っていると、後から追いついてきた千鳥さんに声をかけられた。
「ええ。しかし、酔客が一人で迷い込む様な場所ではないですね」
「そうですか? 私は好きですね、こういう雰囲気。ふらふらと誘い込まれてしまいそうです」
「そのようなときは私を呼んでください、ご相伴いたします」
「ふふ。わかりました。その際は頼りにさせてもらいます」
千鳥さんは「行きましょう」と先を行く。私は慌てて彼女に続いた。
そこまで長い道ではない。たどりついた袋小路には、一つの店があった。飾り気のない扉が一つあるばかりで、店内の様子は窺い知ることができない。ともすれば営業している店舗ではないと見落としてしまいそうにもなるが、店先に掲げられた看板が、唯一その存在を誇示していた。そしてその質素な立て板には「Barラブラビット」と書いてある。
牛尾氏の姿はない。すでに店内に入ってしまっているのだろう。
「それでは向かいましょうか」
「はい。鬼が出るか蛇が出るか。私としては兎が出てくれば助かります」
二人で扉をくぐる。カロコロンというベルの音が鳴り響いた。
そこには極めて趣のある空間が拡がっていた。
基本的には西洋風のアンティークで調えられた室内。しかし和洋折衷。なにせ障子や信楽焼の狸さえある、それが全体の調和を崩しはしないのだ。大正モダン、という言葉が最もこの空間を表すのに近いだろうか。和風建築の中に西洋の内装を組み込んだようなこの店は、そういう場所であると、唯一の個性を光らせていた。
「いらっしゃい」
しみじみと店内の様子に感じ入っていたならば、そう声をかけられる。老人の声だが、落ち着いた低音は、妙な張りと色気を感じさせる。カウンターの向こうに一人の御仁がいた。彼はきっちりとした紳士服に身を包み、立派なカイゼル髭を蓄えていた。それだけであったならば、私は彼のことを雰囲気のあるバーのマスターだと認識したであろう。しかし、ある物体が邪魔をする。どうしたことか、その御仁の頭上には長くて可愛らしいウサギ耳が備えられているのである。
「兎の穴へとようこそ」
御仁はニヒリスティックな笑みを浮かべて、歓迎の言葉を告げてくる。
しかしどんなに恰好をつけようとも、私にはファンキーな爺としか認識できなかった。
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