第35話 崩れる地盤
「拡声器借りますよ、カメさん」
太陽の言葉に、地上の暴動を眼下にしながらカメは拡声器を預けた。……心なしか、先ほどより騒乱の激しさが増しているようだ。そう、カメは思った。
例のスリープシステムの頭脳が、通信手段を奪うことを思いついたのか? だとしたら、かなりの学習速度である。スリープ脱走者の動きも、今までとは比にならないほどに研ぎ澄まされてきていた。
――何かきっかけがあったのか?
カメが考えていると、にわかに人ゴミがざわつき始めた。おやと思いそちらを見ると、その中心で大きな炎が上がる。
「……いかん、錠剤を使ったか」
「太陽ちゃん!」
「分かってます。もうそろそろ準備が……!」
太陽は額に汗を浮かべて、ある一点を見つめていた。その視線の先で、ぼこぼこと地面が盛り上がる。そして、大きな青旗が突き上がった。
それを見た太陽は、拡声器を持ち直した。
「準備完了! 総員退避! 鵜森さん、よろしくお願いします!!」
「はいヨォ!」
太陽の掛け声に、鵜森が登場する。彼女が乗る小さな機体には、やたら大きなタンクが積まれていた。
「そんじゃ、大雨洪水警報と参るかね!」
タンクから水が撒き散らされる。その水が地面に触れたかと思うと、スリープ脱走者達の足元が沈み、たちまち彼らは柔らかな土に腰まで飲まれてしまった。
「……彼らの下の地面を掘り、空洞を作る。後は、地面を軟化させる液体と硬化させる液体を順に撒けば……!」
二つ目の液体が別の車から散布される。地面から抜け出ようともがいていた脱走者達であったが、一瞬にして固まった土に完全に動きを封じられてしまった。
だが、力を手にした錠剤能力者だけは別である。今まさに、火を操る脱走者が、逃げ損ねた警察官に向かって己の暴力を行使しようとしていた。
「カメ、頼むぜ!」
「!」
いち早くその危機に気づいたウサギが、空中でバイクを傾ける。一度は驚いたカメだったが、すぐ状況を飲み込むと、垂直に落ちるバイクから手を伸ばし、火が届くギリギリの所で警察官の襟首を掴み放り逃した。
「後は僕に任せてください!」
太陽が飛び降りる。そして素早い動きで火をかわし、彼はその脱走者に組み付いた。
「残る錠剤は……ここか!」
隠し持っていた錠剤を探り当て、投げ捨てる。だが、能力者に組み付いている彼が、そのまま無事でいられるはずがない。がっしりとした肩に、真っ赤な火が燃え移った。
「太陽君!」
しかしそれが広がる前に、カメが硬化させた腕に太陽の服を引っ掛けた。ウサギはそれを確認することも無く、空に向けてアクセルを回す。
凄まじい勢いで飛ぶバイクの風圧で、小さな火はあっという間にかき消えた。
「おおきに! 感謝します、ジイさん方!」
「あまり無茶はするんじゃないぞ、不適合者君」
「いえ、ご覧の通りフィジカル面には自信ありますんで!」
……部下や上司にはするにはありがたいが、統率するには向いていないかもしれない。反省の色が見えない太陽にため息をつくカメだったが、反面ウサギは嬉しそうだった。
「カッコよかったぜ、太陽ちゃん! おかげで錠剤も潰せたしな!」
「それはホンマにこちらこそです。……見てください、なんとか鎮圧が完了したようですよ」
太陽の言葉に、ウサギとカメは地上を見下ろした。スリープ脱走者はまだ蠢いてはいるものの、凝固した土に腰から下の身動きが取れない状態であった。
太陽は、少し疲れたような声で言う。
「後始末としては、一人一人脳の受信装置をシャットダウンして、またスリープに戻したらなあきませんね。あ、でもそのスリープシステムが首謀者なんか……。どないしょ」
「いよいよこれは、サルを捕まえてどういうことか問い詰めなきゃいけないな。とりあえずウサギ、我らのヒーローである太陽君を皆の元に返してやりまたえ」
「オーケー。ヒーローの凱旋って窓突き破った方がカッコいいよな?」
「やめてください、普通に降ろしてください」
太陽の懇願に、ウサギは「ちぇ」と唇を尖らせて大人しく降下し始めた。
まるで、人間が畑から生えているようである。シュールな光景の中、太陽は拡声器片手に降り立った。
「――みんな、無事ですか!?」
まばらながらも、男女入り混じった声があちこちから上がる。上空から目視はしていたが、実際こうして安否が分かるとホッとするものだ。太陽は、ようやく表情を緩めた。
「ほいたら、怪我の無い人は引き続きスリープ脱走者の保護に勤めてください! 怪我した人は適当に周りの人に頼って看護ルームへ! 慌てんでええんで、よろしくお願いします!」
順当で真っ当な指示である。うんうんと頷きながら、ウサギとカメはバイクの上で後輩らを見守っていた。
しかし、その平和は長くは続かない。
――異変に最初に気付いたのは、またしてもウサギであった。
「……カメ」
ウサギが、カメの肩をつつく。何の用かと振り返ったカメの顔も、ウサギ同様引きつったものになった。
「……あれ、死んでないよな?」
おずおずとウサギがカメに尋ねる。彼らの目に映っていたのは、先ほどの狂乱とは一転して、地面にぐったりと上体を投げ出したスリープ脱走者の姿であったのだ。
すぐに太陽も気づき、手を出そうとしていた他の警察官を制する。そして、自らの目で確認するため近づこうとした。
だが、彼の足が三歩進むか進まないかといった時、不意にスリープ脱走者らの体が大きく仰け反った。その顔には、暴動時と同様、何の意思も見られない。
恐怖と驚愕で硬直した警察官らに、彼らはガパッと口を開けた。そこから、同じ音が一斉に放たれる。
「「ア、ア、ア……聞こエ、ルか」」
――呼吸も、言葉も、そのタイミングは全く同じである。何者かが、脱走者の脳に埋め込まれた機器を通して、メッセージを送っているのだ。
一体、誰が?
……いや、愚問である。こんな芸当ができるのは、まさに “ 彼 ” しかいないではないか。
そして、操られた脱走者らは、己が主人の名を口にする。
「「――我ガ名は、スリープ。 “ 意思 ” ノミの “ 人間 ” ナり」」
脱走者らの言葉に、ウサギは息を飲み、カメは奥歯を噛み締め、太陽は拳を握った。
やはり、カメの推理通りだったのだ。
無機質な声が、場を支配する。
「「我、体ヲ欲すル者ナり。生キ残りノ、クローン人間ヲ、スリープシステムに寄越セ。サモなくバ、残るスリープ者ノ命は、残らズ、失わレルだロウ」」
――人質である。人類の幸福を維持する為のシステムが、人の命を盾に人間に要求を突きつけたのだ。
これには、人工知能が首謀者であると覚悟していたウサギ達ですら、大きなショックを受けるものだった。
システムとは、与えられた役割のみをこなす仕組みである。よって、人間のような気まぐれな心変わりは存在しない。だからこそ、人々は絶対的な安心感に身を任せ、これまで安穏と生きてこられたのだ。
その地盤が、実は決定的に崩れていたなどと、誰が真正面から受け止められようか。
ウサギを始めたとしたその場にいた全員、目の前が暗くなるような事実に動くことができないでいた。
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