第24話 錠剤の適合性
光に透かすと、流れる赤い血の色が分かる。繋ぎ目や色合い、指を動かすたびに浮き上がる骨の質感。――どこからどう見ても、本物の手だ。
椅子に腰掛けた青鳥は、義手となった自分の右手を不思議そうに眺めていた。
作り物なので定期的なメンテナンスは必要であるが、爪などが伸びないことを考慮すると、普段の手入れはむしろ楽なくらいではないか。我ながらポジティブな考えだと思いながら、青鳥は一人笑みを浮かべていた。
「思い出し笑いは相手に不信感を与えるぞ、青鳥君」
大きなお世話をブッ込んできたのは、上司のカメである。見られていた恥ずかしさに青鳥は慌てて仕事に戻り、次の書類を手に取る。それは、カメの錠剤使用申請書であった。
先ほどの指摘を取り繕うように、彼は上司に話しかける。
「カメさんの適合錠剤は、Cなんですね」
「おや、クローン人間の君にもこのあたりの知識はあるのかね」
「必要最低限の常識と知識はあるようです。個人を構成する思い出などの情報となると、途端に穴だらけになりますが」
「もう粒子化は勘弁してくれたまえよ。義肢もタダではないんだ」
「ええ、努力します」
実のところどう努力すればいいのか全く分からなかったが、とりあえずそう答えておいた。青鳥としても、粒子化なんざ二度と御免なのである。
カメは老眼鏡を外し、目頭を指で押さえていた。彼の前には、とあるデータが広げられている。
「……システム管理者の中に、怪しいヤツは見つかりましたか」
「いんや。これぞという人間もいなければ、全く無実と言い切れる人間もいない。つまり手掛かりはゼロだ」
「どうしたもんですかね」
「フン、突破口は必ずあるよ。諦めなければな」
珍しく精神論のようなものを言い出したカメに、青鳥は少し驚いた。皮肉だけではなく、こういう事も言える人なのか。
なるほど、まだ自分は生まれたばかりということらしい。
「……オレもそっちを手伝いましょうか?」
「不要だよ。なんなら青鳥君の雑務処理の方が大事だ。なんせ鵜森女史の機嫌を損ねようものなら、二度と錠剤を使わせて貰えなくなるからな」
「錠剤かぁ……。この錠剤って、クローン人間であるオレにも適合があるんでしょうかね」
何気無く口に出した疑問に、カメはむくりと顔を上げる。その目には、疲労が見て取れた。
「気になるのか?」
「まあ、少しは」
「勿論、クローン元に適合性があったなら、君にもあるだろう。何故なら君は彼のクローン人間だからだ」
「カメさんはそのクローン元を知ってるんです?」
「そりゃあ知っているとも。だが、恐らくは青鳥君が望むような清廉潔白で高潔な人物ではないよ」
カメは、唇の端を持ち上げて意地の悪い笑みを作った。一体どこでそれを知る機会があったのだろうか。
カメに手招きされたので、青鳥は素直に従い腰を上げた。
「これをご覧。あのドサクサに紛れて、有能なる僕はクローン元の人間のデータを抜き取ってきたんだ」
「数がとても少ないように思いますが」
「途中で邪魔が入ったんでな、ほんの少ししか持ち出せなかった。……ほら、ここだ。たまたま君のデータが入っていたよ」
カメの指差した先には、施設で見せられたデータと同じものがあった。当時は混乱でじっくり見られなかったが、こうして落ち着いてみるととても詳細な個人情報である。
その中でも、青鳥は一つの項目が気になった。
「ぜ、前科……!?」
「その通り。青鳥君の元となった人間は、大変恐ろしい犯罪者だったのだ」
「しかも罪状がテロリストって……! 大事件じゃないですか!」
「よく見ろ。ちゃんと未遂で終わっている。だから厳密に言えば、テロを計画した罪だな。まあ恐ろしい犯罪者であることに違いはないが」
「ええ……。オレ、普通に街に出て買い物とかしちゃってますよ。仮IDでですけど」
「他の人間に犯罪者と思われないか気にしているのか? 大丈夫、彼は百年前の人間だ。スリープの中で生きてはいるが、現実世界で彼の顔を覚えている者なんざ一人もいないだろう」
その言葉に、青鳥はホッとした。いくら自分の元となった人間とはいえ、その罪を被るのはあまりに荷が重かったからだ。
「……でも、なんでわざわざ犯罪者をクローンに選んだんですかね?」
「そりゃあ、犯罪者の方が自我が強いと踏んだからだろう。比丘田の目的は、ワガママ放題に悪意を撒き散らす人間を野に放つことだった。善良な一市民のクローンなんざ作って観察しても、面白くないだろう?」
そしてその為に拳銃まで作ってな……とカメは続ける。確かに、人間のクローンを作れるぐらいなら、拳銃を生み出すぐらい訳はなかっただろう。つくづく、厄介な男が逃亡したものである。
「……早く共犯者を見つけないといけませんね」
「頼もしいことを言ってくれるじゃないか。それでは、元テロリスト君の適合錠剤を確認してみよう」
口の悪いカメはデータの詳細を開示する。青鳥が食い入るように見つめたそこに記されていたのは、“ B ” という一文字であった。
「……これが、オレの適合錠剤ですか」
「うむ、Bか。僕ともウサギとも違うな」
「能力は……あれ、おかしいな。書いてない」
「なんだと?」
それは予想外だったらしい。カメも、身を乗り出してデータを覗き込んだ。
「……妙だな。他の人間はちゃんと能力まで書かれてあるのに」
「間違って消しちゃったとかですかね」
「馬鹿な。遺伝子情報にも関わってくるような重要項目だぞ。いや、そもそも、しかし……」
考えこんでしまったカメの隣で、青鳥も腕を組んでみた。が、いくら首を捻ってみたところで、答えなど見つかりそうにない。
「……それこそ、検査でもしてもらいますか?」
「そうするしかあるまいな。検査自体は血液さえ摂ればいいし……ほれ、腕出せ」
「え、もうやるんですか」
「無論。なぁに、ちょっとチクッとするだけだ」
「どうしてさも当然のように机の中から注射器が出てくるんです?」
嫌がる間も無く腕を掴まれ、青鳥は血液を抜かれた。小さな容器を手にしたカメは、窓のそばにある署内運搬ベルトへと足を運ぶ。行き先をパネルに入力し、蓋を閉めた。
「これで良し。後は鵜森女史に連絡を入れておこう」
「でも、なんかあれですね。どんな能力か分からないっていうのも、それはそれでワクワクしませんか」
「青鳥君は存外能天気な男だねぇ。願わくば、アホウサギの後を継がないでいてくれればいいのだが」
こんな時でもカメはウサギへの皮肉を忘れない。青鳥は苦笑いを返して、自分の席に戻った。
ちょうどここで、ウサギも健康診断から帰ってくる。
「たっだいまぁーん! ヒヨヒヨ青鳥ちゃん、オレがいなくて寂しくなかった? カメに酷いことされなかった?」
「注射を打たれました」
「想像の斜め上!!」
青鳥を撫で回していたウサギは、そのまま彼を庇いカメから遠ざかる。これには事情がと青鳥が説明しようとした矢先、今度は太陽が部署を訪ねてきた。
相変わらず、精悍な男である。しかしその顔は、ウサギと違い決して愉快そうなものではなかった。
「あれ、どったのよ、太陽君」
「失礼します。……一人、青鳥の客や言うてる人が来てまして」
「青鳥の客ぅ?」
ウサギは大仰に眉をひそめてみせる。――それもそのはずだ。青鳥はクローン人間であり、この世に誕生してからまだ二週間ほどしか経っていないのである。
そんな彼を訪ねてくる人間がいるとは、とても考えられなかった。
「……比丘田の共犯者関係のヤツかね」
カメがよっこいしょと立ち上がる。それに、太陽は頷いた。
「可能性は高いと思います。ただ、一つ気になる点があって」
「気になる点?」
「はい」
太陽の頬からは、少し血の気が失せているように見えた。
「落ち着いて聞いてくださいよ。僕もまだ信じられへんのです」
「いいから、早く言いたまえよ」
「わかりました」
太陽は深呼吸をして、ウサギに目をやる。ウサギは、彼の視線の真意がわからずキョトンとした。
「訪れた人――女性なのですが、僕、どうも見たことある気がして」
「誰だよ」
「……ウサギさん、あなたの身内の方なんですが」
何か予感したのだろうか。青鳥の隣で、いつも明るい上司がヒュッと短く息を飲む音がした。
「……三十年前にスリープに入りはった、ウサギさんの奥さん。その方に、よう似てるように思うんです」
絞り出したような太陽の言葉に、ウサギはただ目を見開き固まっていた。
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