第23話 紙切れ

「ハイ次の方どうぞー」


 気怠げな声と、消毒液の匂い。呼び出されたウサギは、意気揚々と彼女の待つ小部屋へと入っていった。


「久しぶりぃ、鵜森うもりちゃん! 相変わらず眼光キツイね!」

「身長体重その他諸々変わりなし。が、尿酸値だけは上がっているねぇ。薬を変えてみようか」

「会話してよぅ」


 本日は、年に四回行われる健康診断の日だ。サラリとしたミディアムヘアの女性は、警察官の健康管理や錠剤適合診断などを一手に引き受ける、医療科学技術部長の鵜森サユコである。年齢は、太陽よりも少し上だとウサギは聞いたことがあった。


 鵜森は右の手の平を上にし、鋭い眼差しでウサギを見る。


「……錠剤使用申請書」

「あ」

「あ、じゃない。ここ一ヶ月、不慮の事故で強化錠剤を使う機会が多かったとは聞いているが、それは言い訳にならないよ? 錠剤を使ったなら、申請書を出す。それができないようじゃあ、私は君からAを取り上げないといけない」

「勘弁してぇ」

「勘弁してもらいたいのはこっちだよ。ただでさえ、AI搭載自立型人形の暴走で手一杯だというのに……」


 頭痛持ちの鵜森は、片手を頭にあてて嘆息する。

 比丘田の起こした事件は、劇場で使う機械人形が搬送中に盗まれ、愉快犯により各所で放たれた、という内容にすり替わっていた。

 伝わる内容は違っていても、使われた錠剤の数は変わらない。鵜森の元には、錠剤の使用申請書と追加要請書が山となって押し寄せてきていた。


「しかし、不思議な薬だよな」


 ウサギは丸椅子の上でくるくると回りながら、言う。


「オレはAを飲んで、通常視力やら動体視力やらの性能が上がる。カメはCを飲んで、体を硬質化できる。でも、オレがBやCを飲んでも何も起きないんだろ?」

「適合していないからね。もっとも、どの錠剤を飲んだところで体に変化が起きない人も僅かにいるが」

「でもさ、それって危なくね? カメとか野放しにしちゃダメだろ。オレいつかアイツに殴り殺されるよ」

「錠剤の適性と、殴り殺す素質があるかどうかは遺伝子調査で出生前に分かることだ。今の所、問題は未然に防がれている」

「未然にねぇ」


 ――果たして、いつからこんな人体に謎の影響を及ぼす薬が出てきたのだろうか。少なくとも、ウサギが生まれた時にはもう、この人体強化錠剤は市民権を得ていたものだった。

 錠剤には、ABCの三種類がある。それらいずれかが適合すれば、人の力を超えた能力を短時間使用する事ができるのだ。日常生活や仕事をするにあたり便利な能力であることも多い為、日本政府は厳密な審査とルールの上、この錠剤を使う事を許可していた。


 とある学者の見解では、本来人間が辿るはずだった進化の一つが表れているということだったが……。


「あ、そうだ。鵜森ちゃん」

「なんだい」

「前から言ってたオレの部下の青鳥なんだけど、もうココに来た?」

「ああ、あのIDナシの義手君? 来たよ。まったく、ウサギさんもよくあんな珍しい男を見つけてくるもんだよね」


 その話題になると、鵜森の目が生き生きと輝いた。彼女は、研究者の御多分に漏れず大変好奇心が旺盛な人間なのである。


「知りたいなぁ。ホントは突然母親に捨てられた隠し子だなんて、嘘なんだろ?」

「そういう事になってんだから、そういう事で納得しとけよ。オメェは好奇心でギロチンに首突っ込むヤツだからな」

「まぁまぁ。自分の首ぐらい自分で管理するさ。……大丈夫、通常の人間ではありえない結果が出たが、うまく誤魔化しておいたよ。本人にも、上にもね。これでいいだろ?」

「ああもう、好き。鵜森ちゃん好き」

「好意は不要だよ。早く、情報」


 ずいずいとウサギに寄る鵜森に、思わず照れたカメはエヘヘと笑う。それから慌てて真顔に戻ると、彼女の手に素早く紙切れを握らせた。


「……ホント、ちゃんと自分の首は守ってくれよ?」

「任せてくれ。こういうのも一度や二度じゃないんだ」

「ほらもう物騒だもん。ここまで長生きできたのが奇跡」

「ハハ、事情を知らない事には、口裏合わせすらできやしない。そうじゃないか?」


 微笑む鵜森に、ウサギは困った顔をする。カメと太陽は、事前に相談した上で、彼女の好奇心を利用しこちら側に引き込むと決めていたのだ。しかし、ウサギはあまり乗り気ではなかったのである。

 信用していないわけではない。むしろ、彼女の情報に対する独占欲を考えると、これほど秘密の共有に都合のいい人間はいないとすら思う。その上、医療科学技術部長という立場だ。今後、比丘田の共犯者を探していくにあたり、仲間にしない手はない。


 ならば、何故彼は渋るのか。


「……ジイちゃんは心配ですよ」


 結局、それに尽きるのであった。

 それがウサギの心からの言葉であると知らず、鵜森はにこやかに紙切れを白衣の胸ポケットにしまう。


「ウサギさんの口からジイちゃんなんて言葉が出るなんて、もう年だねぇ」

「最初に会った時はオメェ、こんぐらいだったろ。情も湧くってもんだ」

「いや、初めて会ったの私が二十歳ぐらいの時だろ。それだと五歳ぐらいじゃないか。カメさんにも言われてるんだけど、ボケ防止の薬も追加しとく?」

「いらねぇよ!」


 茶化されて怒るウサギに、「でも、そうだね……」と、ふいに鵜森は目を伏せた。そして、ぽつりと言う。


「……いきなり連絡が取れなくなったら、寂しいもんだからな」

「なんだよ、急に」

「なんでもないよ。さ、長話が過ぎてしまった。錠剤は追加しとくから、後で書類をもってくるんだよ」

「あんがと!」


 ウサギは立ち上がり、部屋を出て行こうとする。その背中に、鵜森は声をかけた。


「ウサギさん」

「なんだよ」

「……いや、心配してくれてありがとうと思って」

「え、何。そう来られると怖っ」

「腹立つなぁ、このジイさん。尿酸値アホほど高く書いとこうかな」

「やめて。カメに見つかったら酒減らされんだよ」


 捏造しないように、なんならちょっと下げて書いておくように、と念入りにお願いしながら、ウサギはいなくなる。ドアが閉まり、また鵜森は一人になった。


 さて、次の警察官を呼ぶ前に一通り読んでみようか、と持ち前の好奇心を早速発揮した彼女は、貰った紙をポケットから出す。そこにかかれていたのは、今回比丘田が起こした事件の真相だった。


 最初こそワクワクとした様子の鵜森であったが、読み進めるうちに、その表情は引きつっていく。しまいには、とうとう紙を取り落としてしまった。


「……まさか……」


 落とした紙を拾うことすらせず、鵜森は呟く。無意識に漏れ出た言葉に驚き、続きは誰にも聞かれぬよう、片手で口を覆った。


 ――こんな事件はありえない。あってはならない。

 ――だけど、もしこれが “ あの子 ” の仕業だとしたら。


 額に手をあて、痛む箇所を強く押す。それでも、頭痛は止まなかった。


 ――誰よりも私自身が、確かめなければならない。


 健康診断用に与えられた部屋の中で、彼女は外から声をかけられるまで、じっと目をつぶっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る