第一章・始動編
風の国の少年と伝説の勇者の物語
かつて、この世には魔界へと通じる扉があった。
その扉からは『魔族』と呼ばれる恐ろしい生き物が次々に現れ、この世に様々な災いをもたらした。
人々は魔族を恐れ、絶望し、誰にともなく助けを求めた。
そんな人間たちを憐れんだ蒼き竜の神は一筋の涙を流し、救世主たる一人の青年と、光り輝く剣を授けた。
天から遣わされた青年は神の剣を携え、一人の少女と共に押し寄せる魔族たちと果敢に戦った。
長い戦いの末、青年は魔族の王サタンを倒し、闇に呑まれつつあった世界を救ったのである。
* * *
「――これが、大昔にあった勇者さまと魔族の王サタンの戦いだ。今から約四千年ほど前になる」
そう告げてパタン、と本を閉じた老神父はどこか満ち足りた様子で顔を上げた。だが、その表情もすぐに鳴りを潜め、代わりに重い溜息が零れる。
なぜなら、彼の視界に映るのはいずれも退屈そうな顔をした少年少女たちばかりだったからだ。わざわざ声に出して言われなくとも、少年たちが何を言いたいのか神父にはわかりきっている。どうせ「またその話?」というものだろう。恐らく一言一句間違ってはいないと、根拠のない自信さえ持てるほど。
「ねー、ジス神父さまぁ、またその話ー? たまには違うお話が聞きたいよぉ」
「そうだよ~。いつも同じ話ばかり聞かされたらつまんなーい」
「お、お前たちは……どうせそんなことだろうと思ってはおったが……」
子供とは素直で正直なものだ、各々思ったままの言葉を躊躇いなくぶつけてくる。この場に集まった子供はそのほとんどが六歳から十歳程度の者ばかり、特に容赦がない年頃である。
ジスと呼ばれた老神父は傍らの机に分厚い本を置いたところでまたひとつ溜息を零すと、固く拳を握り締めて力説した。
「よいかお前たち! 今ワシらがこうして生きていられるのは、約四千年前に勇者さまが世界を救ってくださったからなのだぞ! それをつまらないだの他の話がいいだの……」
「だって、四千年前とか言われてもよくわかんないもん」
「そうだよぉ、それにいつも同じ話じゃ飽きて当然じゃん」
「こういつも同じ話じゃ、さすがのジュードだって飽きて……」
どれほど力説しても、どうやら子供たちには届かないようだ。ジス神父と子供たちとの間には決して相容れない温度差がある。矢継ぎ早に向けられる言葉の数々に神父も一度はたじろいだが、一人の少年の言葉にその気分も再び浮上を始める。
少年の言葉に興味を持ったのは神父だけではなかったらしい、その場にいた子供たちも皆一様に少年の視線を辿った。
その視線の先には一目で年長者と分かる少年――否、青年と呼んでも誤りではない年頃の男がいた。赤茶色の髪を持つこの男は、風貌に未だあどけなさこそ残るものの年頃は十七、十八ほどだろう。この場に集まった子供たちの中では間違いなく一番年上だ。
だと言うのに、彼は子供たちのように飽きたと不平不満を洩らすことなく、むしろ翡翠色の双眸を嬉々に輝かせながら話の続きを待っている。そんな様を目の当たりにして、子供たちは呆れたように深い溜息を吐いた。
「ジュードってほんと勇者さまのお話好きだよね……」
「どこがそんなに楽しいのか教えてほしいよ……」
そんな呟きを零す子供たちにようやく気付いたらしく、ジュードと呼ばれた男は依然として目を輝かせながらそちらに視線を向けた。
「何言ってるんだよ、カッコイイじゃないか! すごいよなぁ、憧れるよなぁ……」
「ジュード、やはりお前はよくわかっている子だ。ワシの話をそんなふうに聞いてくれるのはお前だけだよ」
「ジュードはただ勇者バカなだけだって……」
ジス神父も、自分の話を嬉しそうに聞いてくれるジュードに表情を輝かせる。目には見えないが、じーんという感動の効果音さえ聞こえてきそうなほど。子供たちはやれやれと呆れたように、そして諦めたように小さく頭を横に振った。
――ここは、世界の西方に位置する風の国ミストラル。この場所はミストラルにある名もない小さな村の教会だ。
ジス神父はこの教会で神父を務めており、学校もない小さな村のため、子供たちに勉強を教える場として教会の一室を提供している。
現在は歴史の勉強中なのだが、この通りだ。
子供たちはジス神父の話を「飽きた」と言い、いつも満足に聞こうとしない。とはいえ、子供たちの言うことも確かに一理あるのだが。
ジス神父が歴史の授業で話すのは、いつも決まって約四千年前に起きた人間と魔族の戦いである「魔大戦」のこと。
かつてこの世界は魔族の侵攻に遭い、多くの人間が命を落とした。
魔族の王サタンはこの世界を支配すべく、各地に同胞を放ち人々を蹂躙していたのである。
だがある時、神から遣わされた一人の青年が光り輝く聖剣を手に魔王と戦い、そして勝利を治めた。
それによって、この世界は魔族の脅威から解放されたのだ。
魔大戦から既に四千年。
再び魔族が現れるようなこともなく、平和に包まれていた世界だったが――徐々にだが、その平和は崩れつつあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます