ふたりの英雄


 * * *


「陛下、女王陛下ッ! 魔物の群れが城下に雪崩れ込んでいます!」

「南地区の被害甚大、東地区、西地区も壊滅的な被害を受けています! 民だけでなく騎士団も負傷者が多く、このままでは……!」



 世界の南側に位置する火の国エンプレス。

 その王都は現在、魔物の侵攻により壊滅の危機を迎えていた。


 謁見の間の大扉が開かれた先からは、三名の兵士が飛び込んでくる。三名と言っても一人は男兵士に背負われる形で、意識があるのかさえ定かではない。共に入ってきた女兵士は今にも泣き出しそうな声で、城下の状況を報告として向けた。


 半分は泣いていたのかもしれない。彼女のその声は既に涙声だ。着実に死が近付く中、それでも生きることを諦めきれずにいるのだろう。


 玉座の女王は傍らにいた娘に支えられながら立ち上がると、覚束ない足取りでそんな兵士たちの元へと駆け寄った。



「既に中央区の防衛線まで魔物が押し寄せています! 我々はどうすればよいのですか!? どこも魔物が群れをなし、戦える者は残りわずか……武器は破損したものばかりで、どうすることもできません!」

「なんということだ……やはり先日の不気味な光は、災いが起きる前兆だったのか……」

「不気味な光……? 中央大陸で目撃された、例の光ですか?」

「そうじゃ、あの光が目撃された日、世界中に響き渡るほどの雄叫びを聞いたであろう、まるで獣か何かの……あれは竜の神による警鐘だったのかもしれぬ……」



 女王が弱々しく語る言葉を聞きながら女兵士は固く唇を噛み締め、脇に下ろした手を指先が白くなるほどに握り締めた。



「あの光が目撃されてから、中央大陸に船を出しても一隻たりとも戻ってくることはなかった……何かが――確実に何かが起きておる。この世界で、とてつもなくくないことが……」


 絞り出すように呟くなり、がっくりと肩を落として項垂れる女王を傍らの王女が不安そうに窺う。今は呑気に話し込んでいられるような状況ではない、現状をどう打破するか少しでも考えなければならないのだ。


 ――まだ生きる道を選択するのであれば、だが。


 戦える者は大幅に減り、満足に使える武器もわずか。魔物の大群は正確な数さえ定かではなく、広い王都はその魔物の群れに占拠されつつある。

 何とかしなければと一瞬こそ思った王女アメリアもまた、その現状を理解するなり諦念を滲ませて視線を落とした。


 言葉にしなくとも、それだけで諦めたのだと誰もがわかる。

 こうしている間にも魔物は城下街を破壊し、民を喰らいながら暴れ回っていることだろう。一国の王が救助の命令を出さず、言葉もなく俯き黙してしまうのだから、そこには諦め以外のものは何ひとつ読み取れない。



 しかし、誰もが国の崩壊を思い諦めたその時、謁見の間出入り口の大扉が蹴破るようにして開け放たれた。


 もうここまで魔物がやってきたのかとある者は驚愕し、またある者は恐怖を滲ませて出入り口を振り返ったのだが、そこにいたのは彼らが想像していたものとは全く異なっていた。



「ふううぅ……まったく奴らめ、払っても払っても右や左と襲ってきおる。よくもあれだけ元気に動き回れるものだ」

「がははは! お前さんの肉なんぞ喰ってもウマくないどころか腹を壊しそうだってのになぁ!」

「それはお前とて同じだろうが! いいや、お前よりワシの方が遥かに美味い自信はあるがな!」



 そのような言い合いをしながら謁見の間に入ってきたのは、二人の大男だった。この場にいた誰もが抱いていた絶望など、簡単に吹き飛ばしてしまいそうな賑やかさで。


 一人は浅黒い肌を持つ黒髪の男性だ。黒紅色の鎧を身に着けている姿から、騎士であることが窺えた。見たところ、三十後半か四十始めといった年齢だろう。女王は彼の姿を目の当たりにするなり、傍らにいた娘と共に声を上げる。



「メンフィス! そなたは無事であったか!」

「教えてくださいメンフィス、外は、街はどうなっているのです? 民はどうしました、逃げられた者はいるのですか!?」

「はい陛下、アメリア様もご無事で何よりです。街はもうひどい有様です、外に逃げ出せた民もいるのかもしれませんが……面目ありませぬ、流石にそこまで把握できておりません」

「そうか……だが、騎士団長であるお主が無事でよかった。メンフィスよ、動ける者と共にこのアメリアを連れて逃げてくれ。王都ガルディオンはもう終わりじゃ。だがこの子が生きてさえいれば、いずれ必ず復興も……」



 王女――アメリアは女王の言葉に、信じられないと言わんばかりの表情で彼女を見つめた。最愛の母である女王や民を見捨てて自分だけ逃げ出すなど、彼女には考えられないのだ。


 だが、メンフィスと呼ばれた黒髪の騎士は女王の言葉に深く頭を下げた後、場に不似合いなほどの笑みを貼りつけて口を開く。



「いいえ陛下、最早王都からの脱出は不可能です。それにこの場を失えば我々は生きてなどいられません。王都の外も恐らくは魔物がたむろしているでしょうからな」

「そんな……では……」

「我らが生き残る道はただひとつ、残った者たちだけでこの都に巣食う魔物を全滅させるだけです」

「ですが、報告では満足に使える武器はもうほとんど残っていないと……」

「ああ、武器でしたら……」



 メンフィスの返答に一度こそ絶望の色を表情に乗せた女王だったが、彼が不敵な笑みを滲ませて己の斜め後方を振り返る様子を見ると、自然とその視線を追う。すると、そこにはメンフィスと軽口を交わしていたもう一人の――銀髪の男が立っていた。歳は恐らくメンフィスとそう変わらないだろう。


 この男は一目で騎士とわかるメンフィスとは対照的に、その装いは傭兵のような身なりだ。着古した枯草色のマントと、身に纏う黒の衣服。命を守るための胸当ては装着しているものの、非常に軽装だった。男は片手の人差し指で己の鼻の下を軽く擦ると、背負っていた大きな鞄を「どっこいしょ」という声と共に傍らへ下ろす。



「武器ならここにいくつかある、こう見えても俺は鍛冶屋でしてね。注文の品を届けにきたらこの騒動に巻き込まれちまったワケです」

「おいお前! 陛下や姫さまに向かってなんという……ええい、もう少し丁寧な言葉は使えんのか!」

「この方は、メンフィスのお知り合いなのですか?」

「え、ええ、まあ……昔からの腐れ縁というヤツです。ワシとこいつで敵の親玉を探し出し、叩きます。これだけの群れです、恐らく大将がいるでしょう。それを仕留めれば撤退に追い込めるやもしれません」



 そう言いながらメンフィスは背負った大剣を再び手に取り、ふう、とひとつ息を吐く。これから死地に赴く己を密やかに鼓舞しているのだ。女王はそれでも不安そうにしていたが、傍らの王女は何も言わず母の背を優しく摩った。


 メンフィスはそんな母娘を見つめて固く拳を握り締めると、深く頭を下げた末に外套を翻して足先を出入り口に向ける。



 アメリアは、メンフィスの後に続こうと足を踏み出した男の背に咄嗟に声をかけた。



「お待ちください、あの……貴殿のお名前は?」

「名前? ははっ、王族の方々に名乗るほどの立派な名前は持ち合わせておりませんよ」

「まあ……それは困るわ、あなたが戦死してわたくしが生き残っても、名前がわからないままではお墓を作ることもできないじゃない」



 納得いかないと言いたげな顔でアメリアがそう告げると、男は目を丸くさせたかと思いきや声を立てて笑った。さも愉快そうに。不安や恐怖が消えたわけではないが、どうしてもこの男の名前を知ってやらねばと、アメリアは妙な部分で意固地になっていた。


 深い理由など特にない、ただ生きる目的がほしかったのかもしれない。



「はははっ、普通は男が戦場に出て行く時、女はその無事を祈るモンだが……いやいや、面白い王女さまですな。グラムです、グラム・アルフィア――俺が死んだら立派な墓はいらないんで、上等の酒を供えてもらえると嬉しいですねぇ」



 男――グラムはそう答えると、先に出て行ったメンフィスの後を追い謁見の間を飛び出していった。アメリアは暫しその大扉を見つめていたが、やがて玉座の後方に設置された――竜が天に向けて吼える様を描いたと思われるステンドグラスを見上げる。



「蒼き竜の神ヴァリトラよ、どうか……どうか彼らをお守りください。か弱き我ら人の子に、どうか御慈悲を……」



 震える声でそう祈るアメリアの背を、今度はそっと女王が撫でた。そして「見なさい」と言うかのように、その視線はグラムが置いていった鞄へと向けられる。


 すると、そこには完全に戦意を喪失していた兵士たちが群がり、鞄の中から真新しい武器を次々に取り出していた。負傷している者ばかりだが、彼らの表情は先ほどのような絶望一色とは異なり、やる気に満ち満ちている。


 メンフィスとグラムの二人に希望を見出したのだろう、彼らは生き残るために戦う道を選択したのだ。


 女王とアメリアは互いに顔を見合わせ、そして祈った。明らかに不利な戦いへと赴く皆の無事を。



「今は祈りましょう、我々の神に。どうかお守りくださいますよう……」

「はい、お母さま……」



 その後、騎士団長メンフィスと剣の名匠グラムによって見事に魔物の群れを撃退。

 壊滅の危機に瀕した火の国エンプレスは、二人の英雄の活躍を盛大に祝ったが、それは長きに渡る戦いの幕開けに過ぎない。 


 季節は春、厳しい寒さを乗り越えたばかりの四月の出来事であった。


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