約束は守りましょう


「ラフィンに足りないものって、なんですか?」


 アルマは渡された上着を大切そうに抱き締めながら、傍らに立つレーグルを見上げる。プリムも気になっているのか、アルマの隣に屈んだまま彼と同じように父を見つめていた。

 昨夜、彼女は街中でラフィンと交戦した身。その際の彼の戦闘能力は非常に高いものであったと記憶している。プリムとて自分の腕にはある程度の自信があったのだ。だというのに、彼には勝てなかった。


 ラフィンは息も乱さず、表情ひとつ変えることなく自分を押さえ込んでみせた男。

 そんな男に足りないものなどあるのか、純粋に気になったのである。


「(デリカシーはないけどな)」


 自分の胸を見ても、取り乱すことさえなかった。

 その事実は彼女の『女』としてのプライドを刺激してやまない。

 だが、そんな娘の心情も露知らず。レーグルは暫し水面を見つめた末に静かに口を開いた。


守護者ガーディアンに必要なのは相手を倒す力ではなく、仲間を守る能力だ。通常、ガーディアンは私のように鎧や甲冑、盾など己の身を守る防具を着用する」

「うん……せやな、騎士連中みーんなごっつい鎧着とるもんな」

「だが、ラフィン君はそういったものを全く身につけていない。あれでは仲間を守り切れずに途中で倒れるぞ」

「……あいつは守るよりも殴りかかりに行くタイプやな。ガーディアンは守る力が大切なのに、ラフィンはそれよりも攻撃に重きを置いてる……ってことか?」


 父娘の会話にアルマはそれぞれ両者を交互に見つめて、しょんぼりと視線を下げて水面を見つめる。

 アルマにとって、ラフィンは誰よりも強い友達なのだ。そんな彼が――ガーディアンとして足りないものがある。そう言われるのは悲しい。


「……何も、足りなくないです。ラフィンは小さい頃からずっと僕を助けてくれて、守ってくれました。……足りなく、ないです」


 アルマが呟くと、レーグルもプリムもそれ以上は何も言わなかった。

 無論、レーグルとてラフィンを貶めるつもりで言ったのではない。彼は純粋に心配しているのだ。ガーディアンとして生きるのなら、必要なものは身につけた方がよい、と。


 アルマも、当然ながらそれは理解している。

 だが――彼にはどうしてもそう思えなかったのだ。

 あのガラハッドが、そんなことにも気づかないままラフィンをガーディアンとして送り出すはずがない。何か考えがあってのことなんだと、そう思った。


「(……ラフィン。僕、知ってるよ。ガラハッドおじさんが教えてくれたんだ。ラフィンがガーディアンなのに剣も槍も使わないのには、ちゃんと理由があるんだって)」


 程なくして――池からは勢いよくジジイ神とラフィンが飛び出してきた。

 天高く跳び上がると、殴られたと思われるジジイ神は宙を何回転かした後に上空で体勢を整え、ラフィンを迎え撃つ。

 当のラフィンはといえば、つい今し方まで己に絡みついていた水蛇の尻尾を片手で握り込みながら、ジジイ神と真正面からぶつかる。掴まれた水蛇の円らな目からは涙が溢れ「ぴええぇ」と可愛い泣き声を洩らしていた。


「こんのクソジジイ! 卑怯な手ェ使いやがって、溺れるところだっただろうが!」

「何が溺れるところ、じゃ! ワシの可愛い水龍を力業で外すようなやつが溺れるかボケェ!!」

「そんなに可愛いなら叩き返すぜ、ほらよ!!」

「(あいつら落とし物探してへんやん)」


 アルマの落とし物――厳密に言うのならプリムが投げ捨てたカバンなのだが、それを探すという目的が完全にすり替わってしまっている。今の両者は互いに互いを敵視し、本気で交戦していた。

 ラフィンは水蛇――ジジイ曰く水龍の尻尾を掴んだまま鞭のように振り回すと、文字通りそれを叩き返した。水蛇の頭部をジジイ神の顔面にぶち当てたのだ。


 ぶほ、と潰れた声を洩らすジジイ神を見遣りながらラフィンは空中でひと回転すると、平原へと着地を果たす。その表情にはどこか嬉々が滲んでいた。


「まぁ、沈めてくれたお陰で――ちゃんと見つけちまったけどな、アルマの落とし物」

「な……なんじゃとおおおぉ!」


 ラフィンの逆手にはカバンではないものの――確かに、オモチャのものながらロケットペンダントが握られていた。アルマはそれを見て表情を輝かせると、慌てて彼の傍らへと駆け寄る。

 投げ捨ててしまった張本人であるプリムもそこでようやく安堵を表情に乗せて、肩から力を抜いた。

 ラフィンを池の底に沈めることばかり考えていたジジイ神は、完全に敵に塩を送ってしまったようだ。


 水蛇に絡みつかれて池の一番深い場所まで導かれたラフィンは、偶然にもそこに落ちていたロケットペンダントを見つけて拾い上げたのである。

 池に落ちた拍子にカバンから飛び出てしまったのだろう。


「ほら、これだろ」

「ありがとう、ラフィン!」

「はああぁ……ほんまによかったわぁ、ウチが投げ捨ててもうたから……すまんかったなぁ」

「……プリム、それはどういうことだ?」


 ラフィンからペンダントを渡されると、アルマは目を輝かせたまま受け取り大切そうに――本当に大切そうに両手でしっかりと握り締める。探し物が見つかったことに興奮しているのか、その頬はほんのりと上気していて非常に嬉しそうだ。


 そんな様子を見てプリムは安堵に胸を撫で下ろしはしたのだが、地を這うような父の低い声に思わず肩を跳ねさせた。レーグルは事の経緯を知らないのだ。

 落とし物――とは聞いたが、それがまさかプリムが投げ捨てたものだとはカケラほども思っていなかったのである。


「あっ」

「……どうした?」


 父娘の――傍目には微笑ましい光景を見守っていたラフィンだったが、ふとアルマが洩らした声に反応して思わず彼を見遣る。すると、アルマはやや離れたところで項垂れているジジイ神の元に駆けて行ってしまった。

 まさか、ジジイ神にも礼を言おうというのか。そう考えるとラフィンの気持ちとしてはやや複雑だ。


「神さま、ご協力ありがとうございました」

「ア、アルマちゃん……ワ、ワシ見つけられんかったんじゃぞ……」

「それでも、僕の話を聞いてくださいました」


 正確には「見つけられなかった」ではない、ラフィンを排除しようと必死になるあまり「探していなかった」だ。

 しかし、アルマのその言葉はジジイ神の心を打つには充分だったらしい。まるで少女のように目をキラキラと輝かせながらアルマを見上げている。


「でも……」

「うん?」

「ラフィンを溺れさせようとしたって、どういうことです?」


 今度はどんな優しい言葉をかけてくれるのだろう――ジジイ神は恋する乙女の如く胸をときめかせながらアルマの言葉を待ったのだが、続く問いはその期待をものの見事に打ち砕いた。それはもう、巨大なハンマーで何度も叩き壊し粉微塵になるほど。


 オマケに、確かに顔は笑っているのだが目元はまったく笑っていない。むしろ半分キレている。確実に怒っている。心なしか声のトーンと場の温度が随分下がった気さえした。

 ひっ、と微かにジジイ神の口からはやや引きつった声が洩れる。


「おいジジイ、俺が見つけたんだからアルマを元に戻――」

「ラ、ララララフィン、今日のところはここまでにしておいてやろう! さらばじゃ!」

「あ? ああぁ!? おい、待ちやがれ!!」


 ジジイ神は身の危険を感じて大袈裟なほどに後退ると、ラフィンの言葉も聞かずに大慌てで天高く舞い上がった。――単純に逃げたのである。

 そんな姿を見てラフィンは思わず声をかけたのだが、アルマに怯えたジジイ神が止まることはなかった。

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