神さまのワガママ


 ヴィクオンの都北側にある神殿に飛び込んだラフィンは、辺りにいる神官たちを手当たり次第に捕まえてアルマの行方を聞いた。

 儀式の間には限られた者しか立ち入ることを許可されてはいないが、逆を言えばその他は自由に出入りできる。この都の多くの者は神殿に祈りを捧げにくるのが日課だ。

 それゆえに、いかにも信仰心など持っていなさそうなラフィンが飛び込んできたところで、誰も彼を追い返そうとはしない。


 行く先々でアルマの行方を聞いたラフィンは、ようやく行き着いた部屋の扉を押し開いた。

 上がった呼吸など整えているだけの余裕はない、一刻も早く親友の安否を確認しなければ安心できなかった。


「――アルマ!!」


 殴り込むようにして突入した部屋は、なんてことのないごく普通の部屋だ。机と椅子があって本棚に簡素なクローゼット、外が見渡せる大きめの窓。恐らく神官用の部屋なのだろう。

 ラフィンが飛び込んできたのに気づいた老司祭はゆっくりとそちらを振り返り、やや困り顔で小さく溜息を吐いた。


「こりゃ、神殿では静かにせんかラフィン。まったくお前は昔から落ち着きのない……」

「んなことはどうでもいい! それよりアルマは!? アルマが倒れたって母さんから聞いて……!」

「うむ……ほれ、そこじゃ」


 そこ、と司祭が指し示す場所――それは窓際に置かれた寝台だった。布団がこんもりと盛り上がっているところを見ると、アルマはその中にいるのだろう。

 だが、その小さな山になった布団は小刻みに震えている。その挙げ句、小さくすすり泣くような声が聞こえてくるではないか。

 確認などせずとも分かる、頭から布団をかぶってアルマが泣いているのだ。


 大股で寝台に歩み寄ると、そっとその布団を撫でた。恐らくは頭だと思われる箇所を。

 すると布団の山はびくりと驚いたように大きく跳ね、数拍の沈黙の末に中からアルマが顔を出した。


「……っ、ラフィン……?」


 顔を出したアルマの目元は泣き腫らして真っ赤だった。それだけで彼がどれほど泣いていたのか容易に想像ができてしまう。

 ラフィンの姿を認識するや否や、アルマは目に改めて涙をいっぱいに溜め――そしてまた泣き出してしまった。うえぇん、と。

 ラフィンはその場に屈むと、極力優しい所作で彼の頭をやんわりと撫でつける。とにかく泣き止ませないと、その一心で。


 アルマは昔から内向的な性格で、どちらかと言えば泣き虫だ。涙腺がもろい。

 そのため、ラフィンは泣き止ませるのは慣れているはずなのだが、今回は一向に泣き止む気配がない。

 困り果てたような表情を浮かべて、老司祭を肩越しに振り返った。


「おい、じーさん。アルマはどうしたんだ、具合が悪くなったとか怪我したとかじゃないのか?」

「ううむ、ジジイもこのようなことは初体験でな。どうしたものか……」

「ジジイが初体験とか言うんじゃねーよ!」


 頬をほんのりと朱に染めて薄笑いを浮かべながら呟く老司祭を見れば、ぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。


 * * *


 それは、祈り手になる儀式で神々が降臨した時に起こった。


 祭壇で跪くアルマの前には『五大神ごだいしん』と呼ばれる五人の神々が降り立ち、彼にファヴールの祈りの力を授けようとしていたのだ。平和と恵みを呼び起こすファヴールの祈りは神から与えられる奇跡の力である。

 その時、一人の男神が呟いた。


「ワシ、アポステルは可愛い女の子がよい」


 とても神とは思えないような駄々を。

 最初こそ聞き間違いかと思ったアルマだったが、周囲に控えていた司祭たちがざわつき始めるのに気づけば、彼の中で不安は強くなっていくばかり。

 すると、その傍らにいた女神が鼻を鳴らして言い放った。まるで小馬鹿にでもするように。


「何を仰います、女の祈り手だなんてこれからには合いません。今後は愛らしい男の子が祈り手として活躍する時代ですわ、そう――この子のようなね」

「貴様のショタ好きには困ったものじゃなアプロス、その歳で男児にハァハァするのは見苦しいぞ」

「そのお言葉、そっくりそのままお返し致します。ジジイの幼女趣味だなんて我々から見ても大変お見苦しいものですわ」

「お二方、今更何を仰っているのです。アポステルが困っているではありませんか……ちなみに我はアプロス殿の意見に賛成です、この年頃の少年は妙な色香を放っていて……」

「貴様の嗜好など聞いておらんわ! この男好きのホモ神め!」


 目の前でなにやら低俗な言い争いを始めてしまった神々を見て、アルマは困り果てたように周囲の司祭たちを見遣る。どうすればよいのか、彼には何もわからなかったのだ。

 だが、それは周りの司祭たちも同様であったらしい。見れば誰も彼もが困惑を露わにざわざわしている。

 どうしよう――アルマはそう思ったが、目の前の妙に低レベルな言い争いは留まるところを知らない。


「言われてみれば、確かに祈り手は可愛い女子おなごの方が適しているかもしれませんねぇ、うふふ。可愛らしい衣装を着せたり、時に露出の多い服を着せたり……ああ、想像しただけで興奮してきますわぁ」

「女好きと男好きが半々に分かれたか、レベルが低いな皆の衆。俺は興奮できれば男だろうと女だろうと別に構わん」

「両刀など邪道ではないか!!」


 最早この神々の言っていることが、アルマにはまったく理解できない。

 止めた方がいいのか、しかし人間が神に物申すなど失礼になるのではないか――アルマがそう頭を抱えていた矢先、真っ先に駄々をこねた――女神曰く「ジジイ」の神が動いた。


「ええい、話にならぬわ! ともかくワシは可愛い女の子がよいのだ、こうしてくれる!」

「ああっ! 何をなさるのです!」


 ジジイ神が木の杖を振りかざすと、アルマは真っ白な煙に包まれてしまった。

 突然のことにアルマは苦しそうに咳き込むが、その時――彼は自らの身に起こった現象に気づいてしまったのだ。

 あろうことか、自分の乳がやや腫れている。つまり、ワガママなジジイ神に女に変えられてしまっていた。


 だが、アプロスと呼ばれたショタ好き女神は憤慨すると、持っていた錫杖を負けじと振りかざす。

 すると、今度は腫れた乳が元に戻り――男になっていた。神々のワガママで女になったり男になったり、非常に迷惑としか言いようのない騒動に完全に巻き込まれてしまったのである。


 しかし、ジジイ神もアプロスもどちらも譲らない。何度も同じことを繰り返し、そしてその最中にアルマは疲れ切って倒れてしまい――司祭たちに連れられて部屋へと運ばれる事態となった。


 事の仔細を聞いたラフィンは固く拳を握り締めると、開口一番に怒声を張り上げる。


「ロクな神さまがいないんじゃねーか!!」


 嘆きと言うよりは、単純に憤りを色濃く滲ませて。

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