俺の親友がジジイ神のワガママで♂♀にされたからぶっ飛ばしに行ってくる

mao

第1章・守護者と祈り手

prologue


「待ちやがれええぇ!!」



 ここは、花の都ヴィクオン。

 四季を通じて色とりどりの花が楽しめることで有名な都だ。街にはかぐわしい花の香りが漂い、道ゆく者へ一時の安らぎを届ける。


 だが、そんな都にそぐわない怒声がひとつ。


 大通りを全速力で駆け抜ける青年が発したものだ、彼の視線は傍らにそびえるいくつもの建物のやや上に向けられている。そこには屋根から屋根へ軽快な足取りで跳び移り逃亡をはかる何者かの影。

 その影は青年の怒りを煽るように、下卑た笑い声を上げて愉快そうにその場でピョンピョンと飛び跳ねた。まるでトランポリンにでも乗っているかのような跳躍力で。



「ぎゃははは! まだまだじゃのう若造、お前ごときがワシを捕まえるなぞ百万年早いわ!」

「んぐぐ、この……ッ!」



 青年はその言葉に固く握り締めた拳を怒りで震わせるなり、近くの木箱やタルを利用して屋根の上へと跳び上がった。

 辺りにはなんだなんだと野次馬が次々に集まってくる。ここは都の大通り、人が多いためにそれも当然だ。気にするなと言う方が無理である。


 屋根に跳び上がってきた青年を見遣ると、先ほどまで逃げに徹していた影は両腕を己の胸の前で組んでみせる。もみ上げと繋がった白い顎ヒゲを垂らす、頭がハゲ上がった老人だ。容赦なく地上を照らす陽光が反射してなんとも眩しい。その輝きは異様に神々しくもあった。

 それもそのはず、この頭がハゲ上がった老人は――



「こんのジジイ神、さっさとアルマを元に戻しやがれ!」



 そうだ、一応は神なのだ。

 対峙する青年は怒りに震えながらも老人こと――ジジイ神を指し示すように利き手を突き出す、彼の紅の双眸はその感情に呼応するかの如くギラついている。

 しかし、当のジジイ神はどこ吹く風といった様子で片手の小指でハナクソなぞほじり始めた。先ほどまで胸の前で組まれていた腕は既に解かれ、逆手は腰裏に回されている。

 完全に小馬鹿にした態度。それがまた青年の神経を逆撫でしていく。



「やだねや~だねぇ、アルマちゃんはか~わいいから一生あのままじゃ。ぎゃははは!」

「てんめえぇ……! 上等だ、このエロジジイ!」

「ふっ、貴様程度がワシに敵うと思うなよ――ラフィン」



 ラフィンと呼ばれた青年は眼前でハナクソをほじり続けるジジイ神へ上体を低くして駆け出した、固く握り締めた拳でその顔面をぶん殴ってやらなければ気が済まないのだ。


 殴りかかりにくるラフィンに対しジジイ神は慌てふためく素振りも見せず、探り当てたハナクソににんまりと歯を見せて笑う。

 小指に乗せたそれを己の目線の高さに引き上げると、向かってくるラフィンにフッと一息を吹きかけてハナクソという名の危険物を飛ばしたのだ。



「おわぁッ!? きったねぇな、この野郎!」

「ぎゃははは! まだまだじゃのう――馬鹿者めがぁッ!」



 直撃すれば物理的な被害はなくとも精神的な被害は甚大ではないまさかのハナクソ攻撃に、ラフィンは瞬時に蒼褪めると端正なその風貌を嫌悪に歪ませて脇に跳び退る。

 ハナクソという小さくも恐ろしい爆弾、そうそう視認はできないが当たってはいないはず――当たってたまるか、とラフィンは嫌な想像を振り払うべく頭を振ったがジジイ神は瞬時に彼の左斜め後ろに移動すると、高笑いを上げながらその脇腹に一撃を見舞う。


 すると咄嗟のことに反応が遅れたラフィンの身は容易に蹴り飛ばされた。屋根の上から投げ出され、反対側にそびえる建物の前に出ていた露店にものの見事に突っ込んだ。周囲からは住民たちの悲鳴や怒声が上がり、ある者は逃げ惑い、またある者ははやし立てる。辺りは騒然としていた。

 ジジイ神が「トドメじゃ!」とラフィンに追撃を加えようとした時――不意に喧嘩を止める声が響く。



「やめてください! ラフィンにひどいことしないでください!」

「ア、アルマ……! 家にいろって言っただろ!」

「だ、だって……ラフィン、大丈夫?」



 両者の間に立ちラフィンを庇うように両手を広げるのは、栗色の髪をした一人の少女だった。ラフィンは彼女の登場に慌てて上体を起こすと、露店に突っ込んだ際にあちこち強打した身の痛みなど忘れて声を上げる。

 すると少女――アルマは困ったような表情で肩越しにラフィンを振り返り、その安否を窺う。


 だが、ラフィンが答えるよりも先に屋根の上のジジイ神が動く。先のようにピョンピョンとその場で飛び跳ねて、上機嫌な声色でラブコールを放ち始めたのだ。

 そして屋根から飛び降りるなり、アルマ目がけて飛んできた。



「おおぉ~! アルマちゃん今日も可愛いのう! おっぱい揉ませちょくれええぇ~!!」

「させるかああぁッ!!」



 ハートでもまき散らすかのような、極限まで甘えた声を洩らしながら飛びつこうとするジジイ神と、そうはさせるかと動いたラフィン――早かったのは僅かにラフィンの方だった。


 目の前に立つアルマの腕を引き問答無用で自分の方に引っ張り寄せると、彼女の身はあっさりとラフィンの腕の中に背中から倒れ込む。

 一方、飛びつく予定だったアルマが不意に倒れたことで、ジジイ神は彼女の後方にあった露店の屋根に顔面から激突した。


 ゴンッと鈍い音と共に潰れたカエルのような声を洩らすジジイ神を確認し、ラフィンはアルマと共に身を起こすとすかさず距離を取る。彼女を己の後ろに隠して、次のジジイ神の動向から守ろうというのだ。



「ええい、邪魔をするでないラフィン!」

「邪魔じゃありません、ラフィンにひどいことしないでください! ラフィンをいじめる人は神さまでも嫌いです!」



 神とは思えぬほどの禍々しいオーラを老体から醸し出しながら起き上がるジジイ神だったが、ラフィンが反論するよりも先にアルマから向けられた言葉に、その勢いも一瞬で失われる。

 まるで石化でもしてしまったかのようにピシャリと動きを止め、やがてヨロヨロと後退していく。目は血走り、身体など小刻みに震えていた。



「な、なぜじゃあぁ……アルマちゃん、ラフィンなんぞのどこがいいのじゃあぁ……!」

「ショック受けてねーでアルマを元に戻せって言ってんだ!」

「イヤじゃイヤじゃ! いずれはアプロスババアの呪いも解いてアルマちゃんを完全な女の子にしてやるんじゃあぁ! そしてワシの嫁に――」

「ふっざけんなエロジジイ!!」



 幼子のように高らかに泣き声を上げながら駄々をこねるジジイ神に、ラフィンは嫌そうな表情を浮かべるとドン引きした様子で数歩後退る。

 まったく可愛くない、と彼の表情がその内心を物語っていた。


 だが聞き捨てならぬ発言を聞けばそうも言っていられない。足元に転がっていた酒瓶を拾い上げると、わんわん泣き声を上げるジジイ神に向けて全力で投げつけた。憎悪と憤怒をありありと込めて。

 その瓶が露店の屋根にぶつけた顔面に見事に直撃すると、ジジイ神は目にいっぱいの涙を溜めて口元に片手を添える。乙女がショックを受けたような様だが、ハゲ上がったジジイにそんな反応をされても、と。ラフィンは白い目で見返した。



「――いいか、アルマは男で俺の親友なんだ! さっさと男に戻せ!」

「ラフィンなんか嫌いじゃあぁ! アルマちゃんはずっとそのままじゃからなッ、絶対に元になんか戻してやるもんかあぁ!」



 うわあぁん、とやはり可愛くない泣き声を上げながらジジイ神は天高く舞い上がると、雲の彼方へと消えていった。

 それを見てラフィンはがっくりと頭を垂れて腹の底から深い溜息を吐き出し、アルマはそんな彼の傍らでしょんぼりと肩を落とす。――疲れた、言葉には出さずとも両者からはそんな雰囲気が滲み出ている。



「はぁ……大丈夫だったか、アルマ」

「う、うん。僕は大丈夫だけど……」

「絶対にあのジジイ神を絞め上げて男に戻してやるから、待ってろ」



 手を伸ばして柔らかい茶の髪を撫でてやると、アルマは一度蒼の双眸を丸くさせた後に「へへ」と照れたように笑う。

 アルマは非常に可愛らしい顔立ちをしている可憐な少女――だが、本来は「少女」ではなく「少年」であった。


 そう、昨日。アルマが世界に平和と恵みをもたらす「祈り手」になる儀式に赴くまでは……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る