ゆうじの心臓

風和ふわ

ゆうじの心臓

 私はゆうじの「心臓」だ。ゆうじと一緒に産まれ、今まで一緒に生きてきたゆうじの「心臓」だ。だからゆうじについて、私は何でも知っている。ゆうじは幼いころから本当によく泣いた。「少しは休ませろ」とプンスカ怒る目を、私が慰めてやったのは数えきれないほどだ。目は短気なので、泣き虫なゆうじとは相性が合わないようだった。

 そしてゆうじは、よく恋をした。好きな女の子ができると、激しい運動をするはめになり、私は毎日へとへとになる。だがゆうじが幸せそうにしているのを感じると、そんな日々が不思議といやではなかった。しかしゆうじはとてもシャイなので、なかなか好きな女の子に話しかけることができないでいた。私や、他のゆうじの体の一部達はその度にもどかしい気持ちでいっぱいになった。しかも、女の子に振られる度にゆうじは大泣きをするから、目にとっては大変迷惑な話である。

 それからゆうじは強かった。以前、友達の健太が虐められていた時にゆうじは真っ直ぐにいじめっ子たちに立ち向かったのだ。結局喧嘩には負けたものの、虐められていた健太と、ゆうじは死ぬその時まで「大親友」でいた。喧嘩で傷ついた皮膚が「全くもう、嫌になる」と愚痴を零しながらも嬉しそうにしていたことを、私はよく知っている。

 そんなゆうじは私の予想を遥かに超えるスピードでぐんぐん成長していった。

 まず、ゆうじは初めて部活動というものをした。野球部だった。だが元々運動があまり得意ではないゆうじにとって、部活動とは過酷なものだった。なかなかレギュラーに入れなかったのだ。部活が終わるとゆうじは独りで、泣きながらバッドを振り続けた。まめのつぶれた手の痛々しい姿は目を隠したくなるようなものだったが、手は一言も泣き言を言わなかった。そしてゆうじが初めて試合に出られることができた日、ゆうじはホームランを打った。よくやったと仲間に笑いかけてもらったゆうじはその場でしゃがみこんで、大泣きした。つぶれたまめだらけの手が「よかった、よかった」と何回も喜んでいたことを私は今でも鮮明に思い出すことができる。手もゆうじも、私たちゆうじの体の一部にとって、誇りだと思った。

 そして、ゆうじに初めて恋人ができた。最初はうじうじと曖昧な距離を、相手の女の子ととっていたものの、しばらくするとキスも出来るようになっていた。初めてのキスの感想を、唇がうっとりと語っていたことを私は覚えている。恋人がいる間、私はやはり激しい運動をするはめになったが、ゆうじの魂が嬉しそうに揺れていることを感じていると、これもやはり、嫌ではなかった。

 さらにゆうじが初めて受験をしたとき、受験前の寝不足な日々は私たち体の一部には、相当きついスケジュールであった。だが、必死に眠気を堪え、ペンを進めるゆうじを感じると、私たちも多少無理はしたが、なんとかふんばった。そして結果発表の日。ゆうじの受験番号を掲示板から発見したその瞬間は、体中が喜んだものだ。ゆうじは泣き虫なので一日中大泣きしたが、その日は、目もプンスカ怒ることはなかった。

 そしてゆうじは大人になり、仕事をするようになった。寝る間も惜しみ、仕事をした。しかしゆうじの体の一部である私たちにとって、それはあまりいいことではなく、いつか限界がくることを感じていたのだ。そして案の定、仕事中にゆうじは睡眠不足により倒れてしまった。その時からゆうじは睡眠を削る事はしなかったため、私たちはほっと一安心して、ゆうじのために、それぞれの役割を努めるのだった。仕事に失敗したゆうじは、上司からの怒鳴られても決して泣かなかった。それは泣き虫が治ったわけではない。ゆうじは怒鳴られた直後に、トイレでこっそりと気付かれないように泣いていたのだ。しかも、しばらくポロポロと声を出さずに涙を流しだすと、顔を洗い、何事もなかったかのように次の仕事へ進んでいた。私はそんなゆうじに改めて大人になったんだと感じていた。

 やがてゆうじは仕事先で知り合った素敵な女性と結婚し、可愛い子供も出来て、しっかり者な仕事の部下もできた。

プロポーズの時、サプライズで花をプレゼントしようとしたゆうじが肝心の本番で転げて、花をぐちゃぐちゃにしてしまったのも、今ではいい思い出の一つだ。子供が生まれた時なんかは、ゆうじはどちらが赤ん坊かわからなくなるほどに、愛しい赤ん坊と一緒に泣き叫んだ。部下が失敗をしたとき、自分の過去の失敗談を語り、励まし、一緒に上司に謝りに行くゆうじの姿はやはり大人だと思った。

さらに時間が経つと、孫ができて、ゆうじは杖を持つようになっていた。しわだらけの皮膚に今まで長い人生を送ってきたことを、度々実感させられた。耳が「音がどんどん小さく聞こえてくる」と苦々しく語っていた時は、私は優しく耳を慰めてやった。ゆうじのこれからが短い事は、私たちが一番よく感じていた。

 長い人生の中、ゆうじはよく無理をして、よく泣いて私たちを困らせていた。目も、唇も、脳も、耳も、皮膚も、ゆうじの体の一部達はその度にゆうじの愚痴を漏らしていたが、誰よりもゆうじが好きだった。もちろん、私も。

 そして、ついにゆうじは目を開けなくなった。もうすぐゆうじは死ぬ。寿命で、眠るように、死ぬのだ。

私は目や、脳や、唇達の声が聞こえなくなるのを感じた。そういえば少し前に、脳が「死ぬことは眠ることと一緒で、休むためにある」と聞いたことがある。

 そうか、私は休むのか。

この人生の中、ゆうじのためだけに私はドクドクと動き続け、ゆうじの体中に血液を送り出していた。ゆうじを体の中から、ずっと見守ってきた。ゆうじと一緒に学び、喜び、泣き、愛し、生きた。それももうすぐ、終わるのか。

 私はゆっくり眠りについていく。

 長い時間だった。最後は、この言葉で終わろうか。


 「お疲れ様、ゆうじ」


 そしてゆうじは、涙一粒流して死んだ。ゆうじは最後まで、泣き虫だった。



 <終> 

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ゆうじの心臓 風和ふわ @2020fuwa

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