第51話 リサ・ゾーシモス

「僕に…似てる?」


シノアの言葉に静かに首肯するとライデンはポツポツと話し始めた。


「初めて会った時はあんた、髪も長かったし服も立派だったからわかんなかったんすけど、今日ひさしぶりに会って、そっくりだって気付いたんすよ」


優しくシノアの頭を撫でながら語るライデンの言葉には、隠しきれない程の愛情がこもっており、どれほど弟を大切にしていたのかが伺えた。


「…こうやって、弟を抱いて頭を撫でているのが好きだった」


シノアの肩に頭を乗せて髪を弄ぶライデンが、突然猫撫で声でシノアに甘える。


「ちょっとこっち向いて欲しいっす」

「え?あ、はい、こうですか?」


ライデンの指示により向かい合う形となったため、視線のやり場に困り目を泳がせるシノア。

そんなシノアを無視してライデンは、自分の衝動に従いシノアに身を任せる。


「ら、ライデンさん?」


突然もたれかかってきたライデンに驚いたシノアだったが、ライデンの頬に流れる水滴が汗ではないことを悟ると静かに抱き締め、頭を撫で始めた。


「私の名前、変っすよね」

「そう…ですかね?」


ライデンは自嘲気味に言うが、異世界の名前に馴染みのないシノアにはあまり違和感は感じられなかった。


「この名前…本当は私の名前じゃないんす」


突然の告白にシノアは驚いたが、話の腰を折ってまで理由を聞こうとは思わなかったため、静かにライデンの頭を撫で続ける。


「この名前は弟の…天才的な錬金術の才能があった、あいつの名前なんすよ」


かつて、サンタルチアの首都アルゴネアに2人の天才姉弟がいた。

姉は幼少のみぎりより錬成師としての才能に秀で、15歳を迎える頃には国家の技術開発に貢献するほど優秀だった。


弟は錬金術に秀で、天性の才能と絶えまぬ努力により生まれたその腕は、国王から直々に依頼されるほど優良だった。将来は錬金術の祖であるホーエンハイムに匹敵するのではと謳われ数々の薬を生み出した。


「弟は天才だったっす。5歳でこの国の植生を全て把握し、10歳になる頃には国家と取引できるほどの腕になって…本当、すごかったんすよ」


2人はとても仲睦まじく、両親を早くに亡くしていたため、協力して生きていた。

互いを支え合い、互いの欠点を補い合う。とても理想的で眩しいほど幸せに満ち溢れていたのだ。


だが、幸せはいつまでも続かない。


「ある日、私が流行り病にかかって薬が必要になったっす。だけど、流行り病っすから薬はなかなか手に入らなくて、結局弟が作ってくれることになったんすよ」


流行り病の治療薬を作ることは、超優秀な腕を持つ彼なら容易いことだった。

しかし、薬を作るための材料が足りず、取りに行かなければならなかった。


「特に危険な道でもなかったし、隣島だったから誰も止めなかったっす。まぁ、止めても弟なら反対を押し切って行ったでしょうけど…」


何も心配はいらないはずだった。

1時間もすれば帰ってくるはずだった。


だが、どれだけ待とうと弟が帰ってくることは無かった。

1週間経って知人の冒険者が持って・・・帰ってきたのは、血で濡れた花を持ったまま事切れた弟の亡骸だった。


「弟は盗賊にやられたんすよ。流行り病の治療薬の材料であるファルマコシナを独占しようとしていたヤツらに…」


その言葉と共に抑えきれなくなった涙がシノアの首筋に流れる。


「…どう…してっ…あいつが…弟が死ななきゃいけなかったの…私が…私が死ねば…よかったのにっ…」


長年誰にもぶつけることが出来なかった思いを吐き出し嗚咽を漏らすライデン。

シノアはその背中を優しく、いつまでも抱き締めていた。


しばらくすると落ち着いたのか嗚咽が止み、微かに頬を染めたライデンが上目遣いにシノアを見つめる。

その破壊力たるや恐ろしいものだった。

猫耳に超絶美少女─ある意味兵器である。


「その…ありがとっす。ちょっとすっきりした…っす」

「いえいえ…その、そろそろ上がりますか?長風呂は体に良くない気が…」

「そうっすね。でも、その前に髪洗ってあげるっすよ」


近くにあった石鹸を使い、泡立てると慣れた手つきでシノアの髪を洗っていくライデン。

シノアはされるがままで、目を閉じている。


「…そういえば、ライデンさんの名前…」


そんな中シノアが先程の話を掘り返す。


「私の名前がどうかしたっすか?」

「ライデンは弟さんの名前なんですよね。本当の名前って…」

「あぁ…なるほど。気になるっすか?」


シノアが無言で首を縦に振ったのを見て、ライデンは隠す気もないのか水で石鹸を洗い流すと普通に言い放った。


「リサ、リサ・ゾーシモス。もう長年使ってないっすけど」

「リサさん…ありがとうございます」


ゆっくりと噛み締めるように名前を発したシノアにリサも同じ質問をシノアに返した。


「いえいえ、それじゃ私もあんたのフルネーム聞いていいっすか?」

「フルネーム?シノアですけど…」


シノアの答えに首を横に振り質問─というより確認をする。


「いや、あんた転移者っすよね?それとも召喚者っすか?」


ライデン─いや、リサの言葉に目を見開き“何故そのことを”といった表情になるシノア。

そんなシノアを見てリサはため息をついた。


「普通、個人の家にこんな設備があったら腰抜かすもんすよ。それを大して驚きもしなかった時点で一般人じゃないってわかりますし、あと錬金術と錬成術の違いがわからないとことか、判断材料は色々あったっすよ」


思いもよらぬところでこの世界に馴染めていないことを指摘されたシノアはがっくりと肩を落とす。


「…僕のフルネームは僑國きょうごく 神愛しのあです。召喚者…ですね」

「ほ~てことは滅茶苦茶に強いんすか?」


リサの質問に対しシノアは、少しだけ表情に陰を落とすと答えた。


「…いえ…僕は無能でしたから」

「無能力ってことすか?珍しいっすね」


リサの言葉に俯き泣き笑いのような表情を浮かべるシノアだったが、リサによって顔を両手で持ち上げられ目を合わせられる。


「別にいいじゃないっすか無能で。最初から大した努力もせずに持ってるものなんてなんの価値もないんすよ。努力して、精一杯足掻いて手にしたものにこそ、価値があるんすよ」


その言葉には、練成師として天性の才能を持っていた天才からの視点と、なんの才能もなく努力だけで錬金術の凄腕になった無能からの視点、両方を経験したリサだからこそ言える重みがあった。


リサの言葉に励まされたシノアは笑顔を浮かべると、同じようにライデンの顔を自分の手で包み込んだ。


それに少し照れたのか、リサは手を離すと近くにあったタオルで体を拭き始める。

同じようなタオルをシノアにも渡すと、着替えのため風呂場を後にした。


◇◇◇


「色々とお世話になりました」

「いやいや~こっちこそ楽しかったっすよ」


すっかり小綺麗になったシノアは暗くなる前に目的地に向かうため、風呂から上がるとすぐにリサの家を出ることにした。


「別に今日泊まっていってもいいんすよー?」

「さすがにそこまでお世話になるわけには…お風呂を貸してもらえただけで充分です」


リサに頭を下げながら、ドアノブに手をかけるシノア。

その背中に声が掛けられる。


「気をつけて行くんすよ~雨降るかもしれないっすから」


後ろを振り向くとリサが、少し名残惜しそうにシノアに手を振っていた。

シノアは笑みを浮かべるとリサに手を振り返し、安心させようと言葉を放った。

いや、放ってしまった。


「大丈夫ですよ、心配いりませんから。“命を大事に”しますよ」


シノアは某有名ゲームの作戦を軽い気持ちで口にしただけだった。

だが、その言葉を聞いたリサはかつてないほどの焦燥感に駆られていた。

この感じ…前もどこかで…と。


(なんすか…この胸のざわめき…すごく懐かしくて…嫌な予感が…)


そして、思い出す。5年前のあの日も、こんな会話をしたことを。


“大丈夫だよ、ねえさん。心配いらないから。命を大事にするよ”


「まって…っす…」

「ん?どうしました?」


ドアノブに手をかけたシノアの外套の袖を掴んだリサは弱々しい声でシノアを呼び止めた。


「…いや…いか…ないで…」

「リサ…さん?」


リサの声に後ろを振り向いたシノアは、突然リサが抱き着いてきたことに驚き声を上げる。


「あの…大丈─」

「うっ…ぐすっ…いやっ…ひとりに…しない…で…」


しかし、シノアの首に手を回し目を潤ませたリサの姿を見た途端戸惑いは消え去り、今彼女が一番望んでいるであろうことをしなければという思いに駆られた。


「…大丈夫。どこにも…いかないよ。ずっと、そばにいるよ」


シノアの言葉に堪えきれなくなったのか、リサは両眼から大粒の涙を零し、仮初でも弟が戻ってきたことに大して泣き続けた。

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