第29話 神の器

シノアと紅桜が出会ってから既に30分程の時間が経過していた。

満身創痍のシノアに対し紅桜は傷一つなく、息すら乱していない。


「大丈夫?出血が酷いようだけど」


“出血させた本人が何を言っているのだ”とツッコミたくなる言葉だったがシノアにそんな余裕はない。

後ろに跳び、魔法により傷を癒す。


「“聖母の癒し、神の施し、我ここに、血の再生を望む、血汐再生ブラッディ・リヴァイバル


その様子を見て紅桜は微笑む。


「あら、魔法も使えるのね。優秀だわ」


一言呟くように言うと笑みを深め─


「なら、まだまだ戦えるわね」


身の毛もよだつ殺気を放つ。この世のものとは思えないほど美しく邪悪な貌はシノアに恐怖を刻み込む。

なんとかその恐怖を押さえ込み、紅桜に問う。


「ど、どうして、こんなことを?」


悪魔的な笑みを優しげなものに変えると、シノアの質問に静かな声音で答えた。


「私はね、殺されたいの」


あまりに狂気地味た答えに戸惑うシノア。

そんなシノアを可笑しそうにクスクスと笑う紅桜。


「突然こんなことを言われたんじゃ、そんな顔にもなるわよね」


そう言うと静かに目を閉じ、持っていた刀を胸に抱く。


「私は刀として創られた。最初はもちろん自我なんてなかった」


遥か昔の過去を懐かしむような紅桜の様子は、触れれば壊れてしまいそうなほどに儚く美しかった。


「私が目覚めたのは戦場だった。血の匂いと怨嗟に満ちた恐ろしい場所、だけど私の持ち主の殺気に触れた瞬間、そんなことはどうでも良くなった」


そして胸に抱いていた刀を顔の前に持っていき僅かに抜く。


「ただ斬る。自身が血で濡れることなんて気にしなかった。むしろ、血を吸うことに歓喜していたわ」


ゆっくりと刀を抜いていき、殺気を滾らせていく。


「いつしか私は妖刀と呼ばれるようになった。持つ者を呪い、死を呼ぶ刀。妖刀、紅桜」


鞘から抜き放たれた紅桜は怪しい薄紅色のオーラを纏っていた。

それは今まで斬ってきた人々の血なのか、紅桜本人の殺気なのか…


「ふふ、ごめんなさいね。歳をとると昔話ばかりになってしまうわ。さぁ始めましょう」


その言葉と共に鞘は桜の花びらと化し、その場に散る。

鞘から抜き放たれた刀は僅かに血に触れると周囲の血を吸い尽くした。

だが、すぐに血が満ち紅桜の足元は血に染まる。

血を吸った刀、紅桜は纏っていたオーラをより一層濃くした。


触れるだけで切り刻まれそうな殺気を前にシノアは怖気付きそうになりながらも必死で震えを堪えていた。

その震えは恐怖から来るものでは無い。人間が本能的に感じる危機感、即ち死。


「さぁ、行くわよ」


その一瞬で紅桜はシノアの心臓を一突きする。

だが、黙って打たれるシノアではない。


「あら、これを受け止めるのね」

「っ…!こ、これ、ぐらいッ!」


左手で刀身を支え紅桜の突きを受け止める。

だが、衝撃をまともに受けたシノアの刀へのダメージは半端ではない。


「はぁ…はぁ…」

「受け止めたことは褒めてあげるけど、もっと丁寧に扱わないと壊れるわよ、その子」


紅桜の言う通り、刀には微かだがヒビが入っていた。

それに加えてシノアへのダメージも大きい。刀身を素手で支えたことで左手に切り傷を作ってしまった。


「…僕は…」


シノアの呟きに疑問符を浮かべる紅桜。


「何?どうしたの?」


刀をしっかりと握り締めたシノアを見た紅桜は、まさか自害するつもりでは…と心配する。過去に紅桜のあまりの強さに絶望し自分で命を絶った者がいたのだ。シノアもあるいは…と考えたのだ。

だが、それは杞憂だった。


「僕は、こんなところで死ぬ訳には行かない…!」


地面に着いていた片膝を上げ、紅桜に向かって刀を構える。


「僕を待っていてくれる人、大切に思ってくれる人がいるんだ!」


地面をしっかりと踏み今にも飛び掛からんとする。


「僕の命は僕だけのものじゃない!この命はっ…」


そして紅桜に向かって大きく跳び剣を振りかぶる。


「あの人に捧げると誓ったんだァァァ!!」


シノアの攻撃を受け止めようとする紅桜だったが、危機感を感じ大きく後ろに跳ぶ。

空振りしたシノアは大きく体勢を崩し、血の海に倒れこんでしまう。

もちろん、すぐに立ち上がり紅桜に刀を向ける。

だが、そんなシノアのことなど紅桜にとっては二の次だった。


(今の攻撃…明らかに今までと違う。速度、攻撃の重さ…一度受け止めて見るかしら)


そして紅桜の猛攻が始まる。


音が遅れてやってくるほどの速度で放たれる剣戟は、今までのシノアならば受け止めることなど到底出来なかっただろう。だが─


(完全について来てるわね。全ての面でさっきとは比べ物にならない…これは…スキル?)


紅桜はシノアの豹変ぶりから隠し持っていたスキルの存在を疑う。

そして猛攻の隙をぬって打たれたシノアの攻撃を受け止め、それを確信する。


(ッ?!…なんて重さなの。間違いなくスキルね)


予想を遥かに上回る攻撃の重さに思わず後ずさりする。いつのまにか呼吸が僅かに乱れていた。


「坊や…坊やはスキルは何を持っているのかしら?」


呼吸を整える時間稼ぎか、はたまた単純に興味からか、紅桜がシノアにスキルの有無を確かめる。

突然話しかけられたことに驚いたシノアだったが消耗した体力を回復させるためそれに応じる。


「えっと…治癒術、剣術、それから─」

「違う違う。固有名を持ったスキルよ」


丁寧に持っているスキル一つ一つを言おうとするシノアを素早く止め、自分の聞きたいことを尋ねる。


スキルには固有名を持つものがある。それらは普通、人に宿ることは無い。種族よっても違うが先天的に持っている場合がほとんどで後天的に手に入れることはほぼ不可能だ。


それに先天的に持っている、といっても確率は天文学的なほどに低く一般人が持っていることはまずない。

その分強力なものが多く、固有スキルを持つものは一騎当千というに相応しい。


「固有名…あぁ…えっと、神の器…っていうスキルなら」

「神の器?」

「はい、ただ効果も何もわからなくて使い方も…」


シノアの曖昧な答えに、答え以上のことを見出した紅桜は思わず笑みを零す。

自分を殺せるかもしれない者を見つけた喜びから自然と口角は上昇し、刀を握る手にも力が籠る。


「そう…ありがとう、教えてくれて」


その言葉と共に今までの攻撃が子供の児戯に思えるほどの速度、そして重さを含ませた剣戟をシノアに放つ。


「ぐっ…!ガッ…はぁ…はぁ…」


あまりの衝撃にシノアの口内に鉄の味が広がる。

なんとか刀で受け止めるが衝撃全てを消すことは出来なかったのだ。


(やっぱり耐性も上がってるのね…今までだったら受け止めることもできず吹き飛んでたのに)


紅桜はシノアのスキルの内容が不明のためシノアが死ぬギリギリのラインで攻めることにしたのだ。


「はぁ…はぁ…ふっ…」


口から垂れてきた血を拭い去ると再び刀を構えるシノア。

だが、その雰囲気は今までとは全く違った。


(この目の色…まさか本当に神の器なの?)


紅桜は微かに驚きを見せたがすぐに殺気で覆い隠す。


紅桜が驚いたのも無理はない。

今まで黒一色だったシノアの瞳が僅かに赤く輝いていたのだ。

紅桜の紅とは違う、微かに優しさを灯したその色は炎のように揺らめいている。


そしてシノアが踏み込む。


(ッ?!…なんなの、この速度と重さは)


紅桜ではさえ一瞬見失うほどの速度、思わず片膝を着きそうになる重さ、会った当初とはまるで別人だった。


「驚くべき実力だわ。ふふ…ふふふ…ふふふふ…」


嫣然とした笑みを浮かべたままその場で笑い声を上げる紅桜はその美貌も相俟って恐ろしい程に不気味だ。


ひとしきり笑った後、紅桜はなぜか刀を血の海に沈めた。


突然の奇行に驚いていたシノアだったが紅桜の様子に身構える。

紅桜から今までとは全く質の異なる殺気が放たれていたからだ。


ぽつんと刀も持たず佇む紅桜は一言、呟いた。


「“桜刀廻天おうとうかいてん”」

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