第30話 桜と共に散る
「な、なんなんだこれは…」
シノアが驚いている様子を楽しげに見つめる紅桜。
その周りには血の海から浮かび上がってきた無数の刀が漂っている。
それらは一本一本が意志を持っているかのようで今にもシノアに飛びかからんとしていた。
「ふふ…ごめんなさいね。坊やが突然強くなるから、手加減…少しだけ緩めていいわよね?」
そう言うと片手をシノアの方に向け、
「“刺し潰せ、紅桜”」
その瞬間、紅桜の周りを漂っていた無数の刀たちはシノアに向かって一斉に攻撃を開始した。
もちろん紅桜本人が操る刀には劣るが、それでも無数の刀が襲ってくるのを全て捌ききるのは些か厳しいだろう。
「くっ…がはっ…!」
ほとんどを捌き切ったものの、何本か切り筋を刻まれ思わず吐血するシノア。
だが、その目から戦う意思は消えていない。
「驚いたわ…まさかこれを受け切るなんて…」
本当に驚いた、といった様子で目を見開く紅桜。
どうやら、これでトドメ…少なくとも致命傷を与えるつもりだったようだ。
だが、その思惑は外れシノアは未だ立っている。
「はぁ…はぁ…僕は…負けないっ…!」
かなりの量の血を失っているにも関わらずしっかりした足取りで紅桜を狙うシノア。
全てを余裕の表情で躱している紅桜だが、内心はそれほど穏やかではなかった。
(まさかあの技を受け切るなんて…正直、予想外だわ─)
だが、余裕がないかというとそうではない。
(もう少し本気…出してもいいかしらね)
内心で久しぶりに本気を出せる相手かもしれないと狂喜乱舞していた。
そして、シノアに向けられる殺気と攻撃は苛烈を極めていく。
だがシノアも負けていない。
紅桜の猛攻になんとか食らいつき、必死に返しを打つ。
「くっ…ふっ…やぁ!」
「………」
相変わらず涼しい顔でシノアの攻撃全てを捌く紅桜。
口元には僅かに笑みを浮かべ、常人ならば発狂するほどの殺気を放っている。
歓喜、狂気、恐怖、殺気、それぞれの強い感情は混ざり合い渦を成す。
一旦呼吸を整えようと距離を取るシノア。
だが、紅桜はそんな余裕を与えてはくれない。
一瞬でシノアに詰め寄り、太刀を浴びせる。
「がはっ…ぐぅぅ…!」
左肩から右脇腹にかけて、大きく切り付けられ思わず声を漏らすシノア。
片膝をつくシノアの首筋に紅桜は刀を当てる。
これまでかと思いシノアは思わず目を瞑る。
だが、放たれる殺気を裏切り、いつまでも終わりは訪れなかった。
「ふふふ…坊や。こんなに楽しい死合は久しぶりだったわ」
その言葉と共に刀を納刀し、腰に差す。
「坊やはまだ強くなれるわ。もっともっと鍛錬を積めば世界の頂点だって目指せるかもしれない」
シノアの頭を優しく撫でながら紅桜は告げる。
「だから、最後はこの技を見せてあげる」
そして、さっきまでとは打って変わって優しげな笑みを浮かべたまま刀に手を置く。
その刹那─
(っ…?!い、いたくない…?)
目で追うことができない速度で放たれた刀はたしかにシノアの両肩を切り裂き血を吹き出させた。しかし、痛みは一切感じることなく、むしろ若干の心地良さすらある。
シノアが不思議に思っていると、さらに驚くべきことが起こる。
シノアから噴き出した血が地面に落ちることなく、上空に漂っているのだ。
そして、紅桜から発せられる言葉によりそれらは動き出す。
「“舞い散れ血桜、
シノアの血は上空で桜に変わり、シノアを包み込む。
「一つ一つが刃よ。いつか、この技を躱してちょうだいね」
その言葉が耳に届いたのを最後にシノアの意識は闇に包まれた。
◇◇◇
「…くん…シノ…シノア君!」
シノアの耳に自分を呼ぶ男性の声が響く。
僅かに目を開けると心配そうにこちらを見るアルクの姿があった。
「うっ…アルク…さん…ここは…?」
「あぁよかった、気がついたか!崖っぷちで倒れてる君を見つけて心臓が止まるかと思ったよ…」
アルクの話では、シノアは崖のギリギリの部分で倒れていたそうだ。
顔色も悪く、魘されていたため魔物にやられたのでは…と心配していたとのことだった。
「そう…なんですか…すみません、心配をかけて」
「いや、君が無事ならそれで構わないんだ。なにかあったのかい?」
アルクの言葉に少し顔を歪めるシノアだったがすぐに表情を戻し笑みを浮かべる。
「いえ、大丈夫です。少し気分が悪くなってしまって…横になってたら寝てしまったみたいです」
「そうか…それならいいんだが…帰りは送ろうか?」
アルクの優しさを丁寧に断り、冒険者ギルドへ向かうシノア。
その顔には今までにない、覚悟が浮かんでいた。
◇◇◇
「…マジですか?」
受付嬢の若干呆れを含んだ言葉に思わず苦笑いを浮かべるシノア。
驚くのも無理はない。
シノアは登録初日にして、全ての依頼をこなし、見事Bランクに到達したのだ。
間違いなく最速記録だろう。
「まさか本当に全部やりきるなんて…死なずに戻っただけで奇跡なのに…」
受付嬢は信じられないといった様子でシノアの冒険者手帳のランクを更新する。
受付嬢から冒険者手帳を受け取り頭を下げるとギルドの奥へ向かうシノア。
その面持ちはまるで決戦に臨む戦士のごときだった。
扉を開け、ギルドマスターの執務室に入るシノア。
そこは中央に大きなテーブルが一つと、対になるソファが1組あり、その奥に大きな作業用机と椅子が置かれているといった質素な部屋だった。
「ほう、帰ったか」
窓際の椅子に座り、葉巻を嗜むヴァルハザクは体格も相俟って退役軍人のような覇気を放っている。
「どうやら、あの人にあったようだな」
シノアの様子から全てを悟り、立ち上がって窓から外を眺める。
「…どうしてですか?」
シノアの問いは普通ならば“なぜ自分をあのような場所に案内したのか”と取れるだろう。だが、ヴァルハザクは質問の中に含まれた意図をしっかりと汲み取り答えを出す。
「やはり、お前さんもそれを思うか。どこまで見せてもらった?」
即ち、どうしてあの人はあそこまで規格外に強いのか、と。
「
シノアの言葉に僅かに片眉を上げるヴァルハザク。
「ククッ…ワシの若い頃をいとも簡単に超えたな」
心底可笑しそうに笑うヴァルハザクを前にシノアは戸惑うばかりだった。
「…シノアよ。お前さんに少しばかり昔話をしてやろう」
そして語られるのは無鉄砲な少年の物語。
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