死刑囚は驚かない
小石原淳
第1話 死刑囚は驚かない
ノックの音がした。
五月一日。今日もノック音で始まる。
私は本を閉じて、次の声を待つ。
「9999番。今日の問題だ」
ありがたく挑戦させていただきます、とだけ言って、隙間から出された用紙を受け取る。
内心、私の心臓はどこかから飛び出しそうなほど、早く激しく動いているというのに、表面上は冷静沈着を装って、問題を解きに掛かる。
解けなかったら、翌朝、問題は出されない。代わりに、死刑が執行される規則になっている。
誰の?
誰の死刑執行かなんて、言うまでもないということ。
私は問題用紙を受け取ると、静かに解きに掛かる。
それが常だったのに。
「は?」
初めて声を上げてしまった。
金属製の扉の向こう側、もうとっくに行ってしまったと思っていた刑務官が、ひゃひゃひゃと上品とは言えない笑い声を立てた。
「ようやく、驚きの声を上げたな。いっつも決まり文句だけ言って、あとはすまし顔で解いちまうからつまんねえと、みんな言ってたんだ。何とか面食らったときの声を聞きたいと思ってな。みんなで賭けをしたんだ。誰が問題用紙を運んだときに、あいつに声を上げさせられるかって。僕の勝ちだ。
賭けにはルールが必要だろ。書かれた問題は事前に、具体的には今から約一時間前に、刑務官全員が知ることになっている。それで、競りをするんだ。この問題は俺が行くってな。問題を運ぶ権利を買うんだ。競り落とすのに使われた金はストックされ、あんたに声を上げさせた刑務官の総取り。
もちろん問題用紙に、刑務官が勝手に書き足す等の行為をしてはだめだ。刑務官の仕事をくびになっちまう。純粋に、問題の内容のみで、あんたに声を上げさせられるかどうかを競う。
当然、難問に高値が付いたよ。中には借金までして、超難問のときの用紙を競り落とした奴までいたぜ。あれはもう一ヶ月経ったかな? そいつは今はここにいないよ。全く、罪作りな人だぜ、あんたも。獄につながれた死刑囚だってのに、その頭のよさで、人一人の命を奪っちまったんだから」
私は黙って聞いていた。
ここの規則の一つに、囚人と刑務官は、無闇に口を利いてはならないというのがある。
特にこの問題用紙の受け渡しの際は、絶対にだめ。正解を教えるヒントになっていないかという疑いを完全になくすためである。
「気分が最高にいいから、もう少し付き合って聞いてくれ。
僕は賭けには興味がすげえあったが、軍資金は雀の涙だった。生活資金を回す度胸はからきしなかった。だから、勝てそうな問題を見極め、その一回に勝負を賭けるつもりでいた。
しばらく、いや、長い間、問題の傾向を探ったさ。――違うな。あんたの傾向だ。いかなる問題を得意とし、どんなタイプが苦手で、時間はどれくらい要しているのか。僕はとりつかれたみたいに、記録を取ったよ。
でもな、あるとき気付いた。こんなことして意味があるのか?ってな。だって、あんたが苦手な問題や超難問を前にして、呻き声の一つでも上げるだろうか。万が一、問題を読んで驚いたとしたって、声は上げないんじゃないか。ただ黙々と取り組むだけ。
そういう気がしてきたから、記録を取るのはやめようと思ってたんだ。しかし何故かやめられなかった。習慣になってたんだな。
で、今朝の話だ。さっき渡した問題用紙が、刑務官に知らされた。
みんな注目していたが、すぐに興味を失ったよ。そりゃそうだ。そこにあるような数学とも呼べない算数パズルは、あんたの最も得意とする問題だもんな。だーれも入札しない。僕だって、そのつもりだった。
けど、はっと気が付いたんだ」
“僕”刑務官の声が、いよいよ自慢げな調子を帯びる。
私にそれを話して何になる。私はすでに知っている。
私に今し方出された問題は、こんなものだった。
<問題
123456789
上の数字の並びに適宜、四則演算記号を入れ、
計算結果が2019になるようにせよ。>
簡単だ。
演説は続く。
「この問題、今年の一月一日に出たのと全く同じだぞ!って。
何かのミスが起きたと思った。しかも僕以外の刑務官は、誰もこの事実に気が付いていない。千載一遇のチャンスと思ったね。
僕は、「やっと軍資金で手が届くよ」ってな風を装い、入札した。
当然、そのまま落札。最低額で競り落とせた。
あとはあんたが声を上げてくれるかどうかだった。いや、嬉しかったな、あの瞬間。あんたからは見えなかったろうが、小躍りしてたんだ。ほんと、まじでありがとう。感謝してる。死刑囚に、それも三十人以上を殺した毒殺魔のあんたに感謝の言葉ってのも変な感じだが、正直な気持ちだ。礼は規則でできないが、言葉だけでも受け取ってくれ。
ああ、あと、あんたが死刑になったあと、無縁墓地に埋葬されるのが嫌だってんなら、僕が代わりにそれなりに立派な墓をこしらえてやるよ。死者に礼をするのまでは禁じられてないからな。返事は死刑が決まったときでいい。墓代は使わずに残しておくから心配無用さ。あははは!
じゃ、ここらで失礼するかな。とんでもない額の金になっているから、ひょっとしたらこの職、やめちまうかもしれない。さよならって言っておこう。ははは!」
くだんの刑務官が去る。
私はまず、答を書いた。
1+2345-6×7×8+9=2019
それから一息つき、用紙を提出する前に思い返す。
私は、さっきのとは別の、ある刑務官の弱みを握った。ちょうど一週間前のことだ。
その刑務官が入れてきた用紙は、強烈に臭った。吐きそうな臭気に、声を上げそうになったが我慢した。
そして後ほど、刑務官との会話が禁じられてない、一日の内のわずかな時間を利して、問題の刑務官と二人きりになり、質した。
私が臭いの件をネタ――問題用紙に何らかの手を加える行為は厳しく禁じられている――にして迫ると、相手はあっさり白状した。私が決まり文句以外に驚きの声を上げるかどうかを対象に、刑務官全員で賭けをしていることを。
それを知った私は、賭けの勝者がいずれ出るのは止められない、だかそいつにいい思いをさせるのは癪だと感じた。
だから私は、“臭い”刑務官に命じた。もしも将来、いつになるか分からないが、賭けの勝負が決したときは、その勝者が金を手にする前に毒殺しろと。
私は収監されてからずっと、いや、二十歳になった頃からずっと、とっておきの毒を身に着けていた。手術で舌の表側にちょっとした切り込みを作り、その中に隠した。奥歯や舌の裏なんかは念入りに調べられるが、舌の表側なら大丈夫と踏んだのだ。読み通りだった。
それは死刑執行がいよいよ決まった折に、先んじて自殺してやろうと隠し持っていた物で、現代科学ではまず検出不可能。尤も、私が収監されてから長い年月が経ち、科学も進歩しているだろうが、そこは運を天に任せる。
そんな私の最高傑作の毒を使えば簡単だ、絶対にばれないと言い含め、問題用紙に手を加えた件を誰にも言わないでやる代わりに、勝者殺害を引き受けさせた。もちろん、毒は賭けが決したあとに渡す。早くから渡しておいて、何かの拍子に私の方が毒殺されてはたまらない。
夕方になって、例の“僕”刑務官がぶっ倒れて死んだと耳にした。
刑務官仲間と店に繰り出し、真っ昼間から酒盛りをしている最中だったという。
私は明日も静かに問題を解いているだろう。
終
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