第12刑 愛したからこそ涙が出ない

 斎場はそれ程大きな場所ではなかった。3~40人くらいが参列できる程度だ。それでも多くの人が訪れていた。『E.S.B.』の同僚、学校の友人。そうやって涙を流す人々の顔を見てしょうは、「ああ、自分は彼女のほんの一部しか知らなかったんだな」と思った。


 僧侶が経を読み、参列者の元に焼香が回ってくる。近親者として最前列に座っていた晶は、真っ先にそれを行った。手を合わせて、それを隣の乃述加ののかに回す。


 正面の、花に飾られた祭壇。真ん中に置かれた遺影。自分の近くにいた人が、ああやってこの場の主役になっていることを、実感することが彼にはできなかった。3年前に父が死んだ時も同様だった。人が亡くなる、ということを日常とは捉えられない。


 どこか遠い国のおとぎ話のように、延々と唱えられる経を聞いていた。



「本日はありがとうございます」


 喪主として参列者に挨拶する乃述加。晶は1人、遺族待合室の椅子に腰かけていた。


 会場の入り口には『百波ももなみ利里りり 葬儀場』と書かれている。何度この名前を見ても、利里が死んだという事実は受け入れられなかった。ロビーに出て行くと、何度か会ったことのある『E.S.B.』の職員を見かけた。研究部長の武部たけべもいる。


「こんにちは」


「晶くん。今回は本当に、ご愁傷様だ」


 以前会った時はポロシャツにジーンズと、ラフな格好だったが、流石に今日は黒のスーツを着てきている。


「どうして若いヤツから逝っちまうんだろうな」


「さぁ……。僕もそう思える程、歳を食っている訳ではありませんから」


「そうだよな。ごめんな、晶くんも辛いのに、こんなこと言って」


「いいえ。誰かが亡くなって、辛い思いをするのは皆ですよ」


 そんなことを言いつつも、涙を流せない自分が憎らしかった。


 武部と別れると、1人で車に戻ろうとした。斎場を出ようとした時、彼女、、とすれ違った。両脇を捕縛部の男に固められている。当然の処置だろう。何せ彼女はもう、ただの人ではないのだから。それは頭では理解している。だが居た堪れなかった。愛した人の葬儀にも、監視付きで参列しなければならないなんて。


千瀧ちたき先輩…………」


 後姿を見つめるだけで、声を掛けることもできなかった。


 乃述加の車の鍵を開け、後部座席に寝そべり、晶は物思いに耽った。


「(僕は、冷たい人間なのでしょうか――――)」


 そんなことを考えているうちに、気疲れのせいか、眠りに落ちてしまう晶。目が覚めたのは、1時間程後のことだ。


 車内に煙草の臭いが蔓延してきたことに気付き、目が覚めた。


「乃述加さん。もう、終わったのですか?」


「ええ。悲しいですわね。娘の死を嘆きたいのに、他のことで忙しくって、そんな余裕ありませんわ」


 グローブボックス脇の灰皿に吸い殻を捨て、新しい煙草に火を着ける。彼女が1本を碌に吸わずにすぐ次のものと交換するのは、苛立っている時の吸い方だ。


「でも利里も幸せですわね。あんなに泣いてくれるお友達がいるんですもの。それだけ慕われていた、ということですわ」


「百波先輩、女性のファンが多かったんですね」


「ええ。あの子たちが羨ましいわ。ああやって哀しみを洗い流す手段を知っているのだもの」


 涙を流せないのは、乃述加も同様だった。2人は苛立ちを隠せない口調で、互いに問う。


「晶。お父様が亡くなられた時、どんな気持ちでした?」


「よく分かりませんでした……。ああ、いなくなったんだ、くらいで。乃述加さんは、経験したことありますか、誰かの――」


「恋人を、亡くしました。結婚も誓っていた、あの人を」


 吸い殻を右手につまみ、左手の薬指に嵌めた銀の指輪を眺める乃述加。また煙草を灰皿に捨てると、きらりと光る指輪を撫でた。


「きっとあの時から、あたくしはどこか壊れてしまったのでしょうね。自分の感情と言うものが、きちんと理解できない」


 悲しいのに泣けない。怒りたいのに叫べない。


 笑いたいのに堪えてしまう。楽しいのに泣いてしまう。


 処刑人として生きていく以上、もしかすると仕方のないことなのかもしれない。だが乃述加は、自分の感情を押し殺し、取り繕っているうちに、本物の気持ちを見つけられなくなっていた。


 また、晶もそれと似たような感覚を持っていた。父が死に、母は欠けてしまった自分の人生の一部を埋めようと必死になっていた。それを助けるために、晶は母の支えに、父の代わりになろうとした。両親があまりにも偉大過ぎて、彼にそれは適わなかったが。


「僕、父が死んだ時も、そして今回も、誰かがいなくなってしまった時に、『悲しい』というよりも『不思議だ』って感情の方が大きいんです。これまではいるのが当たり前だったのに、急にいなくなって、それでもいつかはいないことの方が当たり前になっていく……」


 どうして、と晶は前置きすると、


「人はいつか別れなければならない。ずっと一緒にいるなんてことはありえない。それが分かっていて、どうして人は誰かと繋がろうとするのでしょうか」


「人と人が歩み寄る。その際は誰も失くすということについては考えないのですわ。傍にいることを当たり前だと考える。だから――失くした時に辛い思いをする。しかしまた、その辛さを忘れて別の誰かに擦り寄る。人はそう、現実の痛みを現実の温もりで上書きしていく生き物ですから」


 現実の痛みを現実の温もりで上書きする。


 人とは何て、哀れな生き物だろうか。


 晶は以前、自分が手にかけた少女のことを思い出していた。この世に絶望し、恨みを抱いていた彼女。しかし彼女は最期の最期で解放されたように、満足そうに息を引き取った。


 そういえばどうして、彼女が死んだ時には泣いたのだろう。別に家族でも、生まれて以来の親友という訳でもなかった。もしかすると唯一、晶が『死』を嘆いた人物かもしれない。


「(杏樹あんじゅさん……あなたは、一体)」


 あの時の涙はどういう意味だったのだろう。助けられなかったことへの罪悪感か、それとも自分が他人の命を奪ったということに対しての恐怖心か。


「(僕も、自分の気持ちが――分からない)」


 俯いていると、隣の車に誰かが戻って来た気配がした。窓の外を横目で見ると、いたのは捕縛部員に両脇を抱えられた、千瀧那雫夜ななよだった。


 そして彼女らに続いてもう1人。大柄で髭を蓄えた、仙人やら老子やらという言葉の似あう老父だ。誰かは分からないが、大物感がある。捕縛部員と共にいるということは、『E.S.B.』の関係者なのだろう。不思議そうに彼を見つめていると、その老父は乃述加の座る運転席の窓をノックしてきた。ハッとしたように乃述加は窓を開ける。


「お疲れ様ですわ、総長」


「ご愁傷様、邪庭やにわ執行部長」


 総長。この人が――。


 以前から何度か乃述加が口にしていた人物だ。晶は目を丸くした。この人が日本にいる処刑人、全てを束ねている親玉――! まさにそういった風格の人物だ。


 乃述加は不安げに口を開く。


「那雫夜の、処分は決まりましたか……?」


 そうだ。那雫夜は先の戦いで《罪人》へと身を堕としてしまった。当然のこと、《罪人》は処刑人が削除しなければならない、忌むべき存在だ。本来狩る側の人間である那雫夜が狩られる側に堕ちてしまったということは、これまで仲間であった彼女を殺さなくてはならない、ということだった。


 しかし総長・新嶋にいしま克児かつじは、そのような決断は下さなかった。


「千瀧那雫夜執行部員の処分だが、『監獄街』送りということで決定した」


 え、と乃述加は面食らい、口をぽかんと開けていた。


 晶は登場したワードについて知らないため、新嶋の決定が何を意味しているのか、分からなかった。


 乃述加は車から降りると、新嶋の手を取り、頭を下げる。


「ありがとうございます、総長。あたくしに、あの子を殺さなくてよい決定を下してくださって……」


「もしかすると、死よりも過酷なことになってしまうかもしれんがな。彼女も合意してくれた」


 どうやらどこかの施設に収容されるらしい、ということが晶にも伝わって来た。彼も降車し、隣の車にいる那雫夜に声を掛けようとする。しかし、窓から見えるその表情を確認し、それはできなかった。まるで仮面をしているようだ。顔の筋肉が一切動かない。まばたきすらできていないのではないか。張り付いた那雫夜の顔は、無表情をも通り越していた。


「(僕が何か言っても、きっと千瀧先輩には届かない)」


 ドアをノックしようとした手を下げる。一瞬、那雫夜の脇を固めている捕縛部員と目が合った。軽く会釈した後、晶は車内に戻る。


 たった1人の人物が亡くなってしまっただけで、こうも多くの人の歯車が狂ってしまうのか。那雫夜、乃述加、晶。それから名前も知らない故人の級友たち。


「百波先輩。あなたは、酷い人です。こんなに多くの人を苦しめるなんて。どうしてこんなに重たい罪を背負ってしまったんですか…………?」



        × × ×



 帰宅後。疲れが出たのか、乃述加はソファに横になるや否や、眠りについてしまった。スーツが皺になるのもお構いなしだ。


 彼女の持っていた鞄から、晶は1冊のファイルを取り出す。利里の葬儀の参列者の名簿だ。一体どんな人が彼女の死を嘆き、悼んでくれたのか。それが気になったのだ。


 やはり多くは『E.S.B.』の関係者だった。新嶋や武部など上層部の人間も顔を連ねている。執行部の同僚の名前も見かけた。共に名前を書いているのは、他の部署の部員だろうか。覚えのない女性たちの名前もたくさんあった。きっとこれが、利里の大学やそれ以前の、学校の友人の名前だろう。ちらほらと男性名も混じっていた。性別問わずに慕われていたことが伺える。


 どうしてこんなに人望のある人が、こうも早く逝ってしまったのだ。処刑人の世界が死と隣り合わせなのはよく分かっている。それでも実際に身近な人が死んでしまったということを、認めるのは難しい。


「僕たちはこれから、どうすればいいのですか」


 誰に、という訳でもなく問い掛ける晶。答えが欲しい訳ではない。しかし誰かに聞いて欲しくはあった。この胸中に渦巻く恐怖や不安を、受け止めてくれる人が、どこかにいないだろうか。


 名簿に目を通していると、とある見知った名を発見した。


 その名を見つけた晶は、大きく目を見開き、首を振る。だって、そんなはずがない。彼女はもう死んでいる。目の前で確認した。それどころか、彼女を手にかけたのは自分自身だ。


「何で、どうして…………?」


 信じられない、信じたくない。けれど信じたい。


 生きていた? それとも質の悪い悪戯?


 しかしこの名を記したのが本人ならば、今もどこかにいるはずだ。会える、また言葉を交わせる。


 晶の鼓動が早鐘を打つ。先程までの不安とは打って変わった、期待や希望のせいで、だ。


「あなたは……どこにいるの?」



吉川きっかわ杏樹』



《罪人》となった少女の幻影が、そこには浮かんでいた。

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