第4刑 独りぼっちの女王蜂―B
翌朝5時。まだ寝ている
「どこに行くのね?」
玄関で突然声を掛けられた。そこにはいつの間にか利里が立っていた。気づかなかったのは晶の方だった。
「えっと、朝の散歩に――」
「いつもそんなことしてた?」
「今日だけの気まぐれと言いますか――」
「どうして今日だけ? 習慣づければいいのね」
「明日からは何もないから……」
「じゃあ今日は何かがあるの?」
晶は嘘が下手だ。誤魔化そうとしても、すぐに道を塞がれる。だが本当のことを言う訳にもいかない。そんなことをしては2人ともついてきて、
「僕、もう行きますから――」
「晶ッッ!!」
怒号が飛んできて、委縮してしまう。足も動かなかった。
「あんたさ、自分がこれからすることが、許されることだと思ってる? これから先、お天道様に顔向けできるって、胸を張って言える?」
どうやら利里は、晶がしようとしていることが全て分かっているようだった。
あえて核心に触れず、彼の心を揺さぶろうとしている。
「僕は――」
処刑人として多くの人を守らなくてはいけないのは分かる。そのためには《罪人》を処刑しなくてはならない。けれど、だからと言って、杏樹の涙を忘れることもできない。
「僕は、泣いていたあの人を助けたい。ただそれだけです!!」
啖呵を切り、晶は家を飛び出した。振り向かない。何を言われても。
彼女が待っている場所へ、駆け抜けていく。
「あのバカ……。どうなっても知らないのね」
玄関からリビングに入ると、乃述加が自室から顔を出した。
「晶は行ってしまったみたいですわね」
「ええ。あの子、
「確かに、晶はそう考えているかもしれませんわ。でも杏樹さんは本当に逃がしてもらおうと考えているのかしら?」
「……どういうこと?」
「もしかするとその子はね――――」
公園に到着すると、杏樹は初めて会った時同様、ブランコに腰かけていた。
「杏樹さん、お待たせしました」
少しだけ息を切らしながら、彼女に声を掛ける晶。
顔を上げた杏樹の瞳は、これもあの時同様に光を失くしていた。
「ありがとう。本当に来てくれたんだね」
立ち上がるやいなや、彼女は「場所を変えようか」と提案してきた。
公園を出ておよそ10分。杏樹に連れられてやって来たのは、線路の高架下だった。時刻は6時を回ったくらい。少し早めに出勤、登校する人たちの乗った電車が通過していく音が響く。
「あそこはちょっと危ないからね。あんな住宅街の真ん中で」
「危ないって、何をする気ですか?」
そんなの決まっているじゃない。そう呟き、刹那、杏樹は晶の懐に飛び込んできた。
「殺し合いだよ」
腹部を殴られ、仰け反り、仰向けに倒れる晶。女の子の力ではなかった。サイの突進を食らったみたいだ。実際にサイに攻撃されたことなどないので、イメージでしかないが。
見上げると、杏樹の姿がどんどん変化していく。背面に半透明の羽。ひらひらとした肢体。金色のハイヒール。左手には細長い針。ワスプ・ディシナだ。
「本当にあなただったんですね――」
晶は信じたくない気持ち半分、確信半分だった。こうして目の前で姿を現された以上、信じる他なかったが。
《罪人》の姿を確認し、晶も応戦するために腕輪に十字架を嵌める。処刑人になり、彼もまた攻撃を仕掛ける。
「やあぁっ!!」
全体重を乗せて拳を繰り出したつもりだが、簡単にいなされてしまう。やはり経験が足りない。攻撃を満足に当てることすらできない。
「どうしたの? あなたの力はその程度?」
もどかしくて仕方のない晶は、そんな見え透いた挑発に乗ってしまった。
「馬鹿に――しないでください!」
今度は足を振り上げ、蹴りの動作。だが思った以上に足が上がらない。あっさり足首を掴まれ、捻られる。視界が回転し、《罪人》の方を向いていたはずが一瞬だけ地面が映り、今は空を見つめている。自分が仰向けに倒れていると、気付いた時にはもう遅かった。腹部にワスプ・ディシナのハイヒールが突き刺さった。痛みのせいで息が吐き出される。
「これじゃあ前回と同じだね。いいや、今度こそ死んじゃうかも?」
杏樹の言う通りだ。晶と杏樹の間にはあまりにも高すぎる壁があった。こんな一切歯の立たない実力で、よく処刑人になろうと考えたものだ。やはり母の所で大人しく過ごしているべきだったのだろうか――。
「(いや、違う)」
そんなことはない。もしも跳び出そうとしなければ、自分は一生何もしらないまま、鳥籠の中でぬくぬくと過ごしていたのだ。だが外の世界に出たからこそ分かる。自分がこれまで、いかに無知でいたか。どれだけ周りの環境に甘えていたか。
「(ずっと弱いままじゃダメだ。変わろうとしたんじゃないのか、変わりたいんじゃないのか!?)」
顔は苦痛に歪みながらも、内側では必死に自身を叱咤激励する。
短い間隔の浅い呼吸を繰り返しながら、震える腕を動かし、ワスプ・ディシナの足首を掴む。突然の抵抗に驚いた《罪人》はバランスを崩し、晶の上から退けた。
「ごめんなさい杏樹さん。僕は、僕の目的を果たすまで死ねません!」
晶の目的は2つ。
1つは父の死の真相を知ること。
そしてもう1つは、強くなること。周囲の優しさに浸っていては成長などできない。自力で外へ踏み出し、育たなくてはいけない。
「僕はもう、守られてばかりは嫌なんだ!!」
晶の右腕が素早く突き出される。今度はいなされることなく、ワスプ・ディシナの胸に届いた。あまりダメージが通ったようには見えないが、当たった、というだけでも大きな進歩だった。
「その程度で、私を処刑できると思っているの?」
「僕は負けません。あなたにも――僕にも!」
今度はワスプ・ディシナの両肩を掴んで、全体重を掛けて押し倒した。晶が馬乗りになる姿勢になった。その体勢から、晶は何度も《罪人》の顔を殴りつける。罪に塗れただでさえ醜くなった顔を、さらに痛々しくなるまで殴り続けた。その間、杏樹は一切抵抗をしなかった。ただ単に押さえつけられて起き上がれないのか、それともわざと攻撃に身を委ねているのか。
晶の拳が10往復程したところで、ようやく反撃があった。細長い足をしならせ、晶の脇腹を蹴るワスプ・ディシナ。踏ん張ることができず、晶は地面を転がる。
「痛いなぁ……。女の子を殴るなんて、サイテーだね、あんた」
「ごめんなさい。でも、それが今の僕のやるべきことなんです」
両者立ち上がり、睨み合う。
晶は右拳を握り締め、杏樹は左拳を握り締める。
同時に、動いた。固く結ばれた拳が突き出される。針の分リーチの長い杏樹がやや有利と思われた。だが、晶は拳を攻撃に使わなかった。彼はそれを敵の攻撃をいなすために、横向きに振るった。この動きは杏樹も予測していなかった。
腕を弾かれ身体の前面が無防備にさらけ出されるワスプ・ディシナ。彼女の胸部目掛けて、処刑人の蹴りが繰り出される。肺を、心臓を圧迫する一撃。《罪人》は吸いこんでいた酸素を吐き出せるだけ吐き出した。
バランスを崩し、仰向けに倒れる《罪人》。その姿が徐々に人間のものに戻っていく。
勝敗は決した。立って敵を見下す処刑人が勝利、背面を地面につけ天を仰ぐ《罪人》が敗北。この戦いを目撃した者がいれば、誰もが口を揃えてそう言ったに違いない。
空を見つめるのは、随分久しぶりだった。改めて見てみると綺麗なものだ。真っ青なキャンパスに白い塗料を撫でていったような、どことなく芸術作品のようにも思える。この瞬間まで意識してこなかったのがもったいないくらいだ。
「アタシ、負けたんだろうけどさ、すっごく気分がいいよ」
「僕は反対です。勝ったはずなのに、気持ちが悪い」
視線を移すと、自分のために泣いてくれている人がいた。その事実が、全身を悪寒で包み込む。
「何泣いてるのさ。勝ったんだから、笑えばいいじゃん」
小馬鹿にして舌を出してみると、彼は泣き顔のまま崩れ落ちた。
「笑えませんよ! 杏樹さんこそ、どうしてそんなにヘラヘラしていられるんで
すか?」
「ヘラヘラって……。酷いなぁ、そんなつもりはないんだけど」
「本当に、これしか方法はなかったんですか? 杏樹さんを生かすことはできないんですか?」
「本気で蹴っておいて、今更何さ。殺す気はあったでしょ」
「処刑人として戦うのと、僕個人の意見は別です! そんな、本気で他人の命を奪いたいだなんて――」
これ以上いじめるのは流石に可哀そうかもしれない。哀れな自分のために涙を流してくれている人を、困らせるのもあまりいい気分ではない。
「ありがとうね、晶。これでやっと、アタシは解放されるんだよ。ようやく家族に会えるんだ」
「杏樹さんは、死ぬのが怖くないんですか?」
「怖くはないよ。どっちかって言うと、悔しいかな。化け物に家族を殺されたり
しなければ、アタシは今でも普通に暮らせていたはずなんだ。中学校を卒業して、高校に通って、大人になって――。細かいことは分からないけれど、もっと綺麗な人生があったんじゃないかって。そう思うと、悔しいや」
自分の双眸にも涙が滲んでいることに気が付いた。まだこんな機能が残っていたのかと呆れてしまう。
「でも、アタシ自身が化け物になっても、よかったこともあるんじゃないかな」
「そんなこと、あるはずありません! 《罪人》になっていいことなんて……」
「そんなに否定しなくてもいいじゃない。だって、アタシが《罪人》でなかったら、あなたとは会えなかったんだもの」
その想いを告げた瞬間、彼は両目を見開いて呆けた顔になった。そんなに驚かなくてもいいじゃないかと思う。
「5年間独りぼっちだったけれど、最期の最期に救われた気がする。ありがとう、こんなアタシに優しくしてくれて……」
だんだん全身から力が抜けていく。口を動かすのも、瞼を開けているのも辛くなってきた。完全にこの身が動かなくなる前に、せめて本心を彼に伝えたい。
「アタシを殺したのが、あなたで良かった……。お蔭で私は、この世に未練を残さず、逝けるよ……」
名前を呼ぶ声が遠ざかって行く。眠りに落ちるのと、プールに潜ることの中間くらいの感覚。意識だけが別の場所へと潜って行くような、不思議な感覚。
「(せめて我儘を言うなら、君ともっと、一緒にいたかったよ、晶。だから――――――)」
目の前でおがくずのように崩れてしまった杏樹を見て、晶は涙を拭った。これ以上泣きわめいても、誰にも届かないのだ。
「ごめんなさい、助けられなくって。僕が、杏樹さんの居場所になるって言ったのに……」
彼女は自分の意志で死を選んでいた。けれど晶の胸の中には、申し訳ない気持ちが広がっている。もしかすると、殺す以外の解決方法があったのではないか、と。
「こんなハッピーエンド、僕は嫌ですよ――――」
彼女の残骸は、風に吹かれて少しずつ散っていく。それら全てが消えてしまう前に、晶は逃げるように、その場を後にした。
マンションに帰り、玄関の扉を開けると、乃述加が立っていた。何もかもを悟ったような、慈愛に満ちた笑みを浮かべている。
「お帰りなさい、晶」
「ただいま、乃述加さん」
晶は何も話す気になれなかった。今はただ1人になりたかった。
そんな彼の願いを、乃述加は無視してきた。挨拶だけして通り過ぎようと思ったのに、突然、彼女の小さな身体に包み込まれた。小さなとは言っても、2人の間にはほとんど体格差はないので、窮屈ではない。
「無理して整理をつけようとしなくてもいいんですのよ」
優しい声色。泣き疲れた晶には、乃述加の言葉がホットミルクのように温かかった。
「心を堪える必要はありませんわ。あなたはまだ子供なんだから、もっと感情を露わにしていいのよ」
もうあの場で、涙は全て出尽くしたと思っていた。だが優しくされた途端に、どんどん溢れてくる。止めどなく流れ出る涙に合わせて、彼は泣きじゃくった。
「僕、分かっていませんでした。《罪人》を処刑するってことが、どんなに辛い事なのか」
乃述加は口を挿まない。静かに「うんうん」と相槌を打つだけだ。
「そうですよね、これまで人生を、想いを持っていた人の命を奪うのだから。やることは殺人と何も変わらないんですよね。父さんや母さんがいた世界にいれば、2人に近づけると思っていました。でも違った。僕の考えは甘かった」
無言のまま、乃述加は晶の頭を撫でる。
「2人とも、こんな思いをずっとしていたのでしょうか? 僕は1人を殺めるだけでも辛かった。自分の意志で死を選択した杏樹さんを、殺すしかできなかった。彼女、死ぬとき笑っていたんです。満足そうに……。泣いてるだけの僕よりも、ずっとずっと苦しかったはずなのに!」
彼の心情の吐露を聞き、乃述加はようやく口を開いた。
「あたくしも、昔は考えたことがありましたわ。自分の行いが本当に正しいのか、何度も自分に問い掛けました」
「乃述加さんはどうやって、乗り越えたんですか?」
質問にも、フフと笑って、
「乗り越えてなんかいません。まだ分からずにいますわ。それでも戦い続けていますの。まずは普通に生きている人たちを守るために。それから、罪に堕ちてしまった人々とどう向き合うか。その答えを出すのが、処刑人の役割だと、あたくしは思いますの」
聞く人が聞けば、言い訳に思うかもしれない。けれどあの嫌な気持ちを味わってしまった以上、晶にはこれが綺麗事には思えなかった。《罪人》だって、もとは人間だ。彼らのことだって救いたい。そう願うのは間違いではないはずだ。でも既に人間ではなくなっているからには、優先されることはない。
それでも――。
「僕は、できることならどちらも救いたい。ただ殺し殺される関係なんか嫌です!」
「そうですわよね。そう割り切れればいいのだけれど、割り切れないのが人間ですわ」
乃述加が、これだけは覚えておいて、と付け足す。
「処刑することに重点を置かなければいけないけれど、その行為を楽しむようになってはダメ。それでは堕ちきった《罪人》となんら変わらない。むしろ、それよりももっとひどい悪魔になってしまうわ」
晶は涙を拭いながら頷く。
殺人マシーンにはなってはいけない。罪に堕ちた人とも、きちんと向き合いたい。杏樹のように分かり合える相手だっているはずだ。
崩れていく杏樹の姿が脳裏に浮かぶ。彼女は、最期に救われたと言ってくれた。晶と出会えてよかったと。あの言葉はもしかすると、晶にとっても救いになるかもしれない。彼女の存在が心にある限り、晶は《罪人》を殺して楽しむような人間にはならない。自身でそう断言できる。
「僕は処刑人になれるでしょうか?」
「あたくしのような処刑人や、利里のような処刑人、那雫夜のような処刑人。どれも、あなたが目指すものとは違うかもしれませんわ。あなたはあなたのありたいように、あなたの想い描く強さを手に出来るよう、進みなさい」
もう1度晶の頭を撫でる乃述加。
彼は涙が止まると、リビングへと足を踏み込んだ。
「おかえり、後輩」
「ただいま、先輩」
コーヒーを飲んでいる利里と目があった。どうやら今日は、大学が午後かららしい。鞄は置いてあるが、まだ出かける気配がない。
「惚れた娘、助けられたのね?」
あれは、助けたと言えるだろうか。それは当人にしか分からない。よって今、晶に言えるのはこれだけだ。
「杏樹さん。最期まで笑っていてくれました」
「そっか。――――よかったね」
利里はこう言いたいのだろう。「きっとその子、救われたよ」と。
これから先、どんなことが待ち受けているか分からない。今よりもっと辛いこと、苦しいことがあるかもしれない。その度に立ち止まってなんかいられない。歩み続けるしかない。命が尽きるまでに、答えを見つけるために。
――――がんばって。
どこかからか、そんな声が聞こえた。
「――――はい」
いつか彼女に「ありがとう」と言えるよう、成長したい。
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