処刑人の殺し方
間堂実理果
『E.S.B.』編
第1刑 処刑人を探せ―A
人は他人に指摘されて、初めて罪を犯したことに気づく。
それまではただの、無意識の行動でしかない。
――1940
罪に定義は存在しない。言ってみれば、目に見える全てのものが罪を犯しているのだ。
――1922 ブラッド=O=グランド
× × ×
『あの十谷博士の息子さんだ。将来はきっと、有能な科学者になるに違いない』
『あの十谷女史の息子さんだ。将来はきっと、力ある捜査官になるに違いない』
その視線の中に、彼を直接見ているものはなかった。誰も彼も、有能な両親の事ばかりを口にして、十谷晶という人間自身については何も考えていないのだ。
晶にとって、両親は誇らしい人であり、憧れでもあった。だが同時に、その存在は彼のコンプレックスにもなっていた。両親があまりにも偉大すぎるせいで、晶も『完全無欠の存在に成長する』と、勝手に思われていた。
しかしある時から、周囲の彼を見る目は変わった。
確か初めは小学校3年生くらいだったと思う。勉強は学年で中の上くらい。運動は徒競走が速いくらいで、他に秀でたものはない。1年、2年生の時は「まだまだこれからだ」と言われた。が、流石に3年生にもなって成長が見られなければ、だんだん期待は薄まっていく。
晶自身も薄々それは察していたが、初めて面と向かって言われたのは6年生になった時だった。
『ご両親は凄いけれど、君はそんな感じなんだね』
何気なく発せられたその言葉。それがどれだけ彼の胸を抉ったのか、発言者は想像もしていないだろう。
この瞬間から晶は、人付き合いがだんだんと苦手になっていった。
期待を裏切るのが怖い。失望されたくない。
人はきっと誰しも、このような感情を覚えることがあるだろう。だが晶にとっては重みが違った。
こんな経験をする度にいつも、許されない罪を犯したような気分になるのだ。
僕がいったい何をしたと言うんだ。僕は何もしていない。幾度もそう叫ぼうとした。だがある時気が付いた。何もできないから押しつぶされそうになるんだ。何もしていないから駄目なんだ。自分から動かなくては、何も変わらない、と――。
そんな晶の心を砕く出来事が起きた。
3年前。彼が中学生になって間もない頃。
父が死んだ。研究所で起きた事故に巻き込まれたという。父が何の研究をしていたのか、晶は知らない。母に訊ねても「知らない方がいい」と教えてもらえなかった。
父親の死去からそう時をおかず、晶は母に連れられて彼女の母国へ移り住んだ。2年半をアメリカで過ごした。しかし、年月は彼の中に溜まった疑問を散らしてはくれなかった。
十谷博士はなぜ死んだのか。手掛かりはただ1つ。古ぼけた1冊の手帳。それを見つけた晶は、ある決意をする――。
× × ×
米国の高級マンションの一室。
十谷晶はそこで母親と向き合っていた。
「母さん。僕、日本の高校に行こうと思います」
それを伝えた瞬間、顔面に拳が食い込んだ。今のは完全に息子に食らわせる威力ではなかった。両方の鼻の穴から血が流れ、前歯も少しぐらついている。
「バカ言ってんじゃねぇぞ! コラァ!!」
十谷晶の母・十谷クリスティーナは、床に転がった息子の襟首を掴み、不良がいじめられっこにするように揺さぶった。その動きと連動して、彼女の長い金髪も飛び跳ねる。
「お前、日本に行ったって知り合いなんかいないだろ。こっちで大人しくしとけ。分かったな、二度と馬鹿なこと言うんじゃねぇぞ!!」
そこまで言うとクリスティーナは、晶を解放した。
踵を反した母に向かって、晶は土下座をする。額を床に着け、表情が見えないくらい深々と。背中越しにそれを見たクリスティーナは大きな舌打ちの音を立てる。
「どういうつもりだ、バカ野郎ォ」
母は息子を見下した。
彼女が今どんな表情をしているのか、晶は薄々察している。酷く軽蔑する顔を作っているだろう。だが、どれだけ反対されようとここで引き下がる訳にはいかない。
「お願いします。日本へ行かせてください」
もう一度頼み込んだ。
今度聞こえて来たのは「ハァ」というため息だった。これはもう、怒るや軽蔑するということを通り越し、呆れられているようだ。
恐る恐る、晶は顔を上げる。そこにあったのは、思った通り母の呆れ顔だった。
流石にこれ以上手を上げられることはないだろうが、それでも全身がびくびくしている。
「なぁ……晶。お前なんだってそんなこと言うんだ?」
責めるような声色ではなかった。むしろ悲しみの感情の方が多く含まれている。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも、彼は己の意見を通そうと決めた。
「僕、知りたいんです。父さんに何があったのか。僕は何も知らずに生きてきました。周りからは期待の目を向けられて、でも応えられなくって。――そもそも僕は、どうして期待されていたのか分からないんです。父さんは本当にただの科学者だったんですか? 母さんは本当にただの警察官なんですか? 僕にはそう思えない! まだ何かあるんですよね。……僕は知りたい。僕の周りで、僕の知らない何が起きているのか」
そこまで言うと、晶は再び襟首を掴まれた。
殴られると思い反射的に目を閉じたが、衝撃はやってこなかった。代わりに全身を包み込む抱擁があった。
「引っ込み思案のくせに行動力がある。……誰に似たんだろうなぁ、俺と
母は息子の頭を己の乳房に埋める。彼女なりの愛情表現だ。
息苦しくなりながらも、晶はたった1人の肉親の温もりに身を預けていた。
「分かったよ、止めはしない。そもそもあのことについては、遅かれ早かれいつか知ることになるんだ。だったら自分から歩み寄った方がいいに決まってる」
クリスティーナは抱擁を解くと、近くにあった紙に何かを記した。
「日本に着いたらここを訪ねろ。家の奴には、俺から話をしておく。安心しろ。俺の元部下の所だ。身の安全は保障する」
「ありがとうございます。僕、必ず目的を果たします」
「……できるといいな」
その時の母の表情は、晶も初めて見る、寂しそうなものだった。
× × ×
キャリーバッグを手に日本に着いた晶は、母の元部下という女性の家に向かうまでにも、数人を訪ねた。父の手帳に記されていた住所の中で、行ける範囲にいる人に会いに行った。結果は芳しくなかった。訊ねても何も教えてくれない者、居留守を使う者、門前払いをする者と、なかなか相手にしてもらえなかった。
だがこれは同時に、ある事実を浮き彫りにしていった。父の死にはみんな触れないようにしている、と。
やはり父の死には何か裏があるのだ。それを確信できただけでも、大きな収穫だった。
やっと晶は目的地に辿り着いた。とあるマンションの一室の前。表札の名前と、母にメモをしてもらった紙に、交互に視線をやる。『
恐る恐るインターホンを押すと、間髪入れずに応答があった。
『はい、邪庭ですわ。どちらさまでしょう?』
「あの……母から、十谷クリスティーナから連絡が行っていないでしょうか? 僕、十谷晶といいます」
『あぁ! クリスティーナの息子さんですわね。今お迎えに上がりますわ』
パタパタという音が聞こえた後、マイクが切れて音が聞こえなくなった。
数秒後、玄関の扉が開く。
「初めまして。あたくし、邪庭
出て来た女性の姿を見て、晶は目を疑った。驚きのあまり全身を観察してしまう。身長は自分よりもやや低いくらい――150センチとちょっとあるくらいか。人懐こい笑顔を浮かべていて、可愛らしい中学生といった雰囲気だ。だが格好がそれとミスマッチ過ぎる。ショートヘアを銀色に染め、首には銀の鎖のチョーカー。右手の中指と左手の薬指にも銀の指輪。髪の隙間から覗く銀のピアス。とにかく全身銀づくしなのだ。そのくせ着ているのは水玉模様のワンピースなのだから、反応に困る。
「玄関先で立ち話もなんですし、上がってくださいまし♪」
なぜだか分からないが、言うことを聞かないと取って食われる。そんな予感がした。
「どうぞ。お茶を淹れるのは得意ですの」
リビングのソファに座らされ、紅茶を出してもらっている。
家に入ってから晶は一言も口がきけなかった。緊張して喉が震えない。
「それで――お父様について調べている、と仰いましたわね」
晶の向かいに腰かけた乃述加は、前置きをせずに本題に入った。
「申し訳ないのだけれど……あたくしも多くを知っている訳ではありませんわ」
適当に相槌をうつしかできない晶。そんな彼の緊張を感じ取ったのか、乃述加は表情を和らげた。
「そんなに固くならないでくださいな。あたくしは、あなたのお母様には随分お世話になりましたの。今度は、あたくしがあなたの力になる番だと思っていますわ」
「はぁ……」
返事を誤魔化すようにティーカップに口をつける。ほんのり甘い香りが口内に漂い心地いい。紅茶のお蔭でようやく落ち着いてきた晶は、ようやく口を開いた。
「邪庭さんは、母とはどういう関係なんですか?」
「そうですわね。簡単に言うと上司と部下なのですが……。あなた、お母様の仕事についてはご存じ?」
そう問われると困ってしまう。どこかの組織の捜査官らしい、ということは察しているが、クリスティーナはあまり多くを語ってくれなかった。彼女の仕事について、晶は知らないと言っても間違いはない。
「その顔だとご存じでないようね。となると――説明が難しいですわね。どうしましょうか」
「はぁ…………」
どうしようと言われても、晶にはどうすることもできない。
しばしの間沈黙が流れる。
「その点は、おいおい話すということでいいかしらね。では本題の方に入りましょうか」
「はい。お願いします。何でもいいんです。父のことで何か知っていることがあったら、教えてください!」
その質問をした時、晶はテーブルに両手をついて身を乗り出していた。こればかりは、黙って聞いている訳にもいかない。
「ですから、あたくしもそんなに詳しくはありませんの。直接会ったこともありませんし。クリスティーナの又聞きばかり。ですから、あたくしの知っていることは全て彼女の知っていること、となりますわ」
目を伏せる乃述加を見て、思わず歯噛みする。せっかくここまで来たのに、得られたものが少なすぎる。精々、皆その話題を避けようとしている、ということだけだ。
「僕は……」
「晶さん?」
「僕は知りたいだけなんです。誇りであり、コンプレックスでもあった父が、なぜ突然亡くなったのか。母さんは知らない方がいいと言いました。でも僕は知りたい。知らなくちゃいけない。そう思えるんです!」
息を荒げる晶の言葉を、乃述加は頷きながら聞いてくれた。彼にはそれが何だか嬉しかった。無視するでもない、邪険に聞き流すでもない。きちんと話を聞いてくれたことが、ただ嬉しかった。
「晶さん。焦ってはダメ。あなたが本当に知りたいと願うなら、真実の方から歩み寄ってくるはずですわ」
乃述加は再び、優しい微笑みを浮かべた。不思議と心が軽くなる笑みだった。
「さて! 難しい話は一度やめにしましょう! それより、あなたは今日からここに泊まるんですのよね?」
「はい。母さんがそうするようにって。お邪魔ではないですか?」
「問題なんてありません。寝泊まりには、奥の客間を使ってくださいな。荷物もそこに置いて、あなたの部屋にしてしまってもいいですわよ」
「……ありがとうございます」
案内された部屋は、床も壁も綺麗に磨かれていた。もしかして、今日来る晶のために掃除しておいてくれたのだろうか。そうだとしたら、感謝の他ない。
鞄を部屋に入れると、どことなく居心地の悪さを感じていたが。
不意に、リビングで電話が鳴った。応答した乃述加は、さっきまでとは打って変わって低い、凄味のある声で話している。
会話が止まり、通話が終わったのだと思った、次の瞬間。
「晶さん! 行きますわよ!」
客間の扉が勢いよく開け放たれた。
「い、行くってどこへ?」
「あたくしや、あなたのお母様の仕事、知りたくありません?」
晶は間髪入れずに首肯した。これ以上事態に置いて行かれたくない。ちゃんと自分で進んで、自分の目で確かめなければ。
家を出る前、乃述加はワンピースからジャケットと短パンに着替えた。これまでは服装のお蔭でまだ幼さが残っていたが、こうなるともうビジュアル系バンドの一員みたいだ。
マンションの駐車場に移動した2人は、乃述加の二輪車に跨った。本来は2人で乗る構造になっているバイクだ。後ろにしがみつく形になっている晶は、お尻が少しずり落ちそうになる。
「しっかり掴まっていてくださいまし!!」
エンジンがかかり、マフラーが唸る。タイヤを悲鳴が上がるように擦りながら、バイクは駐車場を飛び出した。周囲を走る車の群れを器用に縫って行く。
これからどこに連れて行かれるかは分からない。だが晶は、どこか高揚感を覚えていた。まるでこう行動することが自分の運命だというように。
日の傾き始めた頃の風を、肌で感じていた。
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