海は凪ぐ。
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海は凪ぐ。
陽の熱が心地良い五月頃、少し坂を登った先にある学校、その屋上に一人の少女が小さなビニールシートを敷いて寝転がっていた。
…いい天気。
ブレザーを着た上でだが、日差しが心地よい。
だが、ただ日差しを浴びただけでは暑くなるだけなのだが、
風もいい感じだね。
今日は風も程よく吹いている為昼寝に最適の温度をこちらに提供してくれる。
そんな風を、ワタシは好きなのだ。
風が通る事で鳴る音も、風が運んでくる匂いも好きだ。
「…今の、作曲で使えるかな…?」
そんな事を思いつつ、己の欲のままに目を閉じ、意識を落とそうとする。
本当に、いい天気…。
ぽかぽかした陽気に身を任せ、完全に意識が落ちようとしたその瞬間、頭上からの
「見つけましたわよ
怒鳴り声にも似た、しかし聞き覚えのある女の声によって意識の全てが引き戻される。
私にとってよく知る人物だが、ここに呼んだ覚えはない。
「んん…?」
恐る恐る目を開けると、目の前に広がっていたのは雲一つない青空でも、怒っている当人の顔でもなく。
「…布?」
否、ただの布ではない。
恐らくこの立っている人間の立ち位置が悪いのもあるし、風が吹いているせいでもあるだろう。
まぁつまり見えているものはそう、
「白の無地…」
そう反射で呟くと、怒っている彼女は、
「は…?」
と、一度理解不能の声を上げ、しかし気づき。
「____!馬鹿ああああ!」
「ぐぇっ」
こちらに高速の震脚を腹にぶち込み、意識が落ちる。
最後に聴こえてきたのは、相変わらずの風の音と、
「まったく、見せる時は魅せる時用の時だけにしてくださいましって聞いてますの凪!?凪?…し、死んでますの…!」
と、自分の事を棚に上げて白を切ろうとする彼女の声だった。
□
「…それで、どうしてこうなったのかしら?」
そんな声が響くのは生徒会室、外はすでに夕暮れだ。
声の主はこの学校の生徒会長、名前は知らない、会長でみんな呼んでいるからあまり気にしたことがないからだ。
そして半ば尋問と化しているこの場に立たされているのは私と海華だ。
それよりも、
「どうって言われても、ちょっと昼寝しようとしたら海華が腹にずどんしたせいで失神してたもので私被害者ですし」
それに対して反論するために立ち上がったのはストレートの金髪を揺らし立ち上がった震脚の主である海華だ。
「ちょっと凪!人に責任押し付けるのは良くないですわよ!?元々貴女が授業をさぼっていたからわたくしが…!」
「いや、頼んでないし」
「なんですって!」
口論にもなりそうなのを察したのか、そこで会長の
「まぁまぁそこまで」
の一言で私と海華は黙るしかなくなる。
この会長、妙に怖いんだよなぁ…。
いつもはおっとり系なのだが、やたら尋問するときの雰囲気が怖いので苦手だ。
そう思っていると、会長はこちらを再度見つめる。
「まぁ今回は両者不問という事にします」
「なんでわたくしまで問題扱いされていますの!?わたくしは風紀委員として役目を果たしただけですわ!」
そう声を上げた海華はご不満らしいが会長はそうでもないらしく。
「確かに生徒指導を任されているのでその行動原理自体は責めるつもりはありません、ですが海華さん、貴女の震脚のせいで本校初の救急車を呼ぶことになりそうになったという事、お忘れなきように」
「うっ」
そうだそうだと心の中で思っていると、今度はこちらに矛先が向いてくる。
「…それと風行さん」
「はい」
「確かに貴女の授業不参加は目に余るものがありますが、あの時間の授業、先生が『すまん持病のアイドル追っかけが発病して!』と一言残して去っていったせいで自由学習だったようですね?」
「…えぇ」
あれはひどかった、先生がドアを開けたと思ったら法被と光る棒を持っていたのだ、トラウマものだろうあれ。
「お陰であのクラス全体が騒いでいたせいで全員怒られましたし、まぁさぼった件については不問といたします。」
「ほんとですか?」
「ただし、次はないですよ?貴女の成績が良かろうと、出席日数が足りてなければ意味がないのですから」
「…はい」
「…なにかわたくしと扱いの差がひどい気がしますの…」
「一応、生徒会ですし身内にはしっかりしてもらわないとですから」
「…正論すぎて反論できませんわ…」
そんなやりとりをしていると、会長は柏手をひとつ叩き、場を正す。
「さて、これでお説教はおしまい、二人ともいつも通り部活でしょ?軽音楽部でしたっけ?」
言われ、私は海華と顔を合わせる。
「…いこっか」
「そうですわね」
二人で生徒会室のドアを開け、礼もそこそこにその場を立ち去る。
「…ふぅ…」
流石に説教は気が滅入る。
そんな意味を含めて溜息をつくと、海華は別の意味に捉えたようだ。
「…申し訳ありませんわ」
「何が?」
「お腹、がっつりやっちゃったことですの」
あぁ、とそう声を上げつつ腹をさする。
「まぁいいよ、海華は自分を信じて呼びに来たわけでしょ?まぁパンツ見ちゃった私も悪いわけだし」
「…それは忘れてくださいまし」
顔を赤くして拒否する海華は、なんだか可愛く見えて。
「ほら、行くよ海華」
手のひらを差し出し、海華の瞳を見つめる。
すると海華は落ち込んでいた表情から一転喜の顔になり、しかし顔を逸らす。
「ま、まったく仕方がありませんわね!凪がそんなに繋ぎたいのであれば仕方ありませんわね!ね!」
「その余計な一言が無ければ私も素直に繋ぐんだけど」
「…繋ぎませんの?」
揺れる金髪が長い事もあってか、しょんぼりした見た目が大型犬のようで、それが堪らなくて。
「ん」
「あっ」
海華の手を引きこちらに寄せる。
「行こうか」
「はいですの」
繋ぎ方はオーソドックスな手のひらを合わせる形。
だが、途中からどちらとも言えないタイミングで、指を重ね、握りを強くする。
階段を下りている間、海華は思うところがあったようで。
「なんだか、凪には心を薙がれてばっかりな気がしますわ、先ほどと言い、今と言い」
「…おやじギャグ?ごめん海華、いくら付き合ってても私にはそれをフォローする力ないんだ」
「最低ですの!最低ですのよ凪!そこはキザっぽい台詞のひとつでも吐きなさいな!」
「はいはい…」
そう言いあいながらも、二人は部室に向かって歩幅を合わせて歩いていく。
これは風行凪と海野海華、たった二人の軽音楽部の、付き合ってる二人のゆるい物語。
□
二人の向かう部室は、少し離れたところにある。
まずは正面昇降口で靴を履き替え右に向かう。
そうして校舎とフェンスの間、車一台なら通れるくらいの道を歩き少し右に曲がる、そうして見えてくるのは二階建て、しかし校舎と接続はされていない会館が見えてくる。
壁に取り付けられている警備会社のロックを解除したあとに事前に海華が借りていた鍵を凪が受け取り、鍵を開ける。
下駄箱に靴を入れ、スリッパに履き替えていると、
「あ、わたくしお花摘んできますわ」
と言いながらそそくさとトイレに行ったのを
「はいはい」
と言いながら私は二階に上がっていく。
一階は主に使われていない台所と大きな広間が二つ、そして、
「よっこいしょ…っと」
階段を登り切った先、二階には左に二つ、右に一つの部屋があり、そのうちの一つである一番右の部屋に入っていく。
「ただいま」
そう虚空に呟き、部室の中に入っていく。
部室の中は煩雑で、アンプやギタースタンド、挙句の果てにはテストのプリントなども散らばっておりぶっちゃけかなり汚い。
そろそろ掃除しなきゃだめだなぁ…。
と、そう思いつつも視線と身体たった一つのものを捉え、離さない。
それは木でできた素材で、胴体がむっくりとしたアコースティックギター。
ギタースタンドに掛けたまま弦を軽く弾くとそれはこちらの帰還を待ちわびていたかのように気持ちいい音を奏でる。
「今日もよろしくね」
そうアコースティックギターに話しかけながら荷物を置き、あぐらをかきつつギターの前で表情が綻ぶ。
そうしていると部室のドアが開く音がし、
「おっ」
海華が諸々を終え、帰ってきていた。
「…何してますの凪、ギターの目の前でニヤニヤしながら見てるだけとか、ただの変態行為ですわよ?」
そう言いながらも海華は荷物を置き、横座りでこちらの隣にやってくる。
「…そのギター、わたくしより大切ですの?」
そう言いながらこちらを見つめてくる海華の顔は寂しさと責めの視線が籠っていて。
め、面倒くさい…!
と喉まで出かけて飲み込む。
私は基本海華が何かに夢中になっている姿が好きなのであまり気にする事がないのだが、海華はそうではなく『こちらを見てほしい』派のようで、こうしてすぐむくれる事がある。
基本海華はちょろいので適当に「海華も大切だから気にしなくていいよ」と少し低めに言っておけば落ち着くのだが、それでは少し芸がない。
そう思いつつ、頭によぎるのは今日の事。
…いい事思いついた。
思いついたら即行動。
四つん這いになりながら海華ににじり寄り、
「な、なんですのな…」
海華の言葉を遮るように、しかし彼女の後頭部を軽く支えて痛まないように、押し倒す。
□
海華は、状況の理解に苦しんでいた。
「…!…!?」
な、なんで押し倒されてますの…!
正直、まったく分からない。
最後に発した言葉を思い出すが、
ちょっと嫉妬気味に言った言葉くらいで凪を怒らせるような事は言ってないはずですのよ…?
だとしたら、なんなのだろうか?
やはり今日の震脚がまずかったか!と思っていると凪がこちらに顔を寄せてくる。
初手ヘッドバッドは勘弁ですのよー!
そう心で叫びつつ瞳を閉じ、構える。
しかし、来る感覚は頭突きの感覚ではなく、どうやら抱きしめられているようだ。
そして自身の耳元には凪の口があるのが吐息の音でわかる。
「な、何してますの凪…!」
そう問うと、表情はこちらからは確認できないが、声色は悪戯な声。
「海華、今日要約すると見せる用ならパンツ見せてもいいって言ってたよね?」
「…」
言った、言った気がした。
これはあれだろうか、凪はわたくしのパンツを見たいと、そう言っているのだろうか。
正直あの時は気が動転していたのでかなり口が滑っていた気がしたが、半分本心なので言い訳できないあたりが余計に辛い。
「な、凪?確かにわたくし言いましたわ?でもちょっと考えてくださいまし」
「何」
「…まだ家に帰ってませんから、ぱ、パンツは変わってませんのよ?」
「私、海華が穿いてるなら何でも受け入れられるよ」
「…そういう事ではありませんのよ!」
そう軽い拒絶をしつつも、ドキドキして、なんだか満たされてきている自分が居て。
ちょ、ちょろすぎですの…!
と、そう思ってしまう。
「…負けましたわ」
そう言いながら身体の力を抜き、凪に任せる。
まさか学校で迫られるなんて、少女漫画みたいでドキドキしますわね!
なんてことを思いながらも凪の手先が自身のラインに沿って動いていくのを感じながら、諦めたように天上を見据える。
…そういえば、扉ちゃんと閉めましたわよね…?
そう疑問に思い、少し視線を頭頂部側に動かし、扉を確認する。
そして、視界の先の何かと視線が合い、
「ひょっ」
全身の血の気が、引いていく。
凪は、海華の変化に疑問を抱いた。
「…海華、なんか青くなってない?」
「な、なぎ、やめましょう、ステイですの」
「また怖気づいたの?どうせ人なんて来ないじゃんここ」
「ち、違いますのよ!マジでステイですの!ステイと言うよりストップですの!というか前!わたくしではなく前みなさいな!」
そういう海華の顔は本当に焦っていて、いつもの期待とは少し違っていた。
だからというように私も海華に続いて、前の方、扉がある咆哮を見据える。
すると、そこに居たのは半開きになった扉と、西日の逆光で顔が判別できず、しかしショートの黒髪だとは判別できる人が顔の左半分で覗いている姿。
それはまるで幽霊のように見え、
「ぎゃあああああ!」
産まれてから一番と自負できるほどの絶叫を上げた。
□
「…いいですか二人共」
凪と海華は正座させられ、幽霊に説教されていた。
正確には会長なのだが。
「確かにここは貴女達の部室です、そこでどういう形で部活動をするのかは生徒に任しているのでどうこう言うつもりは基本的にないんですよ?」
そう言った後、会長は咳ばらいを一つし、
「…部室で不純異性交遊はよろしくないです」
そう言うと海華が手の平を会長に出し、会長が「どうぞ」と促す。
「違いますのよ会長?よく聞いてくださいまし」
「はい」
「…要約すると凪が悪いんですの」
わ、私の事売ったよこの女…!
実際の所私から押し倒したので間違っていない辺りがかなり苦しい。
そう思いつつ海華の方を睨むが、海華はそっぽを向いてこちらを見ない。
それを見た会長はその意見を受け入れたのか、
「そうですか、では風行さん、もう一年くらい高校生しときます?私的には知っている人が生徒会長やってくれた方が安心するので万々歳ですけど」
とか言ってくるのでタチが悪い、というかもう一年ってなによもう一年って。
そういう意味も含め反論もという海華と私を守る為に手を上げる。
「被告人風行さん、どうぞ」
その言われ様は不服だが、黙って受け入れ、意見する。
「違うんです会長」
「何がです?」
「…あれは私が立ち眩みしてしまって、そこを海華が助ける為に抱き締めてくれたんです。」
「ほうほう」
「でも海華も体勢的に辛かったから結局倒れてしまい、あんな形になってしまったんです」
「…ふむ」
我ながらかなり苦しい言い訳だが、それを聞いた会長は少し思案し、「うーん」と唸りを上げる。
イケる…!
そう心の中でガッツポーズの準備をしていると、会長が口を開け、答えを出す。
「…でも、普通あんな厭らしい手つきで海華さんの身体触りませんよね」
「すいませんでした」
素直に謝り、土下座をする。
それを見た会長は、
「顔を上げてくださいよ、私海華さんの親じゃないんですから…」
そう言われ顔を上げると、会長は少しだけ顔を赤く染め、
「いいですか?そういう事をするな、とは言いませんからもう少し場所を考えてください場所を」
そういう会長はなんだか可愛く見えて、不覚にもドキリとしてしまう。
しかし、不意に隣から不穏な気配を察知し、身体が硬直する。
「…凪」
…隣は見ない事にしよう、絶対に。
少なくとも会長が帰るまでは絶対に。
そう心に誓いつつも、こちらが本当に聞きたかったことを口に出す。
「…それで、会長はどうしてここに来たんです?用事でも?」
そう言うと会長は片方の掌を片方の拳でぽんと叩く。
「あぁ、目の前の光景が衝撃的すぎて忘れてましたよ…いいですか二人共、よく聞いてください」
会長はそう言いながら姿勢を正すのでこちらも正し、構える。
「この部活、無くなるかもしれないです、というかこのままだとほぼ確定」
「は?」
それは、こちらの口調を崩すには用意すぎる破壊力で。
「どういうこと?」
崩れたまま、会長に問う。
「それがですね、基本部活の構成人数は五人以上と決まっているわけですけど、書類上軽音楽部は五人です、まぁそこ自体はよくある話なので別段問題ではないんです」
「…じゃあ何が問題なんですの?」
そう海華が問うと、会長は少し困った顔をしつつ、答えをくれる。
「その幽霊部員の三人、成績悪すぎて先生に呼び出されているんですよ、それで部活はなんだと先生が調べたら軽音楽部、そこからあれよあれよと活動実績の無さと成績下位者の割合が白昼の元に晒され、今日の職員会議で『いっちょ軽音楽部無くすか!うっさいし!』って動きが出たみたいでして」
「…あー」
確かに、言ってる事はあっている。
元々自分がギターを弾く環境が欲しくて無理やり作った部活だ、最初の一年は理由は別にあるのだが、まだまだ実力が…と言ってライブもしなかったのでそれも響いているのだろう。
だが、
「その言い方だと、会長はそれを否定しているんですよね?」
そう問うと、会長は首を縦に振り、答えてくれる。
「えぇ、貴女達がちゃんと活動しているのは帰る時に聴こえてくるのでよく知っています、だから生徒代表として挽回策がないか聞きました」
「…それは?」
「今度の新入生向け部活動紹介の時にただ檀上に立つのではなく、ライブをする事で不問にするとのことです」
言われた言葉を反芻し、飲み込む。
「…分かりました」
「では、よろしくお願いしますね」
そう言いながら会長は立ち上がり、立ち去ろうとする。
「…二人共、続きはしちゃいけませんからね?」
「しません!」
「しないですわ!」
そう半ば叫ぶと会長は少し笑いながらも出ていく。
そこで気が抜けたのか、二人とも足を崩し、しかし思案する。
「どーしたもんか」
分かりましたと言ったものの、ライブは少し厄介だ。
なぜなら、
「…凪、ライブなんて大丈夫なんですの?」
そういう海華の顔は本当に心配しているようで。
「上がり症ですものね、貴女」
「…そうなんだよねぇ」
昔からなのだが、演奏や合唱会などの時に大勢の人に見られている事が緊張や不安を誘うのか、思考が吹き飛び、何もできなくなってしまうのだ。
だから、
「どーしたもんか」
悩むが、しかしこうも思うのだ。
このままでいいのだろうか、と。
□
海華は、現状の確認を急いだ。
「とりあえずは、ライブをすることが最優先ですわね」
「うん、やるしかないね」
そう返してくる凪に対して、返す言葉は疑問だ。
「凪、そう簡単に言ってますけれど、貴女の上がり症治ってますの?」
「ううん」
「じゃあだめじゃないですの、短絡的ですわよ」
凪はぽりぽりと頭を掻きながら、しかし言葉を続ける。
「…まぁ、治ってないのは事実だけど、ライブをしないとこの空間が無くなるのも事実、つまり私は何が何でもライブをする必要があるでしょ?ここで悩んだって仕方ない」
そんな事を言う凪はなんだか悲しそうで、傍らに置いてあったギターを撫でる手も元気がない。
こういう顔をしている時の凪はたいてい自暴自棄な時が多い。
つまりは、
「凪、貴女変な事考えてますわね?」
「…何のこと?私必死に何弾くか考えてる最中なんだから」
「…貴女、ライブをそのままやって、失敗して、『ライブを行った』と、そう言う実績だけ残すつもりですわね?」
そう言うと、凪は、
「はぁ…」
とため息をつき、こちらに向く。
「それしかないでしょ?」
「本当に?」
「じゃあ何?海華はそれ以外に考えあるの?ないでしょ?私が一回恥かけばそれで全て済むんだよ!?海華には何も被害はない、関係ない…!」
「っ…!」
関係ないと、自分はこの件から除外だと、そう言われたような気がして、私は思わず凪の前まで近寄り、
「ちょっ」
凪の胸倉を掴む。
「凪、わたくしが関係ないと、そう言いましたわね?」
「…そうだよ、海華は関係ない、私一人が全て背負えばいい」
凪はこちらの腕を掴み、睨んでくる。
「許しませんわ」
「…は?」
「許しませんと、そう言いましたのよ」
「許さないって、一体何っ…!」
何度言っても意志を変えないことを言う唇を塞ぐように、口づけを無理やり行う。
「んっ…!」
凪は拒もうとするが、掴んでいた手を振りほどき、後頭部を抑える。
自身の想いを伝えるように、熱く、強く、奥まで届くように。
すると段々と反抗する気が失せてきたのか、こちらに身を任せてくる。
…こういう時の凪は、なんだか可愛いものですわね。
ついさっきまでこちらを押し倒してきた相手とは思えない。
が、このキスはそういうキスじゃない。
だからというように唇を離し、凪の瞳をしっかりと見据える。
「落ち着きましたの?」
「…いや、落ち着くどころか興奮し」
とりあえず拳骨を一発入れておく。
「ひどくない!?無理やりしたのに?!興奮するでしょ!?」
「いや確かにそうですけれど言わないでくださいまし…」
とにかく、とそう言いながら、凪の手をしっかりと握る。
「凪、貴女はわたくしの恋人ですの、そんな愛してやまない、わたくしが何もかもを許す存在が恥をかく?許しませんのよそんな事」
手の握りを強くする。
「やるなら全力全開、でなければ人の前に立つ意味なんてありませんの」
聞いた凪は、目を見開き、大きく息を吸う。
そして、問われる。
「…分かった、凪がそこまで言うなら考え直す…でも、どうするの?実際問題私ステージに立つとポンコツなんだけど」
問われ、しかしこちらも答えを持ち合わせている訳でもなく。
「んー、凪、何かこれがあれば落ち着くとか、そういう物ありませんの?」
聞くと凪は唸り始め、考える。
返答が来たのは十秒ほど後、だが、その答えは意外なもので。
「…海華」
「…は?」
「海華が傍に居るなら、たぶん大丈夫」
「…それはつまり?」
「海華も一緒にステージ出て」
「はぁ!?」
本当に予想外の言葉で、私は思わず大きな声を上げてしまう。
「いやいや凪、わたくし楽器系はてんでできませんのよ?やれたとしてもピアノくらいでしてよ?」
聞いた凪はそれに対して首を横に振り、答える。
「…もう一つだけ、海華には出来ることがあるよ」
「貴女の隣で手を繋いでいればいいんですの?」
「あーそれあり…じゃないよ違う違う」
「…じゃあなんですの」
「ボーカル、やって」
「…はああ!?待ちますの、待ちますのよ凪、わたくし歌う事は出来てもステージで歌った事なんて一度もないんですのよ!?」
「…さっき、やるなら全力全開って言ってた人いたなぁ」
「うっ」
「そう言えば自分も関係するって言ってた人もいたなぁ」
「うっうっ」
凪、無駄にねちっこくきますわね…!
実際言ってるし、記憶しているところが厄介だ。
ただ、
「…まったく」
凪が、こうやって自身の弱さを見せた上で、助けを求めてくれた。
それがとても嬉しくて。
「仕方ありませんわね…やりますわ」
「やった」
ガッツポーズをする凪に少し呆れつつも、自身は一つの提案を思案していた。
「凪、ひとつわがまま言ってもよろしいですの?」
「うん、私が欲しいなら何時でも言って」
「そう言うのは雰囲気ある時じゃないと響きませんのよ、あとそうではなく」
一息。
「やりたい曲がありますの」
□
二週間後、二人はステージの裏に立っていた。
「はあああ緊張する」
「凪、凪、少しは落ち着きなさいな、ぐるぐる回ったところで解決しませんのよそれ」
今は軽音楽部の前、演劇部が部活動紹介の真っ最中なのだが。凪はこんな調子だ。
しかも。
「…五分間のプチ演劇を披露するとは聞いていましたけれど、開始二分で昼ドラばりの泥沼が展開されているのはどうなんですのこれ」
舞台裏からそっと新入生を見ると若干引いてる、可哀そうに。
…さて、
「そろそろ終わりの時間ですのよ、覚悟を決めなさいな凪」
「…そうだね」
凪はこちらの隣に来たと思えば、軽大きく深呼吸をする。
そして、
「ん」
手を握れと、そう言うかのように手を差し出してくる。
「…まったく」
こういう時の凪は何だか甘えたがる。
いつもと立場逆でなんだかいいですわねこれ…!
いつもは自分から行く方なので、気持ち良さと心地良さを感じながら、手を握る。
…手、冷たいですわね。
相当緊張しているのがわかる。
なら、自分が出来る事は一つしかない。
指を絡めて、しっかりと、意志が届くように。
「大丈夫ですの、わたくしが付いてますわ」
熱を届け、意志を届ける。
すると段々と、凪の体温が上がっていくのを感じる。
「…オーケーですわね?」
「…うん、行こう」
演劇部の発表が終わったことを告げる拍手と共に、裏方が慌ただしくセットを片付ける音が聴こえる。
GOサインを出すのは生徒会長で、反対側のステージ裏から親指を立て、合図をくれる。
…それ、先ほどまでの事は見てないから!みたいな合図じゃありませんこと!?
邪推をしている間に、スポットライトが二人が立つ予定の場所に集中する。
あ、本当にオッケーの合図でしたのね。
胸を撫で下ろすと、凪が少し前に引っ張ってくる。
「海華、行こう、私達のステージに」
「何が行こうですのよ凪…全力で行きますのよ」
手を繋いだまま、ステージに上がる。
スポットライトの眩しさの先には、ステージに立ったことがない自身にとっては大量と、そう思える迫力を持って見つめてくる。
凪の方を見ると、存外大丈夫そうで、なんだか不満を感じる。
…わたくしでリラックスしすぎじゃありませんこと?!
まぁいい、やることは一つだ。
立てられたマイクスタンドに手を添える。
「ふぅ」
大きく息を吐き、気持ちを整える。
凪の方を見れば準備はできたようで、椅子に座りギターを構えている。
…大丈夫ですわね。
凪の目にはしっかりとした火が灯っているような、そんな気がして。
凪に頷きを投げ、返してくる。
凪のギターが静かに、しかし確かに流れ始める。
息を大きく吸い。
「____」
歌う。
リクエストした曲は、弾き語りなどではよくある愛の歌。
けれど、凪は覚えていない。
…ギターの音に誘われて部室を覗いたら、凪が弾き語りしてた曲ですわ。
その声に、弾き語るその姿に、一目ぼれしてしまったのだ。
だから凪にとっては持ちネタの一つだろうけれど、自身にとっては思い入れのある曲。
だから、全力で、凪に伝わるといいなと、そう思いながら。
「伝わるといいね」
貴女の、その素敵な姿が、どこまでも。
□
「あー…最高」
そう呟きながら寝転がる。
「部室最高」
ギターを撫でながらうだうだしていると、扉の方から声がする。
「凪、だらけすぎですの、というかスカートが危ない状態ですわよ」
そう言ってくるのは海華だ。
結果から言えば、私達のライブは大成功だった。
海華のボーカルやビジュアルがハマったのか、ライブが終わった頃には歓声と拍手で迎えられ、生徒会長からは、
「やりましたねお二人共!ステージに裏でいちゃついてたのが勝因ですか!?」
と興奮気味に言われ海華は真っ赤になるし。
先生からの、
「なんだお前らだらだらする部活じゃなかったのか!だったら文化祭頼むわ!」
などと言われたり、何だか課題が増えた気がするが、結果的に二人の場所を守れたのだから幸いだろう。
それに、
「なーぜか新入部員こないんだよねぇ」
「…確かにそうですわね」
まぁ来られても二人の空間が消えるからあんまり嬉しくはないが、いや嬉しい、部費増えるし。
そもそも行ったライブの形式がアコギとボーカルだけの簡素なスタイルだ、軽音部という部活に対してエレキギターなどのゴリゴリと行くスタイルと違ったものを見せたから、というのもあるかもしれない。
とまぁそんな感じで二人の空間は守られ、
「こーしてぐーたらギター触れるんだから幸いだよ」
「文化祭に向けて何曲か仕上げないんですの?」
痛い所を海華が突いてくる。
だが、
「楽器一つしかないし、三曲くらいやるにしたって楽勝でしょ」
「いやそうですけれども…まぁいいですの」
そう言いながら、海華は隣にちょこんと座ってくる。
そんな海華を見て、ふと聞きたいことを思い出す。
一度起き上がり、居住まいを正す。
「そういえば海華さ、聞きたい事あったんだけど」
「なんですの唐突に」
「ライブでやったあの曲、なんであの曲にしたの?」
すると海華は軽く思案し、しかしこちらがときめくような、快活な笑顔で答えてくれる。
「秘密ですの」
「えー教えてくれてもいいじゃん」
「だめですのよ、そんな事よりほら、練習ですのよ練習!」
そう言いながら立ち上がる海華が手を伸ばしてくる。
「…はいはい」
適当な返事をしながら、しかし手を握り、立ち上がる、
あぁ、ほんと、まったく。
手を握る度、海華の声を聞くたび、安心と、幸いが降ってくる。
ライブの時曲のように、私の好きが届きますようにと、いつまでも届きますようにと、そう願いながら私はギターを構える。
さぁ、その声で、ギターの音で。
海を凪ごう。
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