Requiem_cobalt

霜野 結姫

第1話ユミルの記憶・1

 ―――――――あれから、気が遠くなるほどの永い時間を生きてきた。

 地獄の縁から転げ落ち、遂には地獄の底において、六十年ほどを彷徨っていた。

 本物の地獄のような日々だった。

 あの言いようのない渇きと、苦痛から逃れたくて、実に忌まわしい行いをしてきた。

 犠牲になった人たちには、幾ら謝ったところで決して許されぬだろう。

 出来ることなら、命を以って償いたい。

 今すぐ自死することで構わないのなら、そうして解放されたい。

 でも、それはきっと、許されない。

 その程度で解放させはしないと、とある一人の少女に言われたのだ。

 勝手に無意味に自殺されても、死体の処分に困るからやめて、と。

 腐敗した屍骸を放っておくと、伝染病の元だし。

 死ぬなら、あの蠢く群れを一掃してから死んで。

 可愛い顔して、実に辛辣だ。

 だが、その通りだ。

 だから、私は少女の命じたままに、奴らを殺しまくった。

 正体を知っているからこそ、他の者より容易く、より多くを始末できたのだ。

 いつしか私は、最強の男と呼ばれるようになった。

 気がつけば、『騎士団』団長として、戦う者たちを率いていた。

 かつて私がそうであったもの共を、次から次へと駆逐した。

 それが、私の使命であると理解したのだ。

 私は、強く在り続けた。

 同時に、残酷で在り続けた。

 同志を、仲間を、友を、二度とは帰れない死地へと送り込むには、非情である必要があった。

 勿論、私もそれに同行し、前線で戦った。

 しかし、私は決して完璧ではなかった。

 仲間総てを、守り通すのは不可能だった。

 力不足の為に、あまりにも多くの仲間を死なせてしまった。

 しかし、悲しんでばかりもいられない。

 私の使命は、より多く奴らを殺すことだ。

 私が殺せば、皆が生き永らえられると信じて。

 私は、最強だった。

 しかし、この私以上に、奴らの肉を削ぎ落とすのに長けた者がいた。

 あれは、『神の家』と呼ばれた塔における戦闘時であったろうか。

 奴らの猛攻を受け、私たちは大半が死に絶え、残った者も戦意を喪失しているか、瀕死の状態であった。

 私も無傷とはいえず、このままでは夜が明けるより早く、全滅だった。

 全滅とは、死を意味する。

 それも、ただの死ではない。

 ・・・・・・奴らの腹に収まるのだ。

 奴らに、喰われるという意味だ。

 奴らは、人を喰うのだ。

 空腹だからなのか、享楽なのかは不明だ。

 ただ、襲い掛かかり、物凄い力で捕らえ、貪り喰らう。

 死体は残らないか、残っても酷い有様だ。

 到底正視するに堪えない。

 この私だって、何度吐き気に襲われたか。

 本当に忌まわしい。

 そう思いながらも、私にはもう、何の手も残っていないことを悟った。

 一人では、もう。

 喰われて死ぬだけ。

 諦めた私と、私を喰おうとする奴との間に、ふっと影が差したのはその時だ。

 一人の少女が、立ち塞がった。

 それも、小さな小さな少女だった。

 年端も行かぬとは、このことを言う。

 どう見積もっても、十歳前後でしかない。

 まだ完全に幼さの抜け切れていない少女が、刃を手に立ち塞がっていた。

 しかも、全く奴らを・・・・・・化け物を恐れている様子がない。

 逃げ遅れたか、見捨てられた憐れな娘かと思ったが、そうではないらしかった。

 少女は、自らの身の丈ほども長さのある刃を、その化け物に向けた。

 そして、こう叫んだ。

「かかって来るがいい、『邪神』ども!一匹残らず、駆逐してやる!!」

 そうして、その宣言どおりに、一瞬で少女は化け物を殺した。

 実に見事な技であった。

 私が圧倒されたのは、少女の強さではない。

 勿論、それもある。

 しかし、それだけではない。

 少女は、残虐だった。

 化け物のことに関しては。

 たとえ泣き叫ぼうが、悲痛な声を上げようが、時に人間の理解できる言葉を発しようが。

「そうか。だからどうした?」

 と言って、殺した。

 代わりに、仲間である兵士たちには、驚くくらいに優しかった。

 天使か何かのようだった。

 更に、少女はとても可愛らしかった。

 滅多にお目にかかれない、美少女だった。

 そういう美少女が、化け物を残虐なやり方で殺す。

 その凶悪な殺戮マシーンぶりは、人間のレベルを超えていた。

 可愛く可憐だが、世にも恐ろしい殺戮者。

 間違いなく世界最凶は、彼女なのだろう。

 そう呼ばれても、否定すらしなかった。

「それは大いに結構。もっともっと、更に殺したくなった」

 そんな物騒なことを言い、どう見ても愛らしく笑うのだった。

 少女はとても強く、明らかに人類の枠から飛び出していた。

 しかも、己の到底常人というものを超えた、戦闘力の高さの自覚がない。

 視覚、聴覚、触覚、嗅覚には優れているが、やや味覚が変わっていて、食べ物に好き嫌いは一切ない。

 痛覚は人並みにあるのかどうかまでは、見ているだけでは分からなかった。

 しかし、これだけは言える。

 少女は、自らの痛みには無頓着だが、他人のそれには非常に敏感であった。

 この可憐な美少女は、世界の為に戦う者たちの最大の理解者となった。

 戦う者たち。

 それは、世界を守る為に、未来を取り戻す為に、死を恐れず『邪神』に挑み続けることを選んだ、勇士たちだ。

 だが、そんな彼らであっても、最期の瞬間は、恐怖に打ちひしがれ、己を保てず、泣き、命を惜しむ。

 死にたくないと叫ぶのだ。

 生きながら『邪神』に喰われるなど、どれだけ強靭な精神力を以ってしても、堪えられる筈がない。

 辛うじて生き延びた者たちも、仲間の惨たらしい最期を目の当たりにして、正気でいられなくなる。

 けれど、逃げ場なんてこの世にはもう、何処にもない。

『邪神』に喰われるのを、ただ待つか。

 戦い、果て、喰われて死ぬまで戦うか。

 人間には、その二択しかない。

 空の下に生まれ落ち、穢れた大地と共に生きる人間には、他の道はない。

 空の上の巨大樹、或いは巨城に住まうことを許された特別な存在でない限り。

 地上の者は、『天空人』の財産を平穏を守る為の、『悪魔』へ与えられる餌なのだ。

 民間人も、兵士も、皆同様に、選ばれた尊い存在が生き残る為に、利用されるのが当然なのだ。

 だから、連中は遥かな高みから、地上を見下している。

 数多の屍と犠牲の上に生かされていることを、恥とも思わず、自らが神であると疑うこともせず。

 半目をむいて、偉ぶっている。

 そんな世界を守ることは、とてもとても虚しい。

 そんなことの為に命を張り、総てを懸ける。

 すぐ真横で、さっきまで一緒だった仲間が倒され、生きながら喰われる。

 何て異様な光景だろう。

 そんな世界は正しくない。

 正しくない、嫌だと思うのに、どうにもならない。

 次の瞬間には、自分も同じ様に喰われ死ぬからだ。

 成す術なく、上げた声も届かず。

 もうどれくらいの勇気ある者たちが、犠牲となってきただろう。

 そして、あとどれくらい、彼らと同じ志を持つ勇士たちを失うのだろう。

 死んで英雄と、呼ばせたくない。

 奇跡のように美しい少女が、綺麗な声で呟く。

 もう誰一人として、死なせはしない。

「ぼくが、絶対、必ず、護り抜いてみせる」

 戦い抜いてみせる。

 勇士たちだけを死地へ赴かせなどしない。

「命尽きるまで、首一つになったって、ぼくが奴らを駆逐してやる。一匹残らずだ!」

『邪神』と戦い、犠牲になった数多の勇士たちを讃え、その勇気ある死を嘆くのは後にする。

 少女は語る。

 一刻も早く、奴らを皆殺しにしなくてはならない。

 勇士たちが感じた恐怖以上のものを与え、もっともっと残酷に惨たらしく、『邪神』を殺すのだ。

 この手で一匹残らず殺さなくては、気が済まない。

「ぼく自身の手で、皆の仇を取る!」

 次は奴らの番なのだ、と。

 いつ襲い掛かられ、生きたまま頭から足から喰われ、殺されるかもしれないという恐怖を味わうのは。

 命を乞われても、許しはしない。

 もっともっと、苦しめて苦しめて、泣き叫んで、正気を失って、体が腐敗したって、それをやめたりしない。

 何故なら、『邪神』どもがどんな風に死んだのかを、奴らが喰い殺した勇士たちに報告しなくてはならないからだ。

 考えられるだけの苦痛を与え、これ以上にないほどの残虐に殺戮。

 それが、この少女の反撃の誓いと刃。

「ぼくは、もう聖女ではない」

 聖女もまた、聖女の烙印を自ら焼ききった。

 美しく清らかである為の、聖女の足枷を引き千切った。

「たった今より、ぼくは神に、天に、反旗を翻す!」

 もう祈ることはしない。

 無慈悲な神々には、決して縋らない。

 神が助けてくれないのなら、少女自身がやるしかない。

 古くて邪悪な『神』も、『天空人』も、『邪神』と同様に、皆殺しだ。

 可愛く可憐な、細い肩の華奢な少女を、怒りと憎しみを燃え滾らせた復讐の鬼に、そして真なる神に変えた。

 その壮絶で凄絶な、悲惨な過去を知る者は、もう何処にもいない。

 既に、誰もいない・・・・・・。

 少女の名は、●●心●と言った。

 真なる神を継ぐ者として存在する『神子』。

 しかし、私を含め、同志たちは皆、少女を一人の人間として扱った。

 親愛を込めて、決して神様だからと崇めたり拝んだりはしなかった。

 少女は美しく、私たちの実質的指導者であり、女王でもあった。

 そう呼ばれるのも、その様に扱われるのも好まなかったので、出来るだけ普通に接するよう心がけたのだ。

 しかし、対外的にはそうとはいかず、私たちの代表ということに落ち着いた。

 私たちの王女様だ。

 誰よりも多くの化け物を殺し、名を馳せたけれど。

 大切な大切な、王女様だった。

 星の海に花を咲かせる少女。

 私たちの希望であり、暁の光だ――――――――。

(●部分は、インクが滲み読み取れなかった)

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