女装男子とTS娘の恋愛はホモに含まれますか?

神坂 理樹人

プロローグ

幼馴染が女の子になったときの正しい反応

 朝目覚めると、わたしは姿見の前でパジャマを脱ぐ。


 一糸まとわぬわたしの姿が嘘偽りなく映し出されている。


 はっきりとした肩のライン、くびれのないウエスト、張りだした腰骨。角ばった肘と膝。隠し切れないのどぼとけ。


 わたしはわたしの体が大嫌い。


 その体を鏡に反射して、カメラで一枚。また誰にも見せられない写真がわたしのスマホの中に増えていく。


 顔を出したばかりの朝日を迎え入れるためにカーテンを開けて、部屋の中が太陽の光で照らされる。夏の気配が少しずつ近づいてきた空気はどこか重く感じられた。


 ひとりぼっちの部屋の中は誰の目も届かないせいで散らかり放題になっている。次の週末にはきっと片付ける、と思う。


 長い黒髪にくしを通して二つに分けてまとめ上げる。制服に袖を通して、はいたスカートをウエストで二回折り込んだ。


「ねむ。でもやらなきゃ外になんて出られないわ」


 まずは体操をして体をほぐす。それから二の腕のマッサージ。顔を洗って化粧水でスキンケア。それからレンジにカットした野菜を入れた蒸し器をお願いしておく。朝はやることが多いけど、毎日の努力は嫌いじゃない。


「ちょっとでもきれいになるために」


 きれいは日々の努力から。それはただの気休めかもしれないけど、やらないよりもやったほうがいいことは間違いないと思っていた。


 電話が鳴る。こんな朝からいったい何の用事だろ。わたしはいわゆるインフルエンサーってやつで、SNSで美容やエステなんかの広告塔の仕事をもらったりしている。会社としては使いやすいんだろう。


 男のわたしがここまできれいになれるんだから女の子はもっときれいになれる。そんなことを言われているような気がして、少しだけ心が痛んだ。


 新しい商品の宣伝か、それともモデルか。どっちにしてもこんな非常識な時間にかけてくるなんてろくな話じゃないんだろう。


「伊織! 緊急事態だよ!」


 電話の向こうで慌てた声を上げていたのは渡会千尋わたらいちひろだった。


 小学校からの付き合いで、わたしの数少ない友達でもある。こんなわたしを他のみんなと同じように扱ってくれる人は周囲にはあまりいなかった。千尋はそんなわたしに何も言わず、変わらずずっと仲良くしてくれている。


 たぶん少し似たところがあるからだろう。千尋は望んでいないのに高校生になっても女の子みたいだと言われることが多いから。


「いったい何? 千尋? 淳一じゅんいちがさっそく彼女と別れた?」


「そんなわけないでしょ! と、とにかく家まで来て。このままだと殺されちゃうよ!」


「殺されそうならわたしに電話なんてかけられないでしょ。朝ごはん食べたら行くわ」


 少しすねたような千尋の声が漏れたのも気にせず、私は完成を告げたレンジの中身を取り出した。


「おはようございまーす」


「あ、来た! 伊織、遅いよ!」


「登校時間考えたら十分早いでしょ。って、千尋どうしたのよ!?」


「だから緊急事態だって言ったじゃん!」


 パジャマのまま玄関から飛び出してきた千尋の姿をまじまじと見る。ぱっと見ただけじゃいつもと変わらない。たぶんクラスの子でも気がつかないくらいの変化だけど、ずっと千尋といたわたしにはわかる。


 少し丸みが増した頬、柔らかそうな二の腕。涙で潤んだまんまるな瞳。


 私が欲しくて欲しくてしかたのないもの。願っても手に入らないはずのもの。


「なんで女の子になってるの?」


「僕が聞きたいよ、そんなこと! 朝起きたらこうなってたの!」


「こういうときどうすればいいの? 病院? それともすごい博士がいそうな大学とか?」


 元から女の子と間違えるくらいにはかわいかったけど、だからって本当に女の子になるなんて。やっぱり見間違えかもしれない、そう思って混乱した頭を振ってもう一度、千尋の姿をまじまじと見た。


 その視界が目の前に迫った千尋の顔でさえぎられた。


「い、お、り、ちゃん」


 キーの上がった甘酸っぱい千尋の声。とろりと妖艶ようえんに見つめる眼差し。こんな表情、わたしは一度も見たことがなかった。


「な、なに?」


「伊織ちゃんってきれいな髪してるよね。ほっぺも柔らかくて、女の子より女の子だよね」


「女の子になった千尋に言われてもね」


「ふふふ、かーわいい」


「なんか千尋変よ? もしかしてそこらに落ちてるもの拾って食べたんじゃないの?」


 それで女の子になれるならわたしだって。


「って、どこに手を入れてるのよ! 変態千尋!」


 わたしのスカートに千尋の手がするすると入っていく。手慣れた動きが怖い。あの千尋がいつもこんなことやってるとは思わないけど、本当に何が起こってるのか。


「とりあえず一発。そろそろ目を覚ましなさい!」


 わたしの頬に顔を擦りつけてくる千尋の後頭部にげんこつを落とす。細腕だからってなめてもらっちゃ困るわ。鍛えてないと細い腕はキープできないんだから。


「あれ、伊織?」


「そうよ。千尋が呼んだの。覚えてる?」


「そうだ! 朝起きたらなんでか体が女の子になってて」


「さっきのこと覚えてないの?」


 わたしの質問に千尋はキョトンとした顔で首をかしげる。嘘をつくのは上手じゃない。本当にわかってなさそうだ。


「僕、何かしたの? 伊織が嫌なことだったらゴメンね」


「……覚えてないならいいわ。千尋だし」


 他の男だったら絶対に許さないけど千尋ならいいわ。今の千尋は女の子だけど。


「とりあえず中に入れてくれる? パジャマで騒いでるの恥ずかしくない?」


「あ、うん。でも中にお父さんがいて」


「おじさんなら何度も会ってるじゃない。何をいまさら」


「そうだよね。伊織ならうちのお父さんが変なのくらいわかってるよね」


 まだ少しだけ表情の曇った千尋に続いて通い慣れた千尋の家にあがる。それと同時におじさんがリビングから駆け出してきた。


「おい、千尋。まだ話は終わってないぞ」


「嫌だって言ってるじゃない」


 千尋は私の背中にまたぴったりとくっつく。その手の動きがまた怪しくなったのを察して、わたしは後ろ手に千尋の太ももをつねった。


「あぁ、伊織ちゃんだったのか。おはよう」


「おじさん、千尋はどうしたんですか?」


「いやぁ。人間の性転換なんて初めて見たよ。こんな現象が起きるなんてね。でも魚類にはよくあることだから。女の子になってもこれからも千尋をよろしく」


「よくあることって、千尋は魚じゃないんですけど」


 千尋の両親は二人揃って海洋学者で、魚の生態について研究している。近所でも有名な変わり者として知られている。 


 研究者としては一流なんだけど、おおらかすぎるというか周囲の変化に無頓着むとんちゃくというか。千尋も元々女の子みたいな容姿だから周りから浮いていることも多かったのに、全然気にした様子もなかった。


「でも息子が娘になってもこんなに平常心でいられるなんてね。羨ましいわ」


「欲しい?」


「遠慮しとくわ」


 千尋の家のリビングは相変わらず必要なものだけが置いてあって、ちょっとだけ寂しい雰囲気がある。誰も家の装飾に興味がないからこうなるんだろうけど、花のひとつも飾ってあげればいいのに。


 パジャマのままの千尋はわたしが来て少し落ち着いたみたい。マグカップに注いだココアを両手で持ってちびちびと飲み進めている。自分の家なのに背中を丸めて怯えた様子の理由はおじさんらしかった。


「お父さん、絶対僕を解剖して標本にして大学に寄贈するつもりだよ」


「さすがにそんなにひどいことはしないでしょ」


「なんで伊織はそんなに冷静なんだよぉ」


「千尋がわたしの分までわちゃわちゃしてくれるからね。あ、せっかくだし一枚撮っておこうか」


 スマホを取り出して頬を膨らませている千尋の写真を撮る。千尋さえよければSNSに一緒に載せるんだけど、本人は嫌みたいだからしょうがないわね。かわいい男の子って意外といろんなところから需要があるのよ。


「まぁまぁ。魚類は種の生存のためにオスあるいはメスだけの集団になったとき、そのうちの一匹が性転換を起こして有精卵を作ろうとする。千尋は彼女もいないし、女っ気も少ないみたいだし、女の子みたいだし。種の生存のために性転換した可能性がある」


「いや、ないよ。僕は魚類じゃないんだから。っていうか自分の息子がモテないって言わないでよ」


「まぁ、モテないのは事実よね」


 かわいいってもてはやされてはいるけど、恋愛の対象には見られてないって感じ。それはわたしも同じ話なんだけどね。


「わかった! じゃあ僕は今日からモテる男になるから! 絶対に!」


「そもそも今女の子になったばかりじゃない」


「だからモテれば男に戻れるんでしょ! 可能性があるならやるに決まってるよ」


「はいはい。頑張ってね」


「ちょっと。伊織も協力してよ」


 それよりも気になることがある。あの妖艶な雰囲気をまとった千尋のこと。本人は全然覚えてないみたいだけど、これも性転換の影響なのかしら。


 とにかくなんだかちょっと大変なことになりそうね。涙目になってわたしを睨みつけているかわいい千尋の顔をもう一枚撮りながら、これから登校しなきゃいけない事実から目を逸らしたくなった。

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