Ep.156 馬鹿にするな ❲エドガー・シュヴァルツ❳

 あのはた迷惑なキャロル・リヴァーレのやらかしもどうにか解決し、妹は理由はわからないが元気になった。異常気象はまだ解決してないが、この島は一度本国に返納され正式に調査が入るからと。島の人々や祖父には新たな住処を手配するとライト殿下が書状も出して正式に約束してくださったし、正直、油断していた。


 フローラ様を初め、大自然の力を覆して見せた皆様の活躍を興奮冷めやらぬ口調で語る妹が可愛くて、元気な姿が嬉しくて。

 だから、そのまま一緒に寝落ちた翌朝に、その大事な人すべてが一様に消えてしまうだなんて、考えもしなかったのだ。


「何故ですかお祖父様!例え家督を譲ったとは言え貴方は王家の忠臣だった!昨日の出来事で、かの方がフェニックスの未来を担うのに相応しいお力の持ち主だと認めていらしたでしょう。なのに何故……!」


 魔導省なんて狂った組織に、よりによってあの人を渡してしまったのか。ライト様が幼き日、あの組織に何をされたかはお祖父様も聞き及んで居た筈だと睨み付ければ、『だからこそ』だと答えが返ってくる。


「我等シュヴァルツ家は本来、王家の意思を表に裏に、徹して支える懐刀。何が起きようとも、信じて待ちなさい」


「……っ、意味がわかりません!」


 王家の刃となるなら、尚更身をとしてでも主を守るべきだったのではないか。何か策があってのことなら、一言くらい話してくれても良かったんじゃないのか。


「こんな、『お前は何も心配せず妹にずっとついててやれ』なんて置き手紙貰ったって、役立たずだって言われてるみたいにしか思えませんよ殿下……!」


 エミリーは、朝起きたら冷たくなっていた。

 死んでは居ない、身体は生きてる。しかし、魂が目覚めない。


 既に医師は先に本土に返してしまったし、友人二人は保護されたがキャロル・リヴァーレは行方知れずのまま。フローラ先輩は、昨晩何者かに拐われ消えた。更に屋敷は、魔導省統括のエリオットに指示されフローラを捕らえに来た奴等に囲まれている。万事休すだ。


「もう嫌だ。誰か、助けてくれよ……!」


 やっと、やっと、少し希望が見えてきたと思ったのに。目覚めない妹と厄介払いのように『次の迎えの船が来るまで』と押し込まれた寝室で、思わずこぼれた独り言。それに、背後から返事が返ってきた。


「いいわよ」


「ーっ!?お前は、マリン・クロスフィード……!」


 聖霊の巫女選定の義で騒ぎを起こし、連行中に船の転覆で消えた筈の悪女。頬に触れたその手は、温かかった。


「可哀想に。貴方は用が済んだから、あの悪役王女に捨てられちゃったのよ。もう助からないわ」


 『正しい運命通りなら、私が助けてあげられたのに』との囁きに、目を見開く。


「それは、どういうことだ……?」


「やっぱり知らないわよね……。ノアール!彼に”正しい運命“を見せてあげなさい」


「畏まりました、真の聖霊の巫女よ」


 『失礼』と、しゅるんと目元に巻き付いてきた黒猫の尻尾から流れ込んできた魔力が、走馬灯のように様々な“未来”を俺に見せた。


 目の前を流れていく数多の道筋のどれもが目の前の少女とかの国の皇子達との恋物語であり、同級生の令嬢達の間に流行しているロマンス小説とやらを映像にしたような甘美な世界。そんな中で、誰もに愛されたそんな少女に鋭利な眼差しを向けている者がひとり。水の国の皇女、フローラその人であった。


 どの道筋にも必ず立ちはだかり、冷酷な態度で皇子と彼女の立ち居振舞いを酷評しながらマリンが聖霊の巫女となるのを阻止して。マリンを傷つけ、皇子達を傷つけ、そして誰より己自身を壊し尽くして、自らの手で終焉を迎えていく。その凄惨で哀れな皇女が、世界に絶望していた“未来”の自分に囁いた。

 『私と一緒に、この世界に一矢報いましょう』と。そして、差し出された手を取った。それが、間違いだった。






 映像が途切れ途切れで詳細はわからない。しかし、このままフローラと歩んではいけないと気づいたときには遅かった。


 全てを失くした自分を見下ろし、弧を描いた悪役皇女に背筋が粟立った瞬間、気づけば辺りは元の屋敷の寝室になっていた。


「どう?これでよくわかったでしょう。あの女は本物の聖霊の巫女じゃないの。貴方達は騙されてるのよ」


 ぐったりとうつむいたまま何も言わない自分に、マリンが白々しいほど優しげに囁く。


「でもまだ間に合うわ。私が妹とあんたを助けてあげる。その代わりに、先にフローラから指輪を取り返して来て欲しいの」


 これで、この男は自分の手駒になると、確信した女の猫なで声に、無意識に鼻が鳴った。財や地位を食い荒らすため、父や兄にすり寄ってくる奴等と同じだ。反吐が出ると。


「お断りだね」


「……何ですって?」


 マリンの表情が怒りに歪むが知ったことか。


 いつだったか、どんな小さな助けの声も見落とさないようにしたいと、フローラが笑ったことを。そんな彼女の姿を己の目で見て来いと、ライトが背を押してくれたことの意味を、やっと理解した。


 本当に追い詰められたその時、何を信じるかを違わないためには、たくさんの物を見ておかねばならないと言う教え。まさに今が、その時だった。


「“あれ”は、俺が知ってるあの人達じゃない!こんな辺鄙な場所までたった一人の声だけで来てくれた人達が、たかだか己の嫉妬や恋慕にかまけて世界を苦しめる真似をするものか」


 ぎっと、睨み上げた視線がマリンを射貫く。


「あんたが何をしたか、殿下達から聞いてるよ。どんなに苦境だろうが、平気で人を食い物にする奴の手にすがって大事な物を自ら傷つける真似はしない。馬鹿にするな……!」


「ーー……ちょっとノアール、どういうことよ」


 舌打ちしたマリンに睨まれ、黒猫が困り眉でモノクルを押し上げた。


「おやおやおや……少々お迎えに上がるのが遅かったですかな。なに、ご心配には及びません。私にお任せ下さいませ」


「は?……っ、うわぁぁぁぁっ!?」


 もぞりと蠢いた黒猫が、一瞬で膨らみ部屋を覆い尽くす。

 あんぐり開いたその口が、シュヴァルツ兄妹を呑み込み消えた。


    ~Ep.156 馬鹿にするな ❲エドガー・シュヴァルツ❳~


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