Ep.123 聖女のお菓子
学院の図書館にある蔵書は元より優れた見識を持つ教授陣が生徒達の為に厳選した幾多もの分類の専門書に加え、教会や各王家、高位貴族の家から贈呈された希少なものが数多く揃えられている。
……けれど、日曜日の早朝から入り浸ってあらゆる歴史書を読み漁ってみたが、聖霊に関する記載がある書物はただのひとつとして見当たらなかった。あったのは唯一、以前
(そもそも聖霊の存在自体が大陸全土で秘匿とされていたようだし、そう簡単には資料なんて見つからないか……)
とりあえず、『リヴァーレ王国伝』,『虹の聖女と女神伝説』,『リヴァーレ国土調査地図』と言う3タイトルの本を借りて帰宅する。図書室を出たら、丁度可愛い黄色の蝶々がまたひらりと空に舞い上がっていくのが見えた。
「んーっ、やっぱ収穫ないなぁ……」
「こんな夜分まで読み物ですか?寝不足は女性と子供の大敵ですよ」
その晩、遅くまで借りてきた三冊からなけなしの情報を集めようと読み漁っていた私の前に、ハイネがあきれ顔でお気に入りのマグカップを置いた。手に取ると、柔らかな甘い湯気と丁度よい温度に指先から温まる。ひとくち含めば、カカオの良い香りにほっと力が抜けた。
「ありがとうハイネ、美味しいよ」
「それは何よりですが、一体何をお調べに……ーっ!」
机に開いていたそれの題名を見たハイネが一瞬、固まった。どうかしたのかしら……。
「ハイネ、どうかし……」
「ーーひ……」
「ひ?」
「姫様が、四大国でない余所様の国のお勉強をしていらっしゃる……!?」
心配になって声をかけようとしたのに、あんまりなその物言いにショックで突っ伏してしまう私。当のハイネは私から一通りキャロルちゃんや昨日あった出来事の説明を聞き終えるなり、『何にせよ、あまり根を詰めすぎてはなりませんよ』と淡々と言い残して退室していった。
「つ、作りすぎちゃった……!」
翌日。ストレス発散に学院の厨房をお借りしまして久々にお菓子を作ったのはよかったものの、溜まっていたストレスの反動か……集中しすぎて気がついたら部屋中がお菓子で溢れかえっておりました。どうしよう、これ……!
(梱包は済んでるからいつもの孤児院に配って貰う?いやいや、本土に出る便昨日出たばっかりだから次は来週だよ。痛むよ。でも流石にいつものメンバーだけで食べるには多いなぁ……!)
カリカリ、サクサク……と軽快なリズムをBGMにうだうだ悩む私。って、ん?
『みこさまのおかしおいしいー』
『おいしいねー』
『ねーっ』と、大合唱のように響いた同意の声と共に、私が悩んでいる間におかし達は8割近く妖精達のお腹におさまっていた。いつの間に……。まぁいいや、何にせよ助かったし、喜んでくれてるなら何より。
「よし、量も手頃になったし、残りはいつも通り皆と食べよっかな」
『おいしいよー、ひとつどーぞ!』
「ん?」
甘い香りに誘われたのか、いつの間にか窓辺に留まっていたオレンジ色の蝶々に妖精の一人がクッキーを差し出している。ふふ、かーわいい。でも流石に蝶々はクッキーは……と見守っていたら、律儀にも蝶々は器用にクッキーを受け取り飛び立っていった。ヨタヨタしてるけど大丈夫かな……。
「あら!フローラちゃん?」
「ーっ!キャロル様!どうされました?本日は日曜日ですが……」
「この間あんまり校内を案内して貰えなかったから、ちょっとお散歩していたの。フローラちゃんは?」
「あ、私は……」
答えるより先に私の肩越しになかを覗き込んだキャロルちゃんが、机に並ぶ手作りおかし達を見て目を輝かせた。
「まぁ、お菓子を作ってたのね!美味しそう!頂いても良いかしら?」
「えぇ、趣味ですの。宜しければぜひ召し上がってください」
「ありがとう!実は私もお菓子作りが得意なの。今度お礼に何か作ってくるわね!」
「え?いえ、お気遣いなくー……って、行っちゃった」
クッキーの包みを受けとり嬉しそうに顔を綻ばせたキャロルちゃんは、『楽しみにしててーっ!』と言い残して走り去っていった。そして、その晩。
「姫様、夜分に申し訳ございません。キャロル・リヴァーレ様が姫様に贈り物がしたいとお越しですが如何いたしましょう」
「……行動早いなー」
「ふぁぁ、こんな遅くに誰?非常識だなー……」
「あぁ、ごめんねブラン。寝てていいのよ」
もう退勤直前の時刻にハイネが神妙にキャロルちゃんの来訪を告げてきた。苦笑しながらもベッドから起き上がり、人前に出れる位には身なりを整え。ハイネには申し訳ないけど立ち会いをお願いする。
「きっと昼間に約束した件でお見えになったのね。お相手するから、申し訳ないのだけど立ち会いだけお願い出来る?」
「畏まりました。では、中へご案内致します」
嫌な顔ひとつせずに扉に向かったハイネが、唐突な来訪者を丁重に迎え入れる。出迎えにそちらに歩みよった私を見て、キャロルちゃんは無邪気に笑った。
「ここがフローラちゃんのお部屋なのね、可愛らしくて素敵だわ!あ、そうそう。昼間のお礼のお菓子を早速持ってきたの。ぜひ食べてね!」
「ありがとうございます。明日頂きますね」
色とりどりのリボンが巻かれた包みを受け取りながら答えれば、何故か不服げな表情になるキャロルちゃん。『すぐに食べてくれないの?』って、いやいや、もう11時だから間食は流石に……。何て言って説明しよう?
「お預かり致します」
「ハイネ!」
「あっ!何するの!それはフローラちゃんのよ!」
「はい、フローラ皇女殿下への贈り物、わたくし専属侍女であるハイネがしかと賜りました。皇女殿下への贈り物の食品は皆、わたくし共が最適な対処をし、最善の状態で主に召し上がっていただくのが基本。ゆえに、一度わたくしが受けとることをどうかご容赦くださいませ」
「……そう、わかったわ。仕方ないわね。じゃあ、明日の校内案内の時にでも感想聞かせてね!」
淡々と、至極丁寧にハイネが述べた内容にどうにか納得してくれたキャロルちゃんは、最後まで元気一杯で帰っていった。ほっとしつつ、毒見用の魔石でお菓子に異常が無いか確認しているハイネに振り返る。
「ありがとうハイネ、助かったわ」
「これぐらい造作もないことです。それより、異常なものは混入されていないようですが……こちらはどうなさいますか?」
ハイネの右手にちょんと乗ったその包みを受け取り、ベッド脇のテーブルに乗せる。
「食べて大丈夫そうなら問題ないし、明日の朝頂くわ。ありがとうハイネ、おやすみなさい」
「畏まりました。では、失礼致します」
キャロルちゃんがくれたお菓子は、小さな銀紙のカップに流し入れられ上にアラザンが飾られたチョコレートだった。小学生のバレンタインなんかでお馴染みのあれである。
そっと銀紙をはがし、一粒を指先でつまんだ瞬間。掴んだはずのチョコレートがパッと消えた。犯人はわかりきっているので、窓際に飾られた花瓶の花のなかを覗きこむ。
「こーら、イタズラしちゃ駄目でしょう?」
『いたずらじゃないもん!』
『これはたべちゃダメなんだもん!』
「あら、どうして?ただのお菓子よ。みんなもお菓子、好きでしょう?」
小さな子に言い聞かせるように優しくそう諭せば、チョコレートを抱えた妖精達はブンブンと首を横に振った。
『ぼくたちが好きなのはみこさまのおかし!』
『みこさまのまりょくはあまくてふわふわ~、でもそいつのまりょくはニガイ!とげとげ!おいしくない!』
『おねがいみこさま、たべないで!』
「あらあら、困っちゃったな……」
小さな身体で必死に訴えてくる妖精達は、完全にキャロルちゃんを敵として認識しているようだ。困り果てていると、騒ぎで起きてきたブランが、私から取り上げたチョコレートを抱えていた妖精を甘噛みでひょいと咥え、持ち上げた。
「 もー、うるさいなぁ。目が覚めちゃったよ。みんなの言い分はわかったから、とりあえず今は一旦解散。さ、帰った帰った」
「あっ!こら、危ないでしょ!」
「大丈夫だよ、妖精だから」
ぽーいと咥えてたその子をブランが窓から放り出す。それを受けた妖精達は、自分たちより高位であるブランの言葉に従い渋々解散していった。
最後のひとりまで皆、『たべちゃダメだからね!』と念押しをして。
机の上にコロンと取り残されたチョコレートを拾えば、なんとも言えない溜め息がこぼれた。
「どうしてあの子達、あんなにもキャロルちゃんを目の敵にするのかしら……」
「それ、例の違う作品のヒロインが作ったお菓子?」
「うん、そうだよ。ただのチョコレートだけど……」
そう答えるなり、ブランはぱくりとチョコレートにかじりついた。渋い顔で呑み込んで、納得したように毛繕いをしながらブランが説明を始める。
「わかった。魔力の質の問題だね」
「魔力の、質……?」
「そう」
攻撃力、防御力、持久力……魔力の特性は色々あれど、それらは鍛練である程度増幅が可能。でも、魔力そのものの質だけは違う。それは……
「言ってしまえば、魔力の質は持ち主の魂の波長そのもの。ひとりとして同じ波長をもつ者は居ない。そしてフローラの波長は、聖霊王様達に限りなく近いんだ」
種族のランクを問わず、聖霊達は王の魔力から恩恵を受けて生きている。だから、王に近い私の魔力は、妖精達には美味に感じると言う訳らしい。なるほど。
「魔力の質は魂の質。そして聖なる力の有無は、その波長にあわせてはじめから適正が決められてる。フローラが癒しの魔法を使えるのは指輪の力じゃなく、君自身の中に力の源が根付いているからだ」
でも、と。ブランはしっぽでキャロルちゃんがくれたチョコレートの包みを叩いた。
「このチョコレートに込められた魔力は、ひどくいびつだ。元の質もよくなさそうな上に、何か強大な別の力で歪められてて元の形なんかわかりやしない。だからとげとげしていて、苦い。妖精達が嫌がる訳だよ。こんな子に聖霊が力を与えるもんか」
『その子、本当に聖女なの?』
そのブランの問いには、答える材料をまだ私は持たない。代わりに、一番小さなチョコレートをつまみ上げ、ほんの少しだけ噛ってみる。感想聞かせるって、約束しちゃったからね。
キャロルちゃんがどんな子であったにせよ、せっかく作ったお菓子がひとくちも食べてもらえないだなんて、私だったらすごく悲しいもの。
(……っ!本当に苦い……!)
ただの溶かして固め直したチョコレートだ。その筈なのに、いつまでも口に残るような苦みが、この先に小さな不安を過らせるような気がした。
~Ep.123 聖女のお菓子~
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