Ep.33 弾ける水泡の先で

「おはようございますフライ様!本日は冷えますので、紅茶に生姜とはちみつを入れてみました!」


「あー……はいはい、ありがとう」


 フライ皇子の部屋に毎朝お邪魔するようになって一週間、すっかり慣れたのか、はたまた諦めたのか、縛らなくても逃げなくなったフライ皇子に今日も寝覚めの紅茶を渡す。まぁ手足を縛ったところで結局風の魔法でリボンを切られちゃうから意味なかったし。風って意外と便利なのね。

 紅茶の蒸らし時間とかが暇なので持参した授業の予習ノートを机に置いてから朝食の支度に取り掛かる私の後ろで、フライ皇子がため息を溢した。


「……はぁ、君も飽きないよね。もう10日目だけど、毎朝毎朝違う朝食とお菓子持ってきてさ」


「あら、飽きたりしませんよ?最近はお菓子だけじゃなく朝食もしっかり召し上がって頂けて嬉しいですし」


 最初の数日様子を見てて、フライ皇子が朝食を食べないのは胃がちょっと弱いのかな?と気づいたので、朝食のメニューを消化のよさそうなものに変えたのだ。初めは渋ってたものの、朝食を食べてお菓子を受けとれば私が帰ると学習したフライ皇子は、今日も諦めた様子でポトフを口に運ぶ。


「大体、一国の皇女がなんでこんなに料理出来るんだよ、もう……!毎日毎日押し掛けられてうんざりしてるって言ってるのに、うちの使用人達はどうして君に協力的なんだ!」


「いいじゃないですか、朝ごはんをちゃんと食べるのは良い事ですよ!」


「あぁ、そうだね。君が毎日毎日決まった時間に押し掛けてくるお陰でその時間には目が覚めるようになってしまったし、今まで食べなかった朝食を摂るようになったら貧血気味だったのが随分と回復しちゃったしね!」


「なんだ、いいことずくめじゃないですか!」


「いいことずくめだから迷惑してるって言っても周りが聞いてくれなくて僕は困ってるんだけど!?」


「それは、周りの人達がフライ様が健康になるのが嬉しいからですよ」


「……っ!」


 『ですよね』と壁に控えていた執事さんに同意を求めると、バシッと固めた白髪に左目のモノクルがダンディーなその執事さんは優しく微笑んで頷いてくれた。その表情を見たフライ皇子は勢いが削がれたのか、食べ終えた朝食の皿を力なくトレーに戻す。


「……っ、もういいよ。それよりほら、今日のお菓子置いてさっさと部屋に戻りなよ。今日は平日なんだし、遅刻するよ。只でさえ魔力皆無の駄目皇女なのに、生活態度で減点なんて洒落にならないんじゃない」


 ため息まじりに片手をヒラヒラさせつつも、私の遅刻を心配するような言葉を口にするフライ皇子。ゲームでは腹黒だったけど、実際にはただのツンデレなんじゃないかな?と最近思う。言ったら確実に関係が振り出しに戻りそうだから言わないけど。


「はい、じゃあご希望にお答えして、今日のお菓子はパウンドケーキです!明日は何が良いですか?」


「そうだね、別に菓子を希望した記憶は全く持って無いけれど、強いて言うならそろそろ君の辞書に『この部屋に来ない』と言う選択肢が現れることを希望したいかな」


「じゃあ明日からは教室にしましょうか?」


「……いや、このままでいい。周りにこの状況を知られるくらいならまだ自室に来られた方がマシだ……!」


「でしょう?こんな早朝からわがままを言うものじゃありませんわよ」


「一日の始まり位他人に介入されずに優雅に過ごしたいと言う僕の願望はそんなに我が儘な事かな……!」


 そんな落胆した呟きと同時に、8時を知らせる鐘が鳴る。


「じゃあ私は帰りますね、フライ様、また学院で!」


「……ちょっと待った」


「え?」


 扉に手をかけた私を、不意にフライ皇子が呼び止めた。なんだろ、いつもなら帰ろうとした時点で心底安心したようにため息をつきつつさっさと行けって手で追い払う仕草するのに。

 首を傾げる私を、腕を組ながら壁にもたれ掛かるフライ皇子が何か言いたそうに見ている。その視線は、この後立ち寄って渡す用のライト達の分が入ったお菓子用バスケットに向いている。どうしたの?足りなかった……わけないよね、フライ皇子少食だもん。


「君さ、ずっと思ってたんだけど、毎朝余り分のお菓子、ライトとクォーツの部屋にも渡しに行ってる訳?」


「え?えぇ、出来立ての方が美味しいですから」


「……そう。まぁ男子寮内には本来男しか居ないから大丈夫とは思うけど、まぁ……気を付けなよ」


「気を付ける……?」


「……っ、わからないならいい。さっさと帰って、制服に着替えたいから」


 首を傾げる私を見て嘆息したフライ皇子が扉を開けて、私をペイっと廊下へ閉め出す。何よ、自分で呼び止めたくせに……。まぁいいか、早くしなきゃ本当に遅刻しちゃう!


 ーー……良くなかった。急いでフライ皇子の部屋を飛び出したせいで、予習ノートを彼の部屋に忘れてきてしまったらしい。しまった、今日の一時間目の宿題あのノートにやっちゃったのに!

 しかもそれに気づいたのが、寮と初等科校舎の丁度真ん中辺りの位置にある噴水の前と来た。えーどうしよう、取りに戻ろうかな、でも私の足で走ったとしても、今から寮……しかも男子寮に戻ってから校舎に向かっても絶対間に合わない!なんせ私の足の遅さはライトのお墨付きだもの!うん、全然嬉しくない……!


「あ、でもフライ皇子が気づいたら持って……来てはくれないか。毎日押し掛けて会話はしてくれるようになったけど、まだまだ嫌われてるもんね。仕方ない、宿題は授業が始まる前にもう一回解くしかないか!」


「あら、その必要は無くてよ。フローラ様?」


「えっ?」


 一人言だった筈の自分の声に、不意に返事が帰ってきた。驚いて振り向けば、どこに隠れていたのか明るい黄緑の髪をキツめの縦ロールにした先輩が現れ、続いて数人の女子生徒が噴水を背にした私を囲うように広がる。前世の経験則と、少女漫画や乙女ゲームで得たお約束知識からわかる。これはあれだ、『ご忠告』と言う名の集団いじめシーンだ。


(……私、一応ゲームシナリオでは悪役あっち側の人なのに、何故転生して尚ずっとやられる側なの!いや、悪役あっちには死んでもなりたくないからいいんだけど……!でも、一体なんのご用?全く面識ない人達ばっかりなんだけど)


 頭を悩ます私を、優雅に扇を揺らしながら縦ロール先輩が見下ろす。


「ねぇフローラ様、弟から聞いたのですけれど、ここ一週間程毎日フライ様のお部屋へ押し掛けていらっしゃるのですって?」


「……!」


 その、口調こそ丁寧に、そして極限まで非難の色を滲ませながらのひと言に、『縦ロールキャラってよく色々な物に例えられるけど、この人の縦ロールは芋虫みたいね、緑だから』なんて呑気なことを考えていた私も頭が冷えた。同時に、私を取り囲んでいる女子生徒が皆さん緑色を地にした制服を纏っている事に気づく。つまり彼女達は皆スプリング……つまり、フライ皇子の国の出身で、要は自国の素敵な王子様に私のような落ちこぼれ皇女がちょっかいを出しているのが気に入らない!と言う主張をしに来たようだ。

 しかも、相手は小学生ながらに現代日本の女子高生達よりはるかに口が回る貴族のご令嬢方。私が何を言うのにも言い切らせず先回りして畳み掛けてくるので会話にならない。まぁ、下手に波風立てるとフライ皇子に迷惑かかっちゃうし、戦う気はないからいいけどね。下手に挑んで前世の最後の時みたくなったら嫌だし。

 だからおとなしくしていたら、周りの子達が一人につき二言ずつくらい私を貶し尽くした辺りで芋虫ロール先輩がズイッと前に出る。そして、わざと音を立てながら閉じた扇子を私の鼻先に突きつけた。

 おぉ、悪役令嬢っぽい!にしても扇子の先っちょについたふわふわが鼻をくすぐって、くすぐって……!


「……っ、フライ様が貴方のような身分と容姿だけの方をお相手にするとお思いですの!?淑女足るもの、自分から殿方に接触しに行くものでは無いのです!聞いていますの!?」


「え、えぇ、お話はわかりました。しかしわたくしは、貴女方にそのような言いがかりをつけられる謂れは………くしゅんっ!!」


 私のくしゃみと、同時に響いたバキッと言う嫌な音に遮られ、芋虫ロール先輩の罵倒が一時停止した。

 ごめんなさい、ちゃんと聞いてましたが鼻のムズムズに勝てませんでした。咄嗟に両手で口元を覆ってくしゃみしたけど、今なんか変な音したよね。何かが折れたみたいな……。


「わ、私の扇子が……!」


 恐る恐る顔を正面に戻すと、芋虫ロール先輩のいかにもなフワフワと宝石付きの扇子の先端がポッキリと折れてた。もしかしなくても、くしゃみの弾みで私が壊しちゃったんだと思う。

 ワナワナ震えている彼女の様子を見て、これは不味いと噴水の縁沿いにこっそりと校舎の方に向かって移動する私……を、当然芋虫ロール先輩は逃がさない。


「~っ、たかだか水の国の皇女だから何ですの!?そんなに水がお好きなら、好きなだけ浴びればよろしいわ!!」


「きゃっ……!」


 いくら貴族でもここは治外法権の学院で、彼女達はまだ子供。だからお気に入りの扇子が壊れたのを引き金に、“感情”が最優先になってしまったんだろう。叫んだ芋虫ロール先輩と彼女の両サイドに居た子達が、躊躇いなく私を噴水へと突飛ばして。そのまま、私がどうなったのかすら確かめないままに踵を返して走り去る。

 それを、噴水の煌めく水面へと落下する、まるで駒送りのようなゆっくりさで流れる視界で見送って、そのままドボンと水に浸かる。

 服のまま落ちたって、そこはただの噴水。私は尻餅をついて、ちょっと制服がびしょびしょになる。被害はそれだけだ、やった彼女達も流石に他国の皇女である私を死なせる気でやったわけじゃないだろうから。


(でも、変だな。どんどん水面の光が遠くなってく……)


 まるで深い海の中に沈んでいくみたいだ。水面に向かって無意識に伸ばした手に、吐き出した気泡がぶつかって弾けるのを見て、頭の奥が軋んだ。私、このシーン知ってる気がする。秘密がある学院の噴水、突き落とされて、沈んで、それから……、それから……?


(駄目だ、苦しくて上手く思い出せない……!)


 咳き込んで、口から飛び出した一際大きな気泡が、遠い水面に向かって上がっていく。


「~~っ、あーもう、だから気を付けろと言ったのに……っ!」


 泳ぎは得意な筈なのに金縛りのように上手く動かなくなった身体で、にじむ視界でそれを見ていたら、遠くから苛立ちを隠さないそんな声がして、同時に凪いでいた水面の一部に、大小様々な気泡が溢れたのが見えた。まるで、誰かが飛び込んだみたいに。

 その誰かに、水面へと伸ばした右手を掴まれたと理解するのと同時に、私は意識を手放した……。

 

     ~Ep.33 弾ける水泡の先で~


   『助けてくれたのは、誰……?』

 



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