第3話 日常は花の香りと食事の香りと。
朝露に濡れる花の匂いはとても芳醇で最近の目覚めは様々な花の香りに包まれて目がさめる。
この芳醇な香りは早朝特有のものであることから、きっとまだ日が昇ってそんなに時間は経っていないようだと思う。
毎日いつのまにか用意されている着替えに袖を通し、今ではすっかり慣れたたすき掛けをして庭に向かう。
私の朝の1番最初の仕事は咲ききった花の花柄摘み。
香りが芳醇な種類ばかりなのでポプリにもしようと、摘んだものは花弁が重ならないようにガーデンテーブルに並べしばらく乾燥させる事にする。
次に今日の部屋に飾る花を見繕う。
咲き切りそうなものや、ちょっとした野花を摘み、部屋に飾ったり縁側でお茶をする時に愛でるのだ。
ほぼ雑草は生えないこの庭の手入れは決して面倒なことはない。
朝の清純な空気を体いっぱいで受けていると、遠くから月がこちらを呼んでいる声が聞こえる。
月の声はそんなに大きいわけではないのに、不思議とこの庭のどこにいても聞こえてくる。
耳障りの良い少し低めのテノールはきっと通りやすいのだろうと家の方へ戻る。
「宵月、朝餉の支度ができている。昨日は夕餉も食べずに寝てしまったから腹も空いているだろう。」
そう言われてはじめて自分の体が空腹を訴えている事に気付く。
ここにくるまでは1日1食。
仕事終わりに食べる軽い食事だけで済ませていた私はどうしても食事を忘れる傾向にある。
毎日月と一緒にしっかりと食事をとる事。
この庭にきて最初に月に約束させられたことでもあった。
「朝ごはんの支度私も手伝うのに……」
「気にしなくて良い。宵月は宵月の仕事があるだろう?」
優しく言い含められながらお膳の置かれるテーブルへつく。
ほうれん草のおひたしにわかめと豆腐のお味噌汁。
炊きたてのお米に数種類の漬物。
焼き魚は今日はあじの開きのようだ。
そして必ず毎朝出るのが甘い厚焼き玉子。
朝食をほぼ今まで食べていなかった私には立派すぎる献立だ。
毎回の食事は月の使役する式が作っているのだが、厚焼き玉子だけは毎回月のお手製だ。
毎日私が庭の手入れをしている時間に、本人曰く趣味と暇つぶしに焼いてくれるらしい。
ぽそっと好物だともらした日から欠かさずに。
「今日の花は竜胆か。これまた美しく咲いたものだ。」
「縁側には菫を置いてきた。」
「ほほぅ、どちらも花言葉は誠実か。宵月にぴったりだ。」
月は花言葉に詳しいようで、毎朝私が摘む花の花言葉を色々と教えてくれる。
この庭にきて初めて一つの花でも複数の花言葉があることを知った。
「ところで宵月、今日の午後には何かやることは決まっておるか?」
「午後はいつも通り花の手入れくらい。」
「あいわかった。午後にちょっと客が来るがお前に会いたがっていてな。少しだけでも茶を共にしてくれぬか?」
「私に?」
「ああ。なに悪い奴ではないのでな。気をはらんでいい。いつも通りの宵月でいてくれればよい。」
「……わかった。」
だいぶ良くなったとはいえ、まだ月以外の人に会うのは怖かったが、月が言うのなら多分大丈夫何だろう。
ざわつく気持ちのまま大好きな厚焼き玉子を口に放ると、暖かさとふわふわな食感に優しい甘さが心を満たしてくれる。
ふぅ。とつい溜息が出てしまう。
「今日の厚焼き玉子も気に入ったようでなによりだ。」
良い焼き加減だろう?
だいぶ手馴れてきたものだ。
月が自慢げに言うのを、正面から見据えて私はつい溢れた満足の笑みを隠すことはせずお礼を言う。
食事が終わると午後までは適当に過ごすことが多い。
月とお茶をしたり、囲碁を打ったり、庭を散歩したり、ただしたいように過ごすのだ。
今日はガーデンベンチに座ってウトウトとしていたところで、月が呼んでいる声が聞こえた。
おそらく例の来客が来たのだろう。
私は襷を外して、軽く身だしなみを整えて月の声のする方へ向かう。
正面玄関に近い前庭には、それはそれは美しい金色の髪をした御伽噺に出てきそうな笑顔の青年が立っていた。
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