七-1

 時の流れは一分一秒という尺度を決して変えることなく過ぎていく。夜に起きたことがいかに壮絶なものだったとしても、朝は必ずその時間にやって来る。

 セオも普段通りの態度でルキトを書斎に招き入れた。

「おはようルキト君。今朝はいい天気だねぇ」

 リクライニングチェアーに座って優雅に紅茶を嗜んでいる男の前に歩み寄り、ルキトは拗ねるように口を尖らせた。

「昨日どうして勝手に帰ったんだよ」

「いきなりご挨拶だね、ルキト君。あの後割れた廊下の窓や破壊された屋上の扉とフェンスの後始末をしてあげたのはどこの誰だと思っているのかね? 私としては残業代を貰いたいところだ」

 確かに昨夜の痕跡をほったらかしにしていたら今頃校内はちょっとした騒ぎになっていただろう。ルキトはばつが悪そうに唇を結んだ。

「それで、あの後のエレン君はどうなったのかね?」

「ちゃんと家に帰ったと思う。たぶん」

「ふむ。まぁ今朝になって彼女の飛び降り死体は発見されていないようだから、まだ生きていることは確からしいな」

「学校には来ていないみたいだけど」

「人はそう簡単には変われないものだ。その人がその人であり続けた時間が長ければ長いほどね。だからエレン君にも時間が必要なのだよ。人は――人に限らず万物のものは、長い時間をかけて少しずつ変わっていくものだからね」

 セオの言う通り、エレンには時間が必要なのだ。休むための時間と、考えるための時間と、変わるための時間。

 ルキトだって時間をかけてここまでやってきたのだ。だから、何となくではあるが、エレンの気持ちは分かるような気がした。

「さて、今回は初めてブレシスを相手にした闘いだったわけだが、どうだったかね? 初陣の感想は」

「闘いはいいものじゃない。あんなに痛い思いをするなんて想像していなかった」

「はははっ、実にキミらしい総括だ。ただでさえ打たれ弱そうな体つきだからねぇ」

 呵々と笑うセオを睨んでルキトは付け加える。

「体の痛みだけじゃなくて、心の痛みもだよ」

「おっと、今日のルキト君は珍しく哲学的だ」

 何を言ってもセオにはからかわれる。ルキトは苦い顔をし、しかしムキにはならずに窓の外へ視線を流した。

「けれど、闘いを通じて得られたこともあった」

「ほう。それは?」

「重さだよ。自分の気持ちの重さ。あと、大きさとか、中に含まれているものとか。俺はミトエレンと向き合うことで、自分の気持ちがどんな形をしているのか何となく知ることができたと思う。……そう、まさに天秤みたいにだよ。物体の重さを量りたくても、天秤の片側が空っぽだったら測量できないだろ? それと同じ感じ。エレンっていう錘が片皿の上に載ったからこそ、俺は自分の抱いていた考え方や気持ちの重さがどれくらいのものなのかを実感することができたんだ」

 ギフトとは、悲しみの反対側にあるモノ。故に悲しみを生み出すためのものじゃない。エレンはギフトを脅威として振るい、不幸を齎そうとしていた。そんなエレンの姿を目にした時、ルキトは少なくとも自分にとってのギフトの意味が彼女とは全く正反対の位置にあることに気付いた。

 あの時、あの場所で、幸福な人間は誰ひとりとしていなかった。メアルはもちろん、エレンですらも悲しみに囚われていた。ギフトは悲痛な経験の代わりに得るものだ。だからやっぱり、そのギフトで別の悲しみや苦しみを生み出すのはおかしい。ルキトはそう思う。そう信じていこうと、思う。

「私を前にして一丁前に『天秤』を語るようになったとは、やるじゃないか。どうやらキミは少しずつ前進しているようだな。進むスピードが遅くても進まないよりは断然マシだ。不器用で鈍感なりにこれからもせいぜい地道に歩んで行きたまえ」

「……嫌な男だな、あんた」

「そんなこと、とっくに分かっていただろう? ところで、さっきから気になっていたのだが――」

 セオはカップを置いて椅子から立ち上がると、部屋の扉の方に向かった。

「盗み聞きは感心ならないねぇ」

 そう言いながらセオは素早く扉を開ける。

「げっ!」

 間抜けな声を上げたのは、扉の向こう側にへばり付いていた逆立った髪型が特徴の男子生徒だった。

「リュウヤ……そんなところで何してるんだよ」

「お、俺にだってちょっとぐらい話を聞かせてくれたっていいだろ! 昨日の放課後、部活を休んでまでエレンの動向を見張っててやったのは他でもないこの俺様なんだぜ!?」

「それはリュウヤが自分から勝手に名乗り出てきたんだろ」

「エレンが弓道場の方へ向かったってことを蝙蝠先生に伝えた後はちゃんと大人しく帰ってやったろうに!」

「そういう約束でセオは許可したんだよ」

「とにかく! 俺はお前のことを心配してたんだよ! ありがたく思いやがれ!」

「別に心配してくれと頼んだわけじゃ……」

「二人とも、無駄話をするなら外でやってくれたまえ。生憎ここは喫茶店ではないのでね」

 いつの間にか定位置であるデスクの椅子に戻っていたセオが横槍を入れる。

「そんじゃちょっとルキトを借りますね! きっちり事の顛末を聞き出してやるんで!」

「どうぞご自由に」

 片手をひらひらと振りながら呑気に紅茶を楽しむセオを恨めしそうに睨み、ルキトは友に引っ張られるようにして部屋を出た。

 しかし、今回はリュウヤから色々と教わったこともあった。ルキトは袖を引かれながら諦めて肩を落とす。特別に少しだけ、話に付き合ってあげよう。

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