三-3

 天秤からそっと手を離し、時任は不幸の皿に盛られた錘たちをピンセットで摘み上げて一つ一つ丁寧に木箱へしまっていく。

「ギフトを得た人間は『ブレシス』と呼ばれる。『blessis(ブレシス)』とは『神の恩恵』という意味の『god bless』をもじってできた造語らしいが、これまでの話に神がかり的な思想は一切関係していない。あるのは日常の表舞台には決して登場しない裏の科学的根拠、つまり『裏科学』的な理論だ」

 全ての錘を箱の中に収めた時任は、水平に戻った天秤の両腕を見て思い出したように付け加えた。

「そうそう。今回は黒い皿を不幸の皿とし、白い皿を幸福の皿と称したが、他にいくらでも言い換えることができる。喪失と獲得の皿、代償と恩賞の皿、挫折と教訓の皿、経験と知識の皿……つまり、この黒と白の皿が表しているのは言わば人生における『負と正』だ。人は一生の中のあらゆる場面においてマイナスイメージの要素とプラスイメージの要素のやり取りを幾度となく繰り返すことで天秤の均衡を保っているというわけさ」

 そこまで言い終え、時任は椅子の背にもたれかかる。足を組み、紅茶を啜り、深く溜め息を吐き――満足げな顔でエレンを見据えた。

「ここまで話してきた天秤に纏わる一連の概念が、俗に言う『天秤の理念』というものだ。そしてキミはギフトを手に入れたブレシスの一人だということ。ご理解して頂けたかな、エレン君?」

 鷹揚な態度で話を締め括る時任の前で、エレンは自分の手を見つめる。自分の体の中に宿る異能の存在の正体を再認識する。

「私は、ギフトを得たブレシス……」

「ブレシスは世界中のどこにでもいる。世間一般に認知されていないだけで、実際は社会の裏側にいくらでも存在しているのだ。キミだけが選ばれし異能の所持者だと思い込んでいるのなら、それは大きな間違いだよ」

 エレンは黙する。天秤の理念という非現実的な概念の存在を聞かされたことによる困惑と、その事実を受け入れるべきかどうかという葛藤が、エレンを押し黙らせる。

 俄かには信じ難い現実だ。しかし信じるしかない。他でもないエレン自身、天秤のルールに則ってギフトという特別な錘を齎されたブレシスの一人なのだから。

 それに――ギフトを得るに至った経緯も、今なら何となく思い起こすことができた。

 自分の気持ちに決着をつけ、顔を上げる。眼差しに警戒心を蘇らせて目先の男を見る。

「先生は私にこんなことを教えてどうするつもりですか? 私にブレシスとしての自覚を持たせ、力の行使を自粛させようとでも?」

「まさか。最初に言ったが、私はキミのやることにとやかく口出しするつもりはないよ」

「じゃあなぜ私にこんな話をしたんですか?」

「知識のレベルを平等にするためだ。対話をするなら相手と同じ量の情報を持っていた方が不公平にならない。タネを明かせば、キミを『彼』と同じ土俵に立たせてあげたというわけさ」

「誰のことですか」

「今しがた話したばかりだろう? キミだけがブレシスではないのだよ、エレン君」

 紅茶の最後の一口を喉に流し込み、時任は意図の掴めない怪しげな微笑を零した。

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