向日葵の花束

しーしい

向日葵の花束

  向日葵の花束


 皐月さつきに告白された私は、三ヶ月だけのお付き合いを始めた。私が東京に引っ越してしまうまでの短いお試し期間。でも私は皐月に深くのめり込んだ。分かち難い依存。皐月、私は貴女を離す事は出来ない。


 ベッドに上がれば、きっと私は過ちを犯してしまう。間も無く此所を去る私は、失うものが無いけれども、皐月はそうでは無い。皐月を守りたい。それでも私は皐月を求める。

 横に並べた座椅子で肩を重ね合い、手を固く握る。クーラーが涼風を運ぶが、熱を帯びた手には汗が滲む。皐月がさらに体を密着させる。皐月分かっている。頬をひたとくっつけ、唇を寄せ合う。最初は軽く、徐々に深く皐月の唇を覆う。舌先が触れあい、そして絡みあう。

 「あ、先輩」

 解放された皐月の口から息が漏れ出す。

 その小さくて色白の顔を両手で包む。可愛くてしようが無い。

 「皐月」

 膝立ちになりもう一度唇を奪うと、その体を胸に抱いた。頭を皐月の肩に預け首筋に唇を這わせる。皐月が身をよじるが、逃がさない。いだいた腕に力を込める。「苦しい、先輩」「ごめん」余計な力を解放した。上気して崩れ落ちる皐月を私の体で支える。

 息遣いの荒い皐月の腰に腕を回した。そのまま皐月を私の膝の上に乗せ、ワンピースの上から胸の谷間に耳を当てる。

 「皐月の心臓の音が聞こえる」私の汗にまみれた顔に長髪が張り付く。

 「生きてる私?」

 「狂おしいほど脈打っている」

 皐月はその姿勢のまま、のしかかる様に私の首に手を回し、鼻先に、そして口先に唇を重ねた。

 皐月はにじり寄り、頭を完全に私の肩に乗せると、うなじに指を走らせる。

 声が出た。皐月は執拗に中指を這わせる。

 私の中から衝動が湧き出した。

 左手を畳の上に載せると、抱えるように皐月を押し倒した。座卓の上の空のグラスが転がる。

 「先輩だめ、先輩のおかあ……」

 その生意気な口を塞いだ。

 「んん」皐月が喘ぐ。「はぁ、だめだよ、先輩」

 それでも私は止まらない。唇は口から頬を通って耳に軌跡を描く。熱に浮かされている。私は過ちを……


 カーン、カーン、カーン


 五時を知らせる時報の音。それで私は正気に返った。

 「皐月、ごめん」

 「帰らなきゃ、五時だから」そして泣き出した。

 皐月の手を取り起き上がらせる。愛おしくなるぐらい軽い。

 「大丈夫?」

 「先輩、時々怖い」立ったまま、皐月を抱き寄せる。

 「ごめんなさい。この手の中から皐月を失うのが耐えられ無くて」皐月の全てを奪いたかった。

 私は、皐月の涙を手で掬ってあげて、目元に軽く接吻した。

 「送って行く」

 「うん」

 私の部屋を出て階段を降りると、お母さんが食卓のテーブルを拭いていた。リビングルームの中は引っ越しの荷物が山と積まれている。

 「五十嵐さん、目が赤いわよ、大丈夫」

 「大丈夫です」

 気まずい。お母さんが気が付いていないと良いのだけれども。妙に勘が良い。

 「皐月を家に送って行く」

 「早く帰るのよ、明日引っ越しなんだからね」

 「分かった」

 まだ明るい道を歩き出した。あぶらぜみが声をあげ、生暖かい風が汗っぽい髪を揺らす。

 家から一つ目の角を曲がった所で、皐月が私のブラウスの端を引っ張る。

 「皐月、どうしたの?」

 小さく何かを喋っている。私は耳を寄せた。

 「ん!」唐突に皐月にキスを奪われた。

 「先輩、仕返し」ふふふ、皐月は笑う。

 私は皐月を腕の中に閉じこめる。「仕返しの仕返し」浅く、そして深く唇を重ねた。「これで、お別れのキス」

 「手を繋いで行こうか」普段はあまりやらない。

 ススキの生える河川敷を皐月の家に向かって歩く。

 「もう、明日だなんて」

 「三ヶ月は短かった?」

 「言い出したのは先輩です。お試しだなんて」

 「もっと長ければ良かった?」

 「永遠だったら良かった」

 そう、永遠だったら良かった。

 家の前で別れる。皐月の家の前は小川が流れている。その柵に寄りかかりながら皐月が家の中に入って行くのをじっと見つめた。これで終わりなんて、もう皐月と触れ合ったり、接吻を交わしたりする事が出来ないなんて、そんなのは耐えられない。私は柵の縁に崩れ落ちる。


 「二階から見えていたわよ、割と本気だったのね」曲がり角でした三回のキスを見られていた。お母さんはお見通しだった。

 「これでさよならなんて」不意に私は泣いた。

 「よく有る事よ。いずれ忘れてしまうけど、たまに思い出すのよね」

 お母さんはまるで見てきた様に語り始めた。

 「別れがこんなに辛いなんて」

 「卒業後も引きずってしまう娘も居る。それも人生よ。ほら」

 私はお母さんの胸の中で泣いた。長い間泣いた。そして私の部屋でも泣いた。

 お父さんに腫れた目を見られたく無いので、食事は部屋でとった。今はがらんどうで、机とベッドしか無い部屋。食膳には涙が滴となって落ちた。

 泣き疲れてベッドに寝転がる。皐月と何度も唇で交わったベッド。

 「永遠だったら良かった」 

 永遠なんて有るのだろうか。

 なんで私は『三ヶ月だけど。試してみるには、十分に長い』なんて言ってしまったのだろう。辛くなるだけだったのに。

 三ヶ月は短くは無かった。十分に長かった。

 だって、三ヶ月でも、あれだけ分かり合えていたのに。三ヶ月だからこそ、あれだけ愛し合えたのに。

 私はどうすれば良かったのだろう。皐月とお付き合いしなければ……違う、皐月は私にとって……皐月を絶対に離したくない。

 永遠は有る。きっと永遠は有る。

 お母さんが言っていた卒業の別れ。それでも思いを遂げた人は居たはず。

 三年も三ヶ月も変わらない。

 言わなきゃ、皐月に。永遠は有るって。

 ベッドから跳ね起き、階段を駆け下りる。

 「お母さん、ちょっと出かけてくる」

 「おい日葵ひまり、もうこんな時間だぞ」

 「まあまあお父さん、最後の日なんだし、別れを言う時間ぐらい与えてあげて」

 お母さんは私を擁護してくれた。これも見抜いているのだろうか。


 皐月の家の呼び鈴を押す。母親が出てきて皐月を呼ぶ。

 「日葵ちゃんの親御さんに申し訳ないから短くね」

 「はい申し訳有りません」

 皐月と共に、せせらぐ小川の柵に身を預けた。ひぐらしが私達を包み込んで夏の日暮れを告げる。

 「皐月、永遠に一緒に居たい、その方法を探したい」きっと私は泣きそうな顔をしている。

 「ええ、先輩」皐月は私に微笑みかける。「なら私と結婚しましょう」

 「結婚?」そうか、私はプロポーズしたのだ。その道が有るのなら皐月と結婚したい。

 「東京なら同性でも結婚出来る所が有るんです」

 「そうなの」

 「悩んでいた時期に、いつか東京に行こうと思っていました。同じ悩みの人達も居ますし」東京は人口が多いから皐月や私の様な人も多いのだろう。

 「先輩東京で大学行くんですよね」

 「親は大学に行く事を望んでいるかな」それから私は何をするのだろう。

 「十八歳になって卒業したら私も東京に行きます」

 「皐月は何をするの?東京で」

 「美容師かな、まだ分からないけど」

 「東京で待ってる。結婚出来る場所で皐月を待ってる」皐月の結婚相手に相応しい私になって待っている。

 「うん、必ず行きます。先輩と結婚します」

 「皐月大好き」何度告白しても足りない。皐月が好きだ。

 「先輩、日葵さんの事が好きです」

 私はまた泣き出した。今日はもう涙腺が止まらなくなってしまった。皐月は優しく私の頬に接吻をすると涙を舐め取った。そして新しい約束のキスをした。


 「香織かおりありがとう」

 「どういたしまして」

 香織は私の荷物を半分持ってくれた。改札を通る。

 予想した事だったが、友達の居ない私のお見送りは、香織とその連れと、そして皐月……

 お父さんは、引っ越し業者の後について車で東京に向かった。私とお母さんは電車を乗り継いで、新幹線で行く。

 「何か気になってるのか、大丈夫だよ」

 在来線のホームで香織は真広まひろの頭髪をかき回すと、無責任に何かを保証した。

 「何するんだかおり」小学生の怒りは身長差によって届かない。

 「今までありがとう、香織」

 「日葵、この一年半ありがとうな、やり残した事は無いか?」

 「無いよ」今ならすっきりとこう言い切れる。

 「真広もありがとう」

 「世話になったな」

 真広は、この夏休みの間に香織の家に居着いた小学生だ。詳しい事情は知らないし、知ろうともしなかった。達観の中に、純粋さを秘めた不思議な子だ。

 「落ち着け」私がホームの時計を気にしているのを香織に見透かされた。「ほら、来たよ」

 私は駆け出した。薄緑色のワンピースに胸いっぱいの向日葵の花束を抱えた、皐月のもとに。


  続く

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