第16話 「出発」

 北の町を占拠していた盗賊リレイガス一味を倒し、ネセルティーも目を覚ました祝いに、待ち人の町、つまりウィズダムの町は、その夜、お祭り騒ぎになっていた。酒を飲み、人々は踊り狂った。レイチェルもまた運ばれてくる料理に舌鼓を打ち、舞い踊る人々の姿を飽きずに見続けていた。だが、彼女は宴の最後までは起きていなかった。何故なら、明日はこの町を出立するからだ。冒険者をしていたおかげで寝不足には慣れたが、それでも眠れるときはぐっすり眠った方が良いと思った。

 そして彼女は、傷心のデレンゴを慰めるモヒト教授にその旨を伝えて、宿へと向かった。その途中、静かにクレシェイドも合流した。

「私なら一人で大丈夫ですよ」

 目の前に立つ漆黒の戦士には、やっと出会えた最愛の人と楽しい時を過ごしてほしかった。しかしクレシェイドは頭を振った。

「いや、そうはいかない。俺とネリーのことを気にしてくれるのはありがたいが、気遣いは無用だ」

 そして二人は宿の前に来た。ふと、宿の入り口で壁に背を預け佇む者の姿が目に入った。

 相手はハーレスだった。双剣を腰の左右に引っ提げ、彼は手に長い物を持ってこちらに歩んで来た。

「よお、英雄さん」

 ハーレスは皮肉も無く親し気にそう声を掛けて来た。

「宴には出ないのか?」

 クレシェイドが尋ねるとハーレスは笑って頭を振った。

「こう見えて賑やかのはどうにも苦手でね」

 そして布に包まれた長い物を差し出した。

「これは、剣か?」

 クレシェイドが問うと相手は頷いた。

「魔法とか伝説とかの剣じゃないが、頑丈で鋭いのを選んだつもりだ」

 クレシェイドが包みを取ると長剣が姿を見せた。月明かりを受けて刃が煌めいている。悪い剣では無さそうだった。

「良い剣だが、俺が受け取っても良いのか?」

 クレシェイドが問うとハーレスは答えた。

「ネリーを連れて行くんだろ? 彼女には長らくこの町が世話になった。恩人だ。その恩人を守る騎士が丸腰ってわけにもいかねぇだろ? 持っていきな」

「そうだな。ありがたく受け取ろう」

 クレシェイドが受け取るとハーレスは歩き始めた。そして立ち止まりこちらを見ずに行った。

「ネリーのこと存分に甘やかしてやってくれよ。あいつは本当にこの町のためにずっと尽くしてくれた」

「わかった」

 クレシェイドが言うと、ハーレスは片手をヒラヒラさせて夜の闇の中へと消えていった。

「月光……」

 クレシェイドが呟いた。

「どうしたんですか?」

「この剣の名だ。月光に決めた」

 月の光を受けて鈍く輝く刃を見下ろしつつクレシェイドはそう答えた。




 明朝、レイチェル達の出発は町の人々総出で送り出された。

 人々はネリーとの別れを惜しんでいた。レイチェルが見たところ、ハーレスの姿だけが無かった。レイチェルは昨晩の去り際の彼の様子を思い出し、一つの仮説を立てたが、誰にもそのことは話さなかった。仮説は仮説のままだがそれで良い。

 町の人々が勝鬨の声を上げ、一行を祝福する。そしてレイチェル達は歩み始めたのだった。



 二



 運命を分けた三叉路を過ぎ、洞窟に入る。あれから一年以上経ったが、ゴブリン達はこちらのことを覚えていた。相変わらず精力的に採掘活動している。ゴブリンの長が出迎え、人間と上手くやっていることを話してくれた。

 その証拠に、辿り着いた村は、以前より広くなり家屋が増えていた。村内には当たり前のようにゴブリンが闊歩していたが、人々は別段気にする様子も無かった。

「本当に上手くいっているようで良かった」

 モヒト教授が感慨深げに言った。

 旅は続いた。順調だった。幾つもの村や町で夜を明かし通り過ぎて行った。

 その途中、一番大きな町に着いた時だった。

「おう、クレシェイドさんよ」

 デレンゴが声を掛けた。

「何だ?」

 クレシェイドが振り返ると、デレンゴが言った。

「この町には宿が幾つかあるらしい。御役目は結構だが、今回はお前とネリーはどっか別のところに泊まれよ」

「……気遣いなら無用だ、デレンゴ」

 クレシェイドが不揃いの口髭の提案を一蹴しようとしたとき、レイチェルも思わずデレンゴの提案に同調していた。

「デレンゴさんの言う通りです」

 最愛の人ネセルティーと出会い一行は共に旅立ったが、クレシェイドもネリーも、お互いに深い干渉をしようとはしていなかった。眠るときも別室でクレシェイドはいつもレイチェルと共に寝起きしていた。クレシェイドは神々の使命に忠実であろうとしているが、この先、道のりは永遠に続くようなものだった。目的が達成されるまで最愛の二人だけで過ごす事はできないというのは、どうにもレイチェルには気にかかり、自責の念も感じていた。

「クラッドの言う通り、気を遣うことはありません」

 ネセルティーも気にする様子も無くそう応じた。レイチェルは引き下がりたくなかった。だが、デレンゴが言った。

「一日ぐらい二人で過ごして来いって。レイチェルさんのことなら俺らがついているから安心しろよ。なぁ、教授、じいさんよ?」

 デレンゴに言われモヒト教授も頷いた。

「デレンゴさんの言う通りです。この先、平和な場所があるかどうかは確約できません。ですが、今、この場は平和です。これを機会だと思ってお二人で過ごされると良いでしょう」

「その通りだ友よ。レイチェル嬢ちゃんとは私が寝起きし、デレンゴとモヒト教授に扉の番をさせよう」

 ネリーが頬を紅くし困惑気味にクレシェイドを振り返った。

「しかし……」

 クレシェイドが迷う様に言うと、レイチェルは応じた。

「行って来て下さいクレシェイドさん。このままだと私も辛いです。私を護る為に、長く離れ離れになっていたお二人が、二人きりでまともに話もできないなんて」

「しかし……」

 クレシェイドは思い悩むようにし腕組みをした。するとデレンゴがクレシェイドとネリーを押し始めた。

「さあ、行った行った。神々だってたまの休日ぐらいお見逃しになってくれるさ」

 そしてデレンゴは天に向かって叫んだ。

「そうだろ神様よ!?」

 返事は無かった。

「返事が無いってのは黙認したも同じだぜ。さあ、行った行った。二人揃って強情になるこたない!」

 クレシェイドとネリーは、デレンゴに押されながら振り返った。

「すまん、今日一日限りだ」

 クレシェイドが言った。

「良いって良いって」

 デレンゴが手を振って応じた。

 やがて二人が諦めて町の中に消えてゆくのを見てレイチェルも心が晴れた気分になった。

「デレンゴさん、優しいんですね」

 レイチェルが言うとデレンゴは気前良く応じた。

「あたぼうよ。ベタベタされるのも困るが、せっかく相思相愛、それも離れ離れだったのにその逆も困る。しかし、これでもしかしたら、赤ん坊ができるかもしれねぇな。なぁ、教授さんよ?」

 デレンゴが明るい顔で振り返ったとき、モヒト教授は表情を暗くさせた。

「できないんですよ」

 モヒト教授が言った。

「へ?」

 デレンゴの声が裏返った。

「この世界では、動物達は年を取り種を残すことはできますが、何故か、人間だけがそうじゃないのです。ここでは我々は年を取りませんが、同時に子孫を残すこともできないのです」

「マジか?」

 デレンゴが愕然とした。レイチェルも驚いた。

「その通りだ。だが、お前さんの提案は良かった。あの二人も出来うる限り密接な時を過ごす事だろう」

 グレンがそう応じた。

「じゃあ、恋して結ばれても、子供はできねぇのか、この世界は?」

 モヒト教授が頷いた。デレンゴはショックを受けたような顔になって言った。

「惨い世界じゃねぇかよ。ええ! 神様よ! 何でこんな惨いことをしやがるんだ!?」

 デレンゴが天に向かって怒鳴りつける。行き交う人々がこちらを振り返った。

「だからこそ、速やかに転生を選ぶ者だって多くいるのだ」

 グレンが言うとデレンゴはうなだれていた。

「俺はよ、師匠に弟子入りして、心も体も鍛え直して、今度こそ真っ当な人間になって、誰かと結ばれて、それで家族ってものができれば良いと、思ってきたんだ……。それが、何てこった……。どんなに頑張っても子供はできねぇときたか……」

「デレンゴさん……」

 モヒト教授が同情するように言った。

 するとデレンゴは頭を振り、笑った。

「ま、良いさ。今の俺は、芋……じゃなかった。レイチェルさんを送り届けるのが使命だ。その後の人生を考えるのはそれが終わってからだ。さあ、酒でも飲もうぜ教授!」

 デレンゴがモヒト教授の肩に手を回し、酒場へと向かい始めた。

「いや、まだ昼間ですよ? それに僕は下戸でお酒は飲めないんですよ」

「だったら紅茶にでもしやがれ。俺様に付き合え」

 二人の様子を眺めているとグレンが促した。

「さて、我々も行こうか。今日は三人がかりで嬢ちゃんを肌身離さず護らなければならいなからな」

 レイチェルは頷いてその後を追った。



 分岐路が目の前に現れた。季節は冬だった。

 デレンゴが側の木を見て声を上げた。

「あったあった」

 そこには「デレンゴ様、参上」と掘られていた。

 以前にこの岐路来て、あれから時が経った。その時デレンゴは、この掘り込みを見ればきっと懐かしい気分になると言っていたが、あの時は冷ややかな態度を取ったが、事実、レイチェルの胸の中は彼の言った通りになってしまっていた。

 一行は西へ延びる道へ身体を向けていた。

「西へ向かう」

 クレシェイドが言った。レイチェルも他の者達も頷いた。

「そして闇の者との接する国境を越え、レイチェルを風吹きの洞窟へ連れて行く」

 全員が頷いた。

「行こう」

 クレシェイドの声と共に一行は西へ向かう街道へ足を踏み入れた。

 新たな旅立ちの始まりだとレイチェルは思ったのだった。

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