第15話 「二人」
ユキがいた。私の大切な親友だ。
相変わらず黒装束に黒頭巾を被っている。でもそこから覗く顔は優しさと明るさに満ちていた。
ああ、これは夢なんだ。ネリーはそう気付いた。だが、夢なら覚めないで欲しかった。だって目の前にいる彼女はずっとずっと遠くへ行ってしまい、二度と会うことはかなわないからだ。会えるとすればこうして夢の中でしか会えないだろう。
そこは春の様な日差しを受けた静かな草原だった。そよ風が煌めきを残し丈の短い草達を優しく撫でて行く。
「久しぶりね、ネリー」
「ユキ!」
ネリーは嬉しさと感動のあまり思わず涙を零しそうになっていた。しかし、ユキが言った。
「駄目よ、まだ泣いちゃ」
そう言われネリーは頷いた。
「そんなこと言われても……」
ついにネリーは抑えきれなくなり涙を零した。
「ユキ、ごめんなさい。私のせいであなたを死なせてしまって……」
「ああ、ああ、ネリー、本当に純粋な子なんだから」
ユキはひょいひょいと歩み寄って来て、その身体を抱き締めてくれた。
「もう泣かないの。誰もあなたのせいだなんて思ってないし、それに、私はネリーにもう一度会えて嬉しいんだから。ね?」
ユキが微笑む。
「ごめんなさい」
ネリーは涙を拭って笑顔で応じた。
「良かった、ネリーの笑顔が見られて。それとごめんね、せっかくの感動御対面だったのに水を差しちゃって」
ユキがそう言いネリーは不思議に思い尋ねた。
「どういうこと?」
するとユキはネリーの身体を放し、まじまじと彼女の顔を見て咳払いをした。
「私の役目を伝えます。私は、ネセルティー・マイセン、あなたを眠りの世界から解放するように言われてここに参ったのです」
少々畏まったようにユキは言った。
「ネリー、あなたは死の峠を無事に越えました。もう、目覚める時です」
ネリーは思わず頭を振った。起きたところで何になる。争いの渦中に放り出され、皆を率いなければならないだけだ。それに……。
「それに?」
ユキが言い、ネリーは思わず驚いた。そして正直に答えた。
「もう疲れたのかもしれないの。彼を待つことが」
微風が彼女の長い髪を弄ぶ様にして吹き抜けてゆく。そしてネリーは吐露した。
「いつまでたっても彼は迎えに来てくれない。もしかしたら私達は永遠に逢えない運命なのかもしれない。神様がそう決めてしまったのかもしれない」
ユキはネリーの頬を撫でた。
「そうよね、あれからずっとネリーは辛抱強くたった一人で良く待ち続けたと思うわ」
ネリーは訴えた。
「私、目を覚ましたくないわ。だってここでならユキとずっと会えるでしょう? またずっと一緒に居られるでしょう?」
「ネリー、目を覚ましたくないなんて言っちゃ駄目よ。あなたの笑顔をひたすら願い待ち続けてる人達がいるんだから」
それは町の人間達のことだと思った。
「争いに駆り出されるだけだわ」
「そうね、以前はそうだったかもしれない」
ユキが言い、ネリーは目をしばたたかせた。
「ネリー、目を覚まして御覧なさい。もう大丈夫。きっと素敵なことがあなたを待っているはずだから」
「素敵な事?」
「そうよ、ネリー。だから目を覚ますのよ。いつまでもこんな世界に閉じこもっていちゃ駄目だよ」
ユキはふざけるようにネリーのおでこを軽く指で突いた。そして微笑んだ。その笑みがネリーの魂を熱くさせた。
「ユキ、ごめんなさい。私はまたあなたに甘えていたわ。何があるのか分からないけれど、もしかしたら何も無いのかもしれないけれど、私、起きてみる」
「うんうん! それでこそ、ネリーだよ!」
ユキが彼女を強く抱き締めた。
「私に会いたかったら、また夢の中で会えば良いわ。毎日とはいかないけれど、ネリーのために他を放り出してでも善処はするから」
「ありがとう、ユキ」
「それじゃあ、目覚めなさい、ネリー」
「ええ、私、自分のいる世界に戻るわ」
ユキの優しい温もりを感じていると、いつの間にか目の前が真っ白になった。彼女は今、自分が目を覚ますのだと確信したのだった。
二
彼女が目を覚ました時、クレシェイドはどう声を掛けて良いのか戸惑っていた。レイチェルが、モヒト教授が、彼女と親しい町の人々が驚き、そして喚起する中、一番嬉しいはずの自分が戸惑っていた。
考えてみれば三百年近く、彼女を待たせたのだ。死者の身体となり、彼女のもとへ戻るわけにもいかず、手紙すらも送らず、己の身体を元に戻すために旅することを身勝手にも選んだのだ。俺は彼女と国を捨てたのだ。
「皆さん」
ネリーが周囲を見て微笑んだ。
「おお、ネリーさん! よく目を覚ましてくれた!」
町の人々が喜び合っている。レイチェルがこちらを振り返る。その笑顔がだんだん不安げな色に変わっていった。
「クレシェイドさん?」
そう呼び掛けられ、クレシェイドは頷くこともできなかった。どうすれば良いのだろう。何をすれば良いのだろう。
「クレシェイド、と、おっしゃいました?」
ネリーがこちらへ視線を向けた。
「クレシェイドとは、私が心から愛する人が、自分の持つ剣に付けた名前です。何故、その名前をあなたが?」
「それはだな、ムググッ!?」
余計なことを言おうとした町の男の口をレイチェルが素早く両手で塞いだ。
「ネリー、俺は……」
クレシェイドは兜を脱いだ。そして愛する人を見た。ネセルティーの目が驚愕に見開かれ、そしてその目から涙が零れ落ちた。
「クラッド!」
「遅れてすまなかった。あなたには、いや、お前には数え切れないほど謝る必要がある」
するとネセルティーはベッドから下り、ゆっくりとこちら歩んで来た。
「クラッド、ようやく迎えに来てくれたのですね」
「すまない。遅くなった」
そしてクレシェイドも、ネセルティーも同時に互いの身体を抱き締めた。
彼女のにおいをクレシェイドは思い出した。春に咲く花のような香りだった。
するとグレンが顔を覗かせた。クレシェイドはすぐに表情を険しくさせ、老魔術師の言葉を待った。
「デレンゴが目覚めたぞ」
「デレンゴさんが?」
レイチェルが声を上げて驚く。
「どうなんです、大丈夫なんですか!?」
モヒト教授が鬼気迫る様子でグレンに詰め寄ると、相手は頷いた。
「死の危険は去った。どうにか彼は助かったぞ」
三
レイチェル達、一行が別室で治療を受けていたデレンゴのもとを訪れると、彼は自分を治療してくれていた女性の神官の手を両手で握って真剣な顔でこう言った。
「俺を助けてくれた。アンタは女神様だ!」
そして彼は言葉を続けた。
「俺は感謝もしてるし、感動もしている。心が熱くなってくるのを抑えきれねぇ。俺をアンタの騎士にしてくれ!」
その告白を受けた神官の女性は冷静な声で言った。
「心が熱いのは、まだ熱がある証拠だわ。薬を処方するわね」
「い、いや違うそんなんじゃない!」
デレンゴが慌てて言った。
「俺はアンタに惚れちまった。好きなんだ!」
力強い声が部屋を震撼させたが、神官の女性は言った。
「あなたの不揃いの髭、どうにかする気はあるの?」
「え? いや、この髭はだな」
「あなたは女を軽く見過ぎてるわよ。そんな整えもしない髭面を好きになる女性なんてそうそういません」
レイチェルは成り行きを見て抗議したい気分だった。デレンゴは不揃いの髭を、不揃いのまま手入れしているのだと。しかし、何かが変に思え、説得力にも致命的に欠けているような気がして、喉元までせり上がっていた言葉を言い出せなかった。
「そもそも私は、髭の濃い男に魅力を抱かないの。私の心を射止めたいのなら、その髭を削ぎ落す事ね」
するとデレンゴは頭を抱え唸った。
「それはできねぇ! 髭は俺様の命の次に大事なものだ!」
「私とあなたのお髭、どっちが大切なの?」
神官の女性が溜息を吐き尋ねる。
「……髭」
神官の女性は席から立ち上がった。
「熱が下がるまで安静にしてなさい。あとは問題ないわ」
レイチェル達が道を開けると、彼女は去って行った。
デレンゴは頭を抱え、吼え声を上げたのだった。
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