第26話 「ガガンビお手柄」
「レイチェル、何やら嬉しそうだな」
午前の演習を終えて村に戻ろうとしていると、バルバトスがそう声をかけてきた。
レイチェルは驚きつつも正直に言った。
「今日は牢に入れられた仲間が戻ってくる日なんです」
ガガンビが傭兵といさかいを起こして営倉に入れられて今日で三日目だ。面会はできなかったが、牢の番人に訊いたところ三日目の夜、つまり今日の夜に釈放されるということだった。
レイチェルは嬉しかった。ガガンビにゴブリン語を教わるのも、人の言葉を教えるのも、レイチェルはとても楽しかった。彼女が一つ学ぶごとにゴブリン族との溝が一つ狭まってゆく。やがては全てのゴブリンと人間を説得し、双方の間に和をもたらすことができるだろう。レイチェルは、思わずバルバトスにそのことを話してしまっていた。バルバトスは穏やかな笑みを浮かべた。
「そうか、それがお前の思いなのだな。そして噂には聞いていたが、そのゴブリンがお前の仲間だったとは驚いた」
レイチェルは慌てて言った。
「ガガンビさんは、決して乱暴な人じゃありません。大人しくて、先に手を出したりもしませんでした」
バルバトスは頷いた。
「村内の噂ではゴブリンが悪いという空気が流れていたが違ったか。しかし、お前のしようとしていることは素晴らしいことだぞ。人とゴブリンが共存できる、そんな世界にするために一歩一歩進んでいる。いつか、私はお前に何がしたのか問い詰めた時があったな。あったではないか、お前のやりたいことが」
そう言われレイチェルは初めて気付いた。そうか、これが私のやりたいことなんだ。と。
「多くの困難が付きまとうだろうが、くじけるなよレイチェル」
「ありがとうございます!」
レイチェルは心が晴れ渡った気分だった。自分が今後どのような道に進むのか、今日ようやく見付けることができた。
二
内勤を終えたヴァルクライムに赤竜亭でゴブリン語を教わった。サンダーとリルフィスもお互い勤務を終え珍しく揃っていた。
そしてもう一人、有翼人の少女も姿を見せた。
そうこうしているうちに夜になり、食堂は傭兵達でいっぱいになり始めた。
「そろそろじゃないの?」
ティアイエルが言った。
「何が?」
サンダーが問う。レイチェルが応じた。
「ガガンビさんのことですよね?」
「そうよ、他に何もないじゃない」
有翼人の少女が澄ました態度でそう言ったが、レイチェルは内心安堵していた。ティアイエルの方からガガンビのことを持ち出すということは、彼女も少しはゴブリンのことを仲間として受け入れる気になったのだろうと。
「行きましょう、ガガンビさんを迎えに!」
レイチェルは言い、そうして仲間達は立ち上がった。
三
営倉は村の南にひっそりと建っていた。
レイチェル達が到着すると、三人の番兵が捕らわれた傭兵達を釈放しているところだった。傭兵達はさっさとレイチェル達の脇を抜けて走り去って行った。
ガガンビは槍先を突き付けられ、番兵に脅されるようにして姿を現した。
「ガガンビさん!」
レイチェルが呼ぶと、ガガンビはこちらを見た。
「レイチェル。みんな」
ガガンビはそう言った。番兵達はガガンビが人の言葉を話せることを知らなかったようで、ギクリと驚いていた。
「迎えに来ました」
レイチェルが言うとガガンビは首を傾げた。
ヴァルクライムが応じようとしたが、ティアイエルの方が早かった。彼女がゴブリン語で言うと、ガガンビは頷いた。
そうし赤竜亭で揃って夕食にしようと考えていた矢先、不意にガガンビは歩みを止めた。
「どうしたんですか?」
レイチェルが問うと、ガガンビはゴブリン語で言った。
「悲鳴が聞こえたそうだ」
ヴァルクライムが言った。ガガンビは再びゴブリン語で話した。
「また聴こえたそうだ」
するとゴブリンは東の方へ走り出した。
「嫌な予感がするわね。アタシ達も行くわよ」
ティアイエルに言われ、レイチェル達もゴブリンの後を追った。
途中ガガンビがゴブリン語で「血の臭いがする」とも言った。
「ティアの嬢ちゃんの言う通り、何かが起きているな。少年、一足先に援軍を呼んできてくれ」
「うん、わかった」
サンダーは村の中央の方へと駆け出して行った。
緊張の面持ちでレイチェル達がガガンビの後を追うと、目の前に一つの建物があった。そこそこ大きな建物は、レイチェルがこのリゴ村に来た際、アビオンのロベルトに案内された場所の一つでもあった。総督府だ。
建物中から煌々と灯りが漏れているのがわかったが、その帯が地面に横たわる二人の兵の亡骸を照らし出していた。
やはり何かが起きている。ガガンビが剣を抜いた。
中から一つの悲鳴が木霊した。
ガガンビが走り出した。そして扉を蹴破った。
レイチェル達も後に続いた。そうしてゴブリンの背後から部屋の惨状を見ることができた。
荒れた室内に、血溜まりの中に斃れる六人の兵の亡骸がある。そして黒装束の者が十人ほど、紫色の外套を羽織り、大きな刃のついた斧を構えている一人の男を取り囲んでいた。レイチェルは斧の男に見覚えがあった。大隊長のクエルポだ。
「気を付けろ、こいつらは手練れだぞ!」
クエルポがこちらを見て言った。
「暗殺者か!」
ヴァルクライムが言い杖に収納された剣を抜いた。ティアイエルも槍を構え、リルフィスは短剣を、レイチェルは銀のナイフを構えた。
暗殺者の一部が向きを変えこちら目掛けて躍り掛かってきた。
ヴァルクライムとガガンビが応戦したが、敵は身軽な動きで攻撃を避け、あるいは剣を繰り出してきた。
「アンタ達は下がって!」
ティアイエルがレイチェルとリルフィスを庇うべく身を乗り出した。
剣戟の音が木霊する。クエルポも斧を薙ぎ払い暗殺者達と戦っているが、不意にその背後に敵が回り込んだ。
「危ない!」
レイチェルが叫んだとき、ガガンビが剣を投げつけ、それが敵を貫き絶命させた。そして武器を失ったガガンビはまともに敵の刃を受けよろめいた。
「ガガンビ、下がって!」
ティアイエルが言ったが、ゴブリンは頭を振った。そうして手だけこちらに向けたので、リルフィスが短剣を渡した。
ゴブリンは暗殺者に斬りかかった。
クエルポは大勢を相手に斧を薙ぎ払うしかなく、ヴァルクライムも苦戦している。
不意にガガンビが走り出した。そしてクエルポを突き飛ばす。すると頭上から黒装束の暗殺者がもう一人降下してきて一撃を見舞った。
ガガンビが悲鳴を上げた。
「ガガンビさん!」
「ガガンビちゃん!」
レイチェルとリルフィスが叫ぶ。
ガガンビはよろめきながら立ち上がる。そこへ囲んでいた暗殺者達が殺到し、剣を突き出した。刃はゴブリンの身体に突き刺さり、鮮血が空を染めた。
だがガガンビは立ち上がり、クエルポを守るべく仁王立ちした。
その時、背後から慌ただしい音が聴こえた。
「連れて来たよ!」
サンダーが現れた。が、率いてきたのはバルバトス一人だけだった。
「この人しか信じてくれなかったんだ!」
サンダーはそう言い、驚いた声を上げた。
「ガガンビ!」
鎧を着ていないゴブリンは衣服を裂かれ血塗れであった。肩を上下し荒い息を整えながらも尚も短剣を構えている。
「あとは私に任せろ」
バルバトスが部屋へ踏み込む。
彼は名剣ネセルティーを抜き、襲い掛かってくる暗殺者達を斬り捨てた。
そうして暗殺者達はバルバトスによって討ち尽くされた。
「ダークエルフの暗殺者か」
黒装束の亡骸の黒頭巾を外し、バルバトスがそう言った。
「敵は?」
ガガンビが尋ねた。
「ガガンビ、全て終わった」
ヴァルクライムが答えると、ゴブリンは前のめりになって倒れようとした。そこをクエルポが支えた。
「しっかりしろ。しかし、ゴブリンが人間を、このワシを守るとは」
「そんなことよりも療養施設に運ばなきゃ!」
ティアイエルが言うと、ヴァルクライムが魔術を唱え始めた。
そして魔術師は黄色に光りを帯びた杖先をゴブリンに向けた。途端にゴブリンの姿は消えた。そうして同じようにレイチェルに向かって杖先を突き出した。途端にレイチェルは足元が覚束なくなるのを感じた。
そうして次の瞬間には療養施設の前に彼女はいた。側でガガンビが倒れている。
レイチェルは建物の中に飛び込んで声を上げた。
「誰か来てください!」
夜勤の顔見知りの神官達が姿を見せた。彼らはゴブリンを治療することに懸念を示したが、レイチェルが一喝し、最後にクエルポの命を守ったことまで伝えて、ようやく神聖魔術による治療を試みてくれた。
「深い傷が多すぎる。それに衰弱もしている。助かるかどうかはわからんぞ」
治療に当たりながら神官達がそう告げ、レイチェルは神に、主神に祈っていた。
キアロド様、どうかガガンビさんをお助け下さい。
四
ガガンビの治療は夜が明けるまで続けられた。レイチェルも、集まってきた仲間達も見守る中、ゴブリンは何度も己の生命の危機にさらされていた。
だが、最後は怪我が塞がり、危いところで命を取り止めることができた。血を流し過ぎたため、今は病室のベッドに横たわり、体力の回復を待っている。
レイチェルは心の中で主神に何度も礼を述べた。そして一行が辞去しようとしたところに、大隊長のクエルポが護衛と共に現れた。
「このゴブリンの名前は何というのだ?」
クエルポが尋ねた。
「ガガンビさんです」
レイチェルが言うとクエルポは頷いた。
「ガガンビよ、聴こえているか?」
ゴブリンはベッドの上でクエルポを見詰めた。
ヴァルクライムがゴブリン語で言うと、ガガンビは頷いた。
「そうか、お互い言葉が違うのだな」
クエルポは困ったように言った。
「私が訳して伝えよう」
ヴァルクライムが言うとクエルポは頷いた。そして言った。
「昨晩は、よくワシのために身を張ってくれた、その礼を言いに来たのだ」
ヴァルクライムがゴブリン語で告げるとガガンビは頷いた。
「聴くところによると、やはり、ゴブリンという種族では偏見を持たれ、色々と面倒な思いをしているようだな。なので、ワシは今日限り触れを出した。今後、この戦の中で人間に味方するゴブリンの戦士は我が客将も同然の扱いだと。そしてこれを、ほんの勲章代わりだが……」
そうして取り出されたのは、見事な斧だった。
「これはこの村にいる名工にしてハーフエルフの鍛冶師スリナガルが打ったものだ。ワシは武器の中でも特に斧に目が無くてな、物欲に眩んで落札してしまったが、今後使う機会も無いとなれば、この斧も寂しがるだろう。名をランバーソンという。かつて西北の果てにあったイージアと言う国を治めていた、武烈極まる王の性から名付けられたものだ。これをお主に進呈する」
ヴァルクライムがゴブリン語で伝えると、ガガンビは身を起こして受け取った。
そしてゴブリン語で礼を述べた。それをヴァルクライムが伝えると、クエルポは言った。
「お主の早い復帰を待ち望んでいるぞ。ではな」
傭兵達をまとめる大隊長クエルポは去って行った。
そうしてから、村内でガガンビに対する偏見はほぼ無くなった。だが、今まで討伐対象として剣を交えていた冒険者達にとっては困惑する御触れでもあった。まだガガンビに積極的に声をかける者はあまりいないが、それでも誰もゴブリンと敵対しようとする構えは見せなかった。
そしてガガンビは、配属が変わり、総督府の護衛として任に着くことになった。これまでよりも会える回数は減るかもしれないが、レイチェルはゴブリンが受け入れられているこの状況がとても嬉しく思えたのだった。
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